今回の特集は「お父さんと不登校」
4名のお父さんにご自身の体験や思いを綴っていただいた。
10年2月特集-お父さんと不登校
- ■ 娘のつらさもわかるが、私だってハンパなく不安だ
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仕事場での人間関係で、責任者の不合理な対応に心を痛め、ごまかし笑いで頭を下げて、その場をやり過ごす。内心の苛立ちを鎮めようと努力をしながら帰途につく。早く家に着いて、ホッとしたいと思う。
わが家のドアを開けて居間に入ると、家内からは私を責め立てるような険しい眼差し、娘は、TVに見入りながらも私を避けるような刺々しいうしろ姿。昼間の仕事場での責任者が取ったと同じ態度がそこにある。
私を見下し、責めつけ、無視されるつらさ。仕事場と異なるのは、わが家では、私はごまかし笑いができないこと。
娘は、高2のとき学校に行けなくなり、家を出られない状態で2年が過ぎた。不登校について家内と私の学びはいく分か深まり、娘の感情の激しい爆発の頻度は減ってきた。しかしながら、体調、友人、バイト、学歴など、思い通りにならない不安と不満で、ことあるごとに心が暴れだす。けれども、私自身の仕事と生活についての、将来への不安と不満もハンパではない。 - ■ 毎日が人生で一番大切な日
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娘は現在17歳。インターネットを中心とした高校に通う2年生です。小学校時代からおもに家庭で過ごしてきましたが、さいわいにも、あまりつらい思いをしないでこれたかなと思っています。
ホームエデュケーションのなかでも、小・中学校を通して、学校とは絶えず連絡をとり続けてきました。ある学年では、学期のほとんどを登校していた時期もあります。小学5年生の夏には、2泊の林間学校にも参加しました。友だちもできて、いっしょに夏祭りに出かけたことなどは、いまでも家庭のなかで話題にあがるほどの思い出です。
中学校では教室には入らないものの、「さわやか相談室」にはときどき出かけ、相談員の方と読書や趣味の話などをよくしました。また、担任の先生とも相談室で会い、近況の報告などをしていました。学校の対応自体が柔軟だったことに加え、本人も可能な範囲で関わりを大切にしていたことがよかったのだろうと思います。 - ■ 父親に不登校を受容させないものは…
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「不登校と父親」のテーマで自分と息子たちを語ろうとすると、独特なほろ苦さを伴う気分が胸の底からゆらゆらと湧きあがる。長男が中学1年の半ばから学校へ行かなくなってから22年、3年下の二男も中学1年で学校へ行かなくなって約19年が過ぎた。長男はいじめに苦しみ、二男は丸刈り強制や教師の体罰が横行する学校に呆れて「学校に行く暇がない」と家で漫画製作にとり組んでいた。長男は89年に弁護士を始めた親父の法律事務所のスタッフになり、98年の全国不登校新聞社創立後は名古屋支局の仕事もして10年になる。二男は漫画家を志し、不登校新聞創刊号から10年漫画「森の喫茶店」を連載している。息子らと過ごした歳月をふり返ると、学校へ行かないことに心配し、悩み、葛藤したあの苦しみはいったい何だったのか。
- ■ 男は不登校で涙していい
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不登校でもっとも厄介な問題は、子ども自身の混乱ではなく父親の家族内でのあり様である、と言われ続けてきた。私自身も父親として家族(おもに妻)から同様の批判を受け、また自分自身も悩み苦しんだ経験がある。なぜ、父親は子どもと家族に寄り添えないのだろうか。この問題を図Aを手がかりに、父親の立ち位置の視点からから考えてみよう。


