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2010.03.22

庵野秀明さんインタビュー(前)

庵野秀明さん ――どんな子ども時代でしたか?  僕の小学校時代は世間でいう優等生。勉強もそこそこできて、子どもだったけど偽善的でしたね。高校に入学したときに「もう勉強はいいや」と思った。「こんなことは絶対社会にでてやらない」という内容ばかりだった。中学生のころまでは勉強が何かの役にたつと思っていたけど、そのころには受験勉強とはテクニックなんだと感じていた。そのテクニックを身につけるための方法論が社会に出たときのためになる、という言葉は方便にしか聞こえなかったですね。  大学は実技試験しかない大阪芸大へ入学した。大学2年目までは、わりと通っていたけど、3年目には大学生の「関西SF連合」というSF研究会のグループでイベントのスタッフをして、オープニングアニメーションをつくったり、自主制作の映画とかをつくり始めていたから、学校に行っている暇がなくなった。学校よりもそこで活動しているほうがおもしろかった。それで、大学は通わず、お金も払わないでいたら、放校処分になりました。 ――その後、どのようにアニメづくりをされてきたのでしょうか?  大学を辞めて宮崎駿さんのところに就職した。宮崎さんのところではアニメーターとして『風の谷のナウシカ』の原画を描いた。アニメの師匠的存在の人は宮崎駿さんと『TV版 超時空要塞マクロス』の作画監督板野一郎さん。その2人からものをつくる姿勢や根本的なこと、レイアウトみたいな技術的で細かいことまで、多くのことを学んだ。  そのあと、フリーのアニメーターをしてGAINAXに参加した。本格的に監督をはじめたのは、88年に『トップをねらえ』という企画に出会ったのがきっかけ。それが終わってすぐに『ふしぎの海のナディア』の監督をやることにもなった。ナディアが終わったあとは、自分のなかのものをすべて出し切ってしまい「やれるものはもうない」という感じだった。自分から出てくる企画がナディアの亜流みたいなものになってしまい、どれも手がつけられなくなった。さらに、やっとつくろうと思った映画も製作途中で中止になって、かなり追いつめられた。だから、そのあと95年の『新世紀エヴァンゲリオン』はかなり追いつめられたときの作品だった。 ――エヴァンゲリオンのあと、どういった活動をされたのですか?  『新世紀エヴァンゲリオン』で、アニメはやり尽くしたという感じがあった。実写映画『LOVE&POP』を撮って、少女漫画を原作としたTVアニメ『彼氏彼女の事情』を経て、製作後に「これでいよいよアニメでできることはやり尽くした」という気持ちが強くなった。さらに去年、実写映画『式日』を撮った。この映画は観てくれるお客さんを選ぶ作品で、自分としては行くところまで行き着いた感がある。  でも、行き着いた感があるからこそ、また、別のものが生まれるのではと自分で思っている。ぼくはやれるときとやれないときの振り幅がでかくて、新しいものをつくるためには、壁に思いっきりぶつからないと次のところに行けない。 (つづく) 庵野秀明(あんのひであき)1960年山口県生まれ。アニメーション監督。 代表作、『トップをねらえ!』『ふしぎの海のナディア』『新世紀エヴァンゲリオン』など。 2001年8月1日 不登校新聞掲載