芹沢俊介

 11歳の少女が同級生を殺害した。それも誤ってではなく、殺意をもって。この佐世保の事件を考えるための私なりの前提を二つだけ書いておきたい。
 第一に、佐世保の事件は一対一の人間関係のドラマというかたちをとったのだ。仲良しの少女二人、A子さんとB子さんの一対一の関係のなかで起きたできごと。対関係のドラマ、二人が主人公のドラマであったということである。
 その点で少年犯罪一般とは、確実に様相を異にする。少年犯罪一般とは、次のような例だ。7月22日、富山県で15歳の高校生女子二人が包丁で若い男性を刺した。彼女たちは、むかついていた、誰でもよかったと語った。つまり対象が無差別的であったのだ。神戸の酒鬼薔薇聖斗―14歳少年―の犯行や、長崎で起きた12歳少年の犯行も、無差別的であったという意味では、少年犯罪一般としてくくることができるであろう。
 だが佐世保事件においては、少女は殺害の対象を特定していた。誰彼かまわずに無差別に攻撃を加えたのではなかった。くり返せば、二人のあいだには、愛憎のドラマがあり、そこに端を発した事件であった。その意味では、年齢からしてもきわめて稀なできごとであったのである。
 第二に指摘してみたいことは、子どもたちの生存の基盤が、バトルロワイヤル状況とでも呼ぶべき気分におおわれているように思えることである。殺し合いによる生き残りゲーム。
 加害者となったB子さんが自分のホームページに発表した『囁き』という小説がある。B子さんはこのストーリーがバトルロワイヤルであることをはっきりとうたっている。先生の命令で生徒どうしが最後の一人になるまで殺し合うという内容である。
 『囁き』は、すでに何人もの生徒を殺害してきた主人公―中学3年生の長身で美貌の女子―含め、残り4人になったところから始まる。そして、約束されたように主人公一人だけが生き残る。だが、そこが結末ではなく、生き残った主人公が再びいつ終わるともわからない殺し合いの世界に押しやられていくことを予告して、作品は閉じられるのである。
 先生の命令で、生徒どうしが殺し合うような世界。ここから伝わってくるのは、子どもたちの荒涼とした孤立状態である。もう少していねいに言うと、友だちどうしがたがいに安心という感情でもって支えあう関係を失い、一人ひとりばらばらになった状態ということになるだろう。ばらばらゆえに常に人のことが気になってならない。
 安心して信じることができる友だちが一人もいないということだけではなく、競争相手であり、それゆえにおたがいが気持ちの探り合いをするような関係。みんながおたがいに不信感を抱きながらそれを押し隠して、友だちごっこを演じている。
 そんな孤立した子どもたちが集まってくる場所、それが学校ということになるだろう。
 孤立している子どもたちは、悪魔にほんのちょっと耳元で囁かれただけで、容易に相互に敵意を抱くようになる。
 バトルロワイヤル状況と呼ぶべき事態がここに露出している。事件はこうした事態を背景に起きたのである。
(評論家)

※2004年8月1日 Fonte掲載