増田良枝さん

――そもそも、越谷らるごを立ち上げたきっかけを教えてください。
もちろん、娘の不登校がきっかけです。私はこんな人生を送るはずじゃなかったんですから(笑)。
娘が学校に行かなくなったのが、1990年で、すぐに学校と話し合いをしました。でも、その話し合いの場で、とっても納得いかないものを感じました。学校の先生からは、ただ一方的に娘の成育歴や幼児期のころなどの話を聞かれました。私には、「娘さんは、どこか問題がある子なのでは?」というようにしか聞こえない。娘が、いま何に悩んでいるのか、どんな問題にぶち当たっているのか、そうしたことはいっさい聞かれませんでした。帰り際、「なんだか、ちがう」「すごく失礼だ」という思いが沸いてきたんですが、その思いを、まわりの誰もが共感してくれなかったんですね。
その後、遊学舎を知りました。遊学舎は学習塾として、不登校の親や子どもを応援しており、遊学舎を借りて、学校外の子どもの居場所「りんごの木」が90年6月にスタートしたばかりでした。そこに私も参加して、お母さんたちに「学校って、おかしい」って話をたっくさんしたんです。そしたら、「その感覚、すごくわかるよ」って、共感してくれたんですね。初めてですよ、そんなふうに言ってくれたのは。その経験が私にとって大きいものになりましたし、りんごの木の集まりがとても大事なものになっていきました。りんごの木で話していると、不登校が、学校に行くか、行かないか、という単純な問題ではなく思えてきました。「なんか、この社会っておかしいぞ」という疑問が沸いてきて、問題意識が広がっていったんですね。いろいろな事情で、その後、設立メンバーが離れていきましたが、「こういう場は必要だ」という思いもあり、私が引き受けることになりました。その後、大人の会である「越谷らるご」ができました。

――「りんごの木」の16年間で印象的だったことはなんですか?
登校拒否を考える全国ネットワークの人たちは、とても刺激的でしたね。本当にたくさん勉強させていただきました。全国ネットがなければ、こんなに継続しようとは思わなかったでしょうね。埼玉の子どもサポートネットの存在も大きかったです。
越谷らるごでの思い出で言えば、いろんな意味で01年のNPO法人化は大きな動きでした。子どもたちの活動が居場所内で活発になってきたこともあって、私たちは、子どもがもっと自由に過ごせて、自己表現ができる場を保障したいと考えていたんです。それには、これまで週に数日だった「りんごの木」の活動日を週5日にするなど、変えていきたいと思いました。そこで、「りんごの木」をフリースペースからフリースクールに変えること、それから運営主体の越谷らるごをNPO法人化にすることを、99年から考え始め、02年にNPO法人として認証されました。
この間で、新たなつながりも生まれました。ただ、方向性のちがいから、これまで関わりのあった人が離れていく場面もあったわけです。越谷らるごとしては大きく揺れ動いた期間で、個人的にもきついものがありました。

生き方自体を支援して

――不登校政策についてはどう思われますか?
不登校をとりわけ本人の資質の問題とされるような指摘を見ると、本当に当事者と深く関わったのだろうか、という気になってしまいますね。不登校以外でも、ニート、ひきこもり、発達障害と、ことあるごとに人をラベリングしています。働いたり、学校に行ったり、見かけの「社会的な活動」だけをとても高く評価する人もいます。彼らのことを今よりも掘りさげて知ろうとしないのか不思議です。それができたら、もうすこし本人の生き方自体を支援するようなあり方が考えられるのではないでしょうか。(つづく)

増田良枝(ますだよしえ)
フリースクールりんごの木理事長

※2007年2月15日 Fonte掲載