最新号トピックス

2010.06.28

上野千鶴子さんインタビュー3

上野千鶴子さん  上野千鶴子さんへのインタビューも今回で終わり、この連載も終わりである。最終回は、上野さんに、今後の産業や社会のあり方、これからの働き方などについて、語っていただいている。

ガマンは役に立たない

 労働組織のあり方も問題です。じっとガマンして上に行けば行くほど、収入も地位も意思決定権もあがるようにできていて、末端の人たちに意思決定の分与がない。稟議制で、ハンコを集めていく組織です。  これは、ルーティンワークには向いているけど、変動期や災害時には向いていないと言われます。阪神淡路大震災のときも、現場にいる人たちが意思決定権を持てないのがネックだったと言います。  概して活力のある組織は、現場の人の裁量権が大きいですね。仕事を任せられ、自分の裁量でできることがないと、仕事をしていてもおもしろくない。しかし、日本型雇用のなかでは、若いうちは球拾いだけ。10年も球拾いをやってたら、才能が腐ってしまう。そういうことにガマンできない人は出ていき、ガマンできる人だけが残る。そして黙って愚直に、言われることをやれる人材が残ります。それは、物づくり=工業化社会では、役に立った能力かもしれません。しかし、現在の産業構造のなかで、物づくりの部分は空洞化しています。第2次産業は、もっと安い値段でつくれるところに移転しています。その結果、雇用の空洞化が起きています。  為替の差を考えたら、どんなにまじめにモノをつくっても、海外よりコストが高くついてしまう。そうすると、あとは技術力やアイディアなど、目に見えないもので勝負するしかありません。

「ちがい」から情報が生まれる

――モノから情報に産業が移っている、と。  そうですね。じゃあ、情報はどこから生まれるかといえば、「ちがい」から生まれるんです。いつもと同じ道を通り、いつもと同じところに行き、同じ人に会っていたら、「今日は何もなかった」ということになる。ところが、いつもとちがうところに行き、いつもとちがう人に会ったら、日記にも書くことがあったりする。たとえば外国人と接すると、あたりまえと思っていたことでも、いろいろ説明しなければならなくて、情報量があがるわけです。  異質な者どうしが接触したときに、ザワザワとした摩擦が起き、ノイズが発生する。情報理論では、情報のもとはノイズだと言います。ノイズのうちで、ノイズのままのものと、情報に転化するものがある。しかし、ノイズが発生しないところには情報は生まれようがない。できるだけ自分とちがう人と接触し、自分のなかにちがう世界を持つ。そうするとザワっとする。このザワッが情報のもとになる。  逆に、自分と似たような人とだけ付き合っていたら、情報発生が抑制されてしまいます。ノイズの発生しないような組織は、組織ごと沈没していくことになると思います。  学校も企業も、管理社会はノイズを抑制するように組織をつくってきました。そのほうが管理するのにラクですからね。同学年を集め、男だけ女だけで集めてきた。そこに外国人や障害児が入っていったり、学年を超えてクラス編成したりすれば、ノイズが発生するはずです。 ――生産と消費の関係も変わったと言われますが?  もう大量生産・大量消費の時代ではありません。情報商品は多品種・少量生産です。そのためには、自分がまずユーザーであることが重要です。たとえば男が生理用品を生産できますか? ディスコをプロデュースするのに、金だけ持って踊ったことのないオヤジがやってもしょうがないでしょう? その金を若いのに渡して任せろよ、と。“もちはもち屋に”です。  ゲームクリエーターなんかも、かつて遊んでただけの人が生産者にまわっているでしょう。生産は、市場に受けいれてもらえなければ成り立たないものです。市場にどういうニーズがあるかをよく知るためには、自分がユーザーであることが重要になる。  しかも、マーケットはもはや、一世風靡型ではない。一機種出せば、自動的に世界を制覇するようなことはありません。細かい差別化で、小さいローカルなマーケットを集積していくしかない。それが結果的にグローバルマーケットをつくっているわけです。グローバルマーケットは、のっぺらぼうな単一のものではないんですね。

学校秀才ではなく

 産業には大きく分けて、資本集約型、知識集約型、労働集約型の三種類があります。たとえばサービス産業のような労働集約型産業は、人さえあればできます。資本集約型産業は設備投資がないとできません。おもにメーカー=物づくりですね。それが日本から逃げ出して、海外に行ってしまった。  知識集約型にはノウハウがいります。知識集約型産業では、ひとつの分野にマニアックに親しんでいた人たちが活躍しています。そういうマニア・オタク的な人たちは、学校秀才ではないですね。こだわりのある消費者、好きなことしかしたくない人たちです。学校秀才は、好きなことも嫌いなことも両方できる器用さが必要です。彼らは、器用さがないから、好きなことに特化してやってきた。いま、その人たちが日本の救世主になっています(笑)。  消費と生産の境界は、ハッキリと区別できるものではなくなっています。いま消費していることが、次世代のシーズ(種子)になるかもしれない。  たとえばプロデュースする人というのは、消費者と生産者を媒介する存在です。市場が何を求めているかを知り、それを提供できる能力の持ち主を知っていればいい。自分にできなくても、専門家を使う能力があればいいわけです。友人に建築をプロデュースする人がいますが、彼は線が一本も引けない建築家です。しかし、線が引ける人を使える、と。つまりはアイディアと人脈で勝負しているのです。これからは、そういう人がたくさん求められるようになると思います。 ――最後に、若い人に向けて何かあれば?  若い人を見ていると、自分の好きなことなら熱中する、手応えのあることをやりたいという人が多いです。しかし仕事というのは、他人の懐からお金をもらうことで、その人の役に立っているからお金をもらえるんですね。好きなことだけやって、お金をもらえるというのは、勘ちがいもはなはだしい。  マルチプルインカムになれば、ウンとお金になることも、少ししかお金にならないことも、ぜんぜんお金にならないことも、多様な活動を組み合わせて、生活を成り立たせることができます。そうやっているうちに、金になることと、ならないことが入れ替わるかもしれないですしね。  お金になることは何かと言えば、自分が好きではなくても、他人の役に立つことです。そういう、人の役に立てるスキルの一つや二つは身につけておいたほうがいいと思います。やりたいことは、持ち出しでもやればいいんですから。  私も、お金をとれるところからはいただきますが、とれないところからはとりません。お金をとれるところからとっているおかげで、お金にならない好きなこともできる。私にとって、いちばんやりたくない仕事は教師です(笑)。しかし、職業だから一生懸命やっている。だけど、自分の人生を教師だけで埋めようとは思っていません。 ――ありがとうございました。 ※2003年4月1日 不登校新聞掲載