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 高橋さんの家も、鈴木さんの家も、子どもの不登校デビューが早い。高橋一允くん(9歳)は小学校1年生の9月から、弟の洸吾くんは幼稚園拒否である。一方、鈴木麻紀さん(11歳・仮名)は小学校1年生の6月から。
 高橋一允くんの不登校は、まず体に現れた。学校から帰ると倒れ込み、しばらくしてから暴れるか泣きわめくようになった。母親の美穂さんは、原因を探ろうと学校と一允くんから話を聞くが、よくわからない。とにかく明白なのは、日々、一允くんが傷ついてることだけ。率直に「もう見ているのがつらい」と思い、一允くんの不登校を受けいれた。
 鈴木麻紀さんの場合は「朝の行き渋り」から始まった。麻紀さんが学校を拒絶し、母親の晃子さん(仮名)は学校へと手を引く。ときに娘が折れて学校に行き、ときに母が折れて家の滞在を許した。しかし、まもなくして晃子さんが完全に折れた。「当時は学校に行くということを疑ったこともなかった」と言う晃子さんは激しく落胆した。また晃子さんが、子育てサポートの講師業を営んでいたことも、自信喪失に拍車をかけた。
 幸い両家庭の父親は不登校に寛容であった。それが「不登校問題」がこじれかなかった要因の一つかもしれない。
 ともあれ、その後、両方の家庭が『子どもは家庭でじゅうぶん育つ』(編・東京シューレ/東京シューレ出版)を見つけ、ホームエデュケーションの道に進むことになった。

理想の子育てだと思った

 鈴木家は07年の8月に、高橋家は06年8月にホームシューレに入会した。
 ホームシューレの活動は今号の7面にくわしく書かれているので、参考してもらいたい。端的に言えば、メールやHPを利用したオンライン交流と、交流誌、合宿などのオフライン交流が盛んなのである。オフラインのつながりを軸に、鈴木晃子さんは、毎月1回、自宅でサロンを開き、家族どうしで博物館や映画館などへ行っている。
 不登校当初、落胆していた晃子さんだが、「2年間の暗中模索の末、ホームエデュケーションが理想の子育ての一つだと思う」というところに行き着いた。子どもが自分の興味・関心に時間を尽くすのが、ホームエデュケーション。親がそのとなりに居て、ともに学び、「育ちを実感する」のが、たまらなく楽しいそうだ。
 「育ちを実感する」のは、高橋家でも同じだった。母親の美穂さんが、ここ数年、悩んでいたのは一允くんが「文字を読もうとしない」ことだった。小学校に通うまでは、街の看板や新聞に目を向け、「なんて読むの?」と聞いてきたことがある。ところが、数カ月間の学校生活後、完全に文字を拒否した。親からすれば「さすがに文字を読めないのは困るだろう」とは思う。その不安は年齢が上がるにつれ膨らんだ。そのとき、親どうしの交流に支えられ、「いまは学校で傷ついた心を癒す時間だから」と励まされた。
 一允くんは、マンガ『ワンピース』が大好きなのだが、あるときまで、ストーリーを少し誤解していた箇所があった。父親がそのことに気づき指摘した。これがきっかけになったのかはわからないが、今年2月、突然、一允くんが居間で声を出してマンガを読み始めた。家で家事や仕事をしていた両親は思わず手を止めて驚き、心から喜んだ。文字を読む、読まないの話ではない。学校に行っては毎日倒れ込んだほどの傷が、この家のなかで少しずつ癒されたことを感じたからである。これもまた「育ち」を実感した瞬間の一つだった。

 ホームエデュケーションの2家族から話を聞いていると、そもそもの「人の暮らし方」をかいま見るようであった。そもそも人の暮らしは、学び、労働、遊び、癒しが、渾然一体となっていた。
 明治政府発足以後の資本主義社会は、人の暮らしを「分業化」した。学びは学校、労働は会社、遊びは公園、癒しは医療やカウンセラーというように分業化し、家を食って寝るだけの「箱」にしてしまった。家庭の無力化を推し進めたのである。ホームエデュケーションとは、分業化された学びや遊びや癒しを、家とそのつながりのなかに取り戻す運動でもある。そして、今回の2家族は、無力だと思わされていたもののなかに、じつは豊かな土壌が拡がっていると実感した。だからこそ、2家族ともに「これからもホームエデュケーション」と言い切っているのだろう。(石井志昂)

2008年4月1日 Fonte掲載