わたしは二人の子を産みました。二人とも男の子です。一人目を妊娠したときは「へー、妊娠って、わたしもするんだ」という、何とも、のうてんきな感じでした。ただ妊娠してからは体調がずっと悪く、切迫流産で入院したり、動くととにかくいけないと、医者にずっと言われていたので、仕事も辞めてずっと家で布団を敷いて、いつでも横になれるようにしていました。そういう自分が歯がゆく、妊婦の人で元気に仕事を続けたり、いきいきと家事をこなす近所の妊婦の人を見ては、なんだか泣き出したくなってしまう、いやーな時期だったことははっきり覚えています。
 子どもが産まれてくるんだ、という喜びよりは、とにかく今のうっとうしい気持ちと体をどうにかしたいという気持ちでいっぱいでした。当時はとくにすることもないのでマタニティー雑誌を読んだり、妊娠出産本、育児の本など、手当たり次第に読んでいました。しかし、ああいう本って、どうして人を不安にさせるのだろう。やたら胎児の大きさや妊婦のようすはこの時期はこんな感じと言うことに力点を置いているので、そこに当てはまらないと心配になるのです。いいなあ、と思える本はほんのわずかでした。
 大学病院にかかっていて、検診のときは必ず、「あなたのお子さんは常に危険な状態にあるから注意しなさい」とか「ふつうの胎児と位置がちがうから難産になる可能性がある」とかしょっちゅう言われるので、なかなか落ち着きませんでした。結局、「11月7日に産みましょう」という主治医の一言で産む日が決まり、もう一人わたしと同じような状態のお母さんと分娩台にあがることになりました。
 陣痛促進剤を使って、3人の男性の医師がわたしのおなかをぎゅうぎゅう押して本当に大変なお産でした。あとで看護婦さんに聞くと「けっして安産ではないけれど、あなたは難産ではない」と言われました。ということは、難産とはいったいどういう状態なんだ? と思いましたが、とにかく無事に生まれて、うれしいも何も「やっと終わったー」という感じで感無量でした。
もうこっちのもの
 「大変な子だ」「大変な子だ」と言われ続けていた子は、実に可愛いとは言えなかったけれど、また吸引分娩だったため頭もドングリみたいになっていたけれど、もうこれは、まぎれもなくわたしの同志だ、という気になり、実に晴れ晴れとした気持ちになったのを覚えています。
 もうこっちのものです。医者や保健婦に言いたいことばかり言わせません。だって「この時期にしては大きすぎる」とか、「果汁はもっと後にしてからやってください」「お母さんミカンの食べる量を減らしてください」(わたしは完全母乳でした。以前からミカンが大好きだったため、子どもが真っ黄色になって黄疸かもと言われたのです)とか、いろいろうるさいんですもの!
 もう私は妊娠中さんざん不安になることばかり言われたので、産んでからは実に強くなりました。何せ目の前に子どもがいて、私が一番この子とつきあっているんだもの、といった感じです。
 二人目の妊娠出産は、一人目とちがって、私の気持ちはずいぶん楽でした。私が生まれた産婦人科で生んだのですが、医者は「まだ産まれないだろう」と言って、外来の患者さんを診察していたのです。私は看護婦さんに「もうすぐ産みますから」と言っているのに看護婦さんも「まだですよ」というのです。そういった瞬間に私は次男を出産しました。「ホラー、だから言ったのに」とは言いませんでしたが、そんな感じです。だって私の体ですもの、私が産むんですもの。
 というわけで妊娠、出産でわかったことは、お産のプロといったところで、私以上に私の体をわかっている人はいないんだな、ということです。

◎あのときに味わったことは

 こんないい加減な感じでも二人の子どもはすてきな人に成長してくれました。といってもまだ10歳と8歳ですが。私の体からこの人たちが生まれたんだということを、ほんのたまーに思ったり、生まれたばかりのことを思い出すとちょっぴり鼻の奥がつーんとなるような感じにはなりますが、今となっては遠い昔の話のようにも思えます。
 ただ、あのときに味わった、自分の感覚を大事にしよう、ということは今でも日々思うことなので、やっぱり出産っていうのは、すごいことなのかなあ、なんていうことも思ったりします。
 そうそう一人目を産んだときの病院での話を思い出しました。産んでから4人部屋の私の病室に戻ったときに、同じ日に産んだお母さんに言われた言葉を思い出しました。
 「木村さん、お子さん幼稚園どこにする?」
えっ、まじ? 私たった今産んできたんだよ。ほっとしてこれからご飯を食べてオッパイをやるぞー、と思っているんだけど、とひっくり返りそうになりました。
 すごいなあ、生後何時間かでこんなことを考える世界っていうのは。よかったあ、うち二人とも不登校で。(木村砂織)