今から28年前、僕が新卒教員だったころ、学校の仕事で一番嫌だったのが朝礼台の上で「号令」をかけることだった。
毎週月曜日には、朝礼があって、「日直」の先生が「号令」をかける。500人以上の子どもたちの目が僕に集中している(ように見える)。その緊張感をふりはらうかのように、お腹に力を入れて、まず怒鳴るのが「気をつけ!」「前へ、ならえ」。そして「なおれ!」。それでもだめならおまけに「もう一度、前へ、ならえ!」「なおれ」。
英語の授業が小学校に導入されたころ、この号令についてアドバイザーのカナダ人に聞いてみた。「『気をつけ!』というのはどう言うの」と聞くと、彼は、かなり悩んで、「そんなのカナダではありません」とのことだった。強いて言えば「アテンション!」かもしれないとのこと。「アテンション!」、直訳すると「注目」である。しかし、これは軍隊用語なのだ。
僕は、機会あるごとに「気をつけ」が外国にあるかどうかいろんな人に聞いてみた。すると、どうやら日本だけにしか存在しない「学校用語」のようだ。そもそも諸外国では、「朝礼」が少ない。いずれにしても、日本のように強制的に、ビシッと列をつくらせる慣習はほかの国にはないようである。
この制度、明治時代の「学制」発布からおそらく変更なく今まで100年以上も続けられてきたのだろう。教師を辞めた今、本当におかしな制度だと思う。
一番おかしいのが、小学校1年生など小さい子は、ほとんど「前へならえ」「気をつけ」と言えないことだ。「まいえーならえ」「きよつけ」なのである。つまり意味がわからずやらされている。僕もやらせていたのだ。なぜなのか。職員会議で議論したことがないので推測の域を出ないが、おそらくもっともかんたんに子どもを「管理」できるからだろう。
しかしおかしい。学校の教育目標に「自ら考え、自ら判断できる子」を唱えている学校は多いが、「前へならえ」で「自ら考え、自ら判断」する子が育つだろうか?
僕は、現役時代少しは疑問に思った。しかし、職員会議で質問したり、また雑談で話題にしたこともない。なぜだろうか。言い訳になるが、僕は学校の「前へならえ」が当たり前の雰囲気に飲み込まれていたのだ。しかし「前へならえ」に頼らない子どもへの関わりというのは、大事なことだと思う。
そもそも、日常の子どもとの営みに「命令」や「強制」は通用しない。関わる中身こそが問題であり、信頼関係こそがすべてだ。こうして考えてくると、学校のいろいろな「ナゼ?」がこの「前へならえ」から派生しているように思えてならない。
(湯本雅典・ゆもとまさのり)1954年生まれ。80~06年まで東京都公立小学校教員。51歳で中途・自主退職。現在は、自営業の傍ら、私塾「じゃがいもじゅく」の運営、自主制作映画つくりをすすめている。
2008年11月1日 Fonte掲載


