僕は現役教員時代、ずっと「日の丸・君が代」に反対してきた。それは、かつて日本の人々を侵略戦争に駆り出していった道具だったからだ。僕は、母親の戦争体験を聞き育った。僕が教師になった動機もそこにある。しかし、職員会議などでは管理職や同僚から、「それはあなたの個人的な意見だ」とよく言われた。公教育だから、個人的な意見は通らない。この壁は大きい。
 いつしか、「日の丸・君が代」反対は、タブー視され、僕自身も徐々にトーンダウンしていった。そんなとき、同僚の音楽教員がこう言った。「僕は『君が代』を弾かないんじゃない。弾けないんだ」。
 こう語った彼は、いまも「君が代」を弾いていない。彼はいままでずっと「弾けない」ままだ。このような意識を「確信」というのではないだろうか。彼にとって「君が代」がなじまないということは、学校を否定していることになるのだろうか。僕にはそう思えない。

「君が代」は弾けない

 ご存知のように今、東京では「日の丸・君が代」をめぐって400名以上の処分者が出ている。処分、それは受けた個人にとって多大な被害をこうむることになる。給料に響き、親などの周囲からもレッテルを貼られる。そうまでして「君が代」演奏時に着席する。これも「確信」ではなかろうか。
 教員が子どもたちに向かって発する言葉のなかで一番多いと思えるものに「自信をもって発言しよう」というのがある。このことに異論を唱える教員は、一人もいないだろう。しかし「自信をもって『日の丸・君が代』に反対する」ことはまちがっているというのだ。それはなぜなのか。
 東京都の教員根津公子さん、河原井純子さんは被処分者のなかでももっとも重い処分「停職6カ月」を今年受けた。この次は「免職」だろう。今年3月、根津さんの免職を阻止しようと多くの市民が東京都教育庁のある都庁に連日つめかけた。そこで根津さんが都教委の職員に一番訴えていたことは、「『日の丸・君が代』教育の正当性を教えてほしい」だった。この質問に答える職員は一人もいなかった。そして、処分の理由は毎回、「職務専念義務違反」である。僕が問題にしたいのは、本人が「職務専念義務」を怠っていないと考え、自信もって教育活動をすすめているのに、一方的に「罰」をくだしていることである。
 現在自信をもって子どもたちに関わっている、いわゆる前向きの教員がどれだけいるだろうか。自分のやっていることに不安ばかり感じ、上からの命令を自分の行動基準にしている教員が増えているとしたら、その姿勢は子どもにどう映るだろうか。「日の丸・君が代」の問題は、いまの学校がどういう状況にあるのか、学校とはどうあるべきなのかを問う象徴的な「事件」になるつつある。

(湯本雅典・ゆもとまさのり)1954年生まれ。80~06年まで東京都公立小学校教員。51歳で中途・自主退職。現在は、自営業の傍ら、私塾「じゃがいもじゅく」の運営、自主制作映画つくりをすすめている。

2008年12月1日 Fonte掲載