――日朝関係は、どのような方向に行くべきと?
 拉致された人たち自身が日朝間の外交で前面に立つことです。彼らが二つの国を一番知っているんですから、もっとも日朝間の架け橋になれる存在です。それは、在日にも同じことが言えます。
 誰でも、人生100%よかったとか100%悪かったと思うことはないわけです。ひどいことも、よかったことも、モザイクのように折り重なっている。国家と個人の関係も同じです。拉致された人たちが生き残ってきたなかには、さまざまな人間関係があったことでしょう。北朝鮮で過ごしてきたことだって、他人には言えない感情が本人にはあるはずです。もっとも叩かれた被害者がどうすれば幸せになっていけるか、政治家やマスコミは、そういう視点に立たなければいけない。いまは、権力の利益のために被害者が利用されている状況です。人間をバカにしている。

――そういう人間をバカにした言動がマスメディアにあふれていますね
 先日、ある評論家が「日本はアルカイダやテロリストを識別できる」と言いました。もう何というバカ!! テロリストはみんな肌の色がちがっていて、服装もちがっていると思っているのでしょう。日本の国防は、民族的な区別、日本人を優生思想の頂点に置いて民族を色分けしていく発想のうえになり立っている。私は、そういう人たちが私たちの命を握っていることに、恐ろしさを感じます。
 イラクで殺された外交官の葬式で泣いている政治家がいましたが、「ふざけんな、おまえが殺したんだろ」って。これが、もっと混乱状態になれば、体制に逆らった人や体制に合わない人は、一番危ないところで殺されていく。その縮小版として、あの事件があったんだと思います。周囲が「誇りでした」と言っていたけど、冗談じゃない。「犬死にだった」と認めないかぎり、政治の無策は続きますよ。

国家と個人の関係は

 次に殺される人が現れたら「日本人の命を守るために自衛隊出動」というフレーズが出てくるんじゃないかと思えてしようがない。何回、ワンパターンをくり返すんでしょう?
 イラク戦争のときは、いわば他人事として安心して反戦を掲げることができた。しかし北朝鮮問題では、そうはいかない。私は「日本と北朝鮮(または韓国)が戦争になったら、どっちにつきますか」と、よく言われます。しかし、戦争になったら、一番先に殺されるのは私です。それが国家と個人の関係というものです。日本人は、国家と個人を一体化して考えているから、拉致問題もテロ問題も解決できないんです。

――今後の日本はどんな方向に行くと?
 私は今後の日本がどうなるか? という問いには答えないことにしています。今後の日本をどうするか、が大事です。これからは日本をどんなことがあっても多文化共生社会にしていかないといけない。それは、弱い者が弱い者として許され、存在できる社会です。そのためには個人がつながり、国家によって分断されないことが大事です。
 これは、私の大人としての仕事です。大人が少しやせガマンすれば、次の世代が5ミリほど楽になる。私は多文化共生社会をつくっていくため、最後まで朝鮮人として幸せだった、と言って死んでいくために、今年もまた闘い続ける。そういう意志を少しの人が持ったら、社会は変わる。このままでは許さない。

メディアの送り手に

――具体的には?
 メディアをやろうと思ってます。いまのマスメディアは、イラクに行く軍隊にラッパを吹いている。それに対抗するメディアを持つ。具体的には、インターネットなどの新しいメディアを駆使しようと思ってます。それはここ数年間の課題になるでしょう。この社会は、国連から勧告が出ても無視し続けてきた。どんなに国連でロビー活動しても目の前の社会は変わらなかった。だからこそ、今度はちがう闘い方にしようと思っているのです。権力のプロパガンダに対抗できる力、メディアの力を市民が持てる時代になった。ですから、メディアの送り手になる意志を持たないと闘えないと思っています。

異端のまま居続けてやる

――問題だらけの日本がイヤになりませんか?
 私は日本が抜群に好きです。私はこの国がふるさとだから、この国で闘う。好きだから逃げないで異端のまま居続けてやる。日本人にすれば、いやがらせかってね(笑)。
 朝鮮人で何がよかったかって、人間の良心に出会えることです。朝鮮人で無力な私のそばにいても、なにもメリットはないけれど、寄り添ってくれる良心がある。
 たしかに、権力に近づくほうが楽に生きられるかもしれない。もちろん、人間はそんなに強くないから、なびいてしまうこともある。けれども、一歩踏み出せば、世界は広くて多様だとわかる。

――辛さんの元気の源は?
 きらわれてもいいと思ってるからよ。世界中のすべての人が私をきらいになってもいい。けれども、私は私が好き。
 私は子どものときからケンカは1勝9敗ペースです。いっつも強い奴とやってきたから。でも、鼻血出しながらでも1回は勝つのよ。これが大事ね(笑)。
――ありがとうございました。(聞き手・奥地圭子)

(しん・すご) 1959年東京生まれ。85年、人材育成会社(株)香科舎を設立。人材コンサルタントとして活躍する一方、コメンテーターとしてテレビ、ラジオ、新聞などにも出演。2000年からは、石原やめろネットワーク共同代表や「多文化探検隊」を主宰している。

※2004年1月1日 不登校新聞掲載