私も3人の子どもを出産する経験をさせていただきましたが、長男はもうじき11歳になろうとしています。今でこそアクティブ・バースという名もかなり知られてきている気がしますが、長男を出産したときは、まだ、それほど知名度もなかった気がします。
長男を出産するときは、私にも不安があり、産婦人科で出産しました(それでもラマーズ法・夫立ち会いのもとでしたが)。しかし、次男、長女は助産院で、長女は助産院で水中出産をしました。
◎ 人それぞれでいいのに
64号のシリーズ出産の“不登校と自然分娩は似ている?”という見出しに、なるほどなーと思わされました。たしかに、私のまわりを見ても、自然出産のことを話したとき、「へぇー、すごーい」と、興味を持つ反応はあっても、いざ自分が出産するときは産婦人科を選ぶ人が多かったですね。それでも何人かの人はすんなり受け入れ、助産院で産んでいた人もいましたけど。
不登校と同じで、みんなが必ず助産院で産んだり、自然出産ができるとは思っていません。医療も上手に利用していくことが必要で、人それぞれにあった出産の仕方があるんだと思います。
なのに、ベルトコンベアーに乗せられたみたいに、みんなが同じ方法で出産したり、出産の日を決められてしまうことは、とても不自然な気がします。
実は、私は3人目の出産にあたって、自宅出産を希望していたのですが、周囲の反対から、助産院で出産しました。3人目の子は、どうしても水中出産を希望していた(と私は感じていた)ので、車で1時間かかる助産院まで通っていました。
大きなプールに家族4人で入って、3人目の子を迎えたわけですが、彼女はとても心地よかったのか、産まれたあとも、くぅーっと寝ているみたいに、とても静かでした。出産後すぐに泣かないといけない、というのもちがうんだって思ったりしました。
妊娠・出産に関して世にはびこっている情報には、不必要であったり、まちがっていたり、過剰すぎる情報ばかりが目につく気がします。みんなと同じということで、自分で考え判断しなくていいという気楽さもありますが、いつもその本質を見る目と心を持っていたいな、なんて思っています。
◎ 友人の出産を手伝い
そんな私を試すかのように、私は一度、友人の出産のお手伝いをしたことがあります。出産を1カ月後にひかえた友人が家に泊まりに来たときのこと。翌朝、腰を痛がる友人と「寝床が変わったからだね」なんて話していたら、おしるしが……。「え?」と思って、すぐ近くの助産院に電話したのですが、間に合わず、水中出産を希望していた彼女は、うちのお風呂で2人目を出産することになりました。私の少ない知識のなか、彼女は何の不安も持たずに私を信頼してくれ、私もできるかぎりのことをしました。お湯の中に塩を入れる、はさみの消毒、時報……でも、私にはそれぐらいでした。あとは彼女のそばにいるだけ。見守る、ということなのでしょうか……。その子は、いま3歳になり、すくすく成長しています。
私は、自宅出産、水中出産をみんなに勧めたいとは思っていません。そのよさは、経験した者にしかわからないことです。でも、結局は信じる、自分を信頼する、ということなのかな、と思います。
それは、きっと学校という場を選ばない子どもたちに対して向けられる言葉でもあるのでしょうね。自分を信頼できない人は、他人も信頼できない。その子を信頼するということは、最終的に自分にはね返ってくることなのだと思います。
学校信仰している人も、病院信仰している人も、要は正しい情報を知らないことに加えて、世間体や、人とのちがいに対する不安、たくさんのことがからみあって、勇気が出ないところもあるんだろうなって思います。
だからこそ、フリースクールの人たちのしていることや助産婦さんのしていることは、すばらしいことだと思います。
私は、子どもを、というより、自分を信じる、信頼するという点で、まだまだ未熟で、でもあせらずマイペースでいけたらと思っています。完璧さを求めずに。宝蔵晴子
2000年2月1日 不登校新聞掲載


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