吉本隆明さん

 今回は思想家の吉本隆明さんに、お話を伺った。吉本隆明さんは、敗戦を体験したことから、社会的な状況に振り回されず、自分の判断を持つことの重要さを知り、自身の経験を思い出しながら、閉じこもり、登校拒否、死などについて、語ってくれた。

――自分自身の考えを持つきっかけは?
 僕が大学1年生のとき、日本が敗戦した。敗戦した途端、就職口もなくなるし、学校自体も続くかどうかもわからない。社会ががらりと変わってしまった。働くために工科系の知識は学校で学んだ。人間の心の動き、精神の動きについては、文学が根本的だから、僕も読んで考えてきた。それだけで結構だと思っていたら、そうはいかなかった。急にどうやって生活したらいいのか、どうやって生きていけばいいのかわからなくなった。今までやっていたことが通じなくなってしまった。ばかばかしいというか、とてもむなしかった。
 どんでん返しを食らってから、いったい俺の何が悪かったのか? このどんでん返しはどうして起こるのか? と、ずっと考えていた。そこから、社会とは何なんだ? と考えたり、本を読むようになった。
 だから、正しいか、まちがっているかは別として、そのときどきに、社会に対して自分なりのビジョン、自分なりの判断をちゃんと持っていないとダメだぜ、ということは、敗戦以降、今にいたるまで、変わらずに頭に置いていることです。

――物書きになったのは?
 僕はもともと文学の出身ではなくて、工科系の学校を出て、技術者として勤めていた。そのあと、特許の事務所に一日おきに勤め、そのかたわらで、エッセイなどを書く仕事を引き受けていた。ところが、だんだん、書くことの収入と特許のアルバイト収入が半々ぐらいになってきた。それで、物書きになろうか、特許事務所で働こうか迷った。本来的には、現場で働きたかったけど、特許の事務所ってのは書類を整理したり、事務的なことが多くて、技術者としての現場ではない。どうせ現場で働けないなら、書くことで食おうと思った。その時期が40歳前後のころだったと思います。だから、僕はいろんな社会現象に発言しているけど、ぜんぶ素人なんですよ。素人として、社会的な現象に対して、これをどう見たらいちばんいいのか、と考え発言してきたけど、それでいいんだと思いますね。

――専門家でないと物を書けないように思われがちですが?
 学問者や研究者と、僕みたいな物書きとどうちがうかというと、前者は頭と文献や書物があれば研究ができる。物書きは手を動かさないと作品が書けない。僕も手で考えてきた。頭だけで書いたらつまらないものしか出ない。考えたことでも、感じたことでも手を動かして書いていると、自分でもアッと思うことが出てくる。それは手でもって書いてないと出てこない。
 でも、年食ってくると、いちいち、しんねりしんねりしながら手を動かすのが、おっくうになる。それは研究者も同じ。本を読んで、いちいち必要なところだけメモを取るなんて、面倒ですよ。そんな辛気くさいことやってるより、どっかの会長になる方が楽だよね。しかし、手で考えるってことをやめたら、物書きは一巻の終わりですね。これはあらゆる芸術でも言えることだよね。手を動かすっていう本筋は変わらない。
 だから、もし文学者になりたければ、10年間、手を動かすことだと思います。10年間やれば、一人前になりますね。秘訣も何もない。才能があるとか、ないとか言うのは、そのあとの話ですよ。文学の場合、「気が向いたときに書いて、気が向かないときには書かない」というのがいいことみたいに言われるけど、それはウソだよ。気が向こうが向くまいが、何はともあれ書く、手を動かす。そうしたら、一人前になりますね。
消費産業

――現在の社会状況をどうとらえていますか?
 農業、漁業の自然産業や毛織物とか内職でやっていたものがだんだん本格的になっていって、農村を離れ、都市をつくったというのが、近代の歴史的な経緯ですね。いまは、もうひとつ先に行って、第3次産業に携わる人が半分以上になって、消費産業の時代になった。生産することより、消費産業で働く人が多くなったということは、いままでの古代とか、中世とか、既成の社会概念では、成り立たなくなってきたことを意味する。なのに、企業や政治は昔からの延長線上で、社会をとらえているから矛盾し、混乱する。その混乱が、いまの先進国の混乱だと思いますね。

――いま、子育てを悩んでいる方が多いと思いますが
 妊娠してから子どもが1歳になるぐらいまでは、戦場のようだと思うけど、本気になって、目をそらさないで、赤ん坊と向き合ってくださいとしか言えないですね。
 あとは多少乱暴な扱いでも大丈夫。むしろ、過剰にかまい過ぎたり、押しつけたりすれば、子どもはゆがんで反発するから、そういうことをしないように気をつけたほうがいい。大人は現在の社会が昔のままの延長だと思っている。しかし、実際の社会は混乱しているから、ズレがあり、大人自身もいらだちを無意識に感じていると思う。逆に子どものほうは直感的に社会が変わっていると感じているから、親子ですごい距離感が生まれる。大人はその距離感を自覚しながら、子どもとつき合っていかないとダメですよね。

――閉じこもりについて、どのようにお考えですか?
 どう考えたって、僕も閉じこもりです(笑)。それに商売によっては、閉じこもるしかない、という場合もある。だから、閉じこもりって、悪くないんじゃないですかね。それに、中途半端に引き出すのは、どう考えてもよくない。メディアは、閉じこもらないで、出ずっぱりで仕事をしたり、学校に行くのがいちばんいいことなんだ、という価値観。そんなのはウソですよ。だいたいの人間が一日のなかで、閉じこもっている時間がありますよ。↓→

――最近、池田小学校事件で精神障害のことが騒がれていますが?
 日本社会の半分以上の人が部分的な精神障害を持っていると思います。それは、高度な社会の特徴で、日常的に精神障害が起きているわけではないが、何か特定のものにふれるとおかしくなる。食べることが困難でなくなったとき、社会問題として出てきたのが、この部分的な精神障害ですね。
死にたいくらいにまいる経験
 自殺願望が精神障害だとか、言われたりすることもありますが、一度や二度の自殺願望を持たない精神なんて、あり得るの? 自殺願望なんて当たり前では?活力があふれているのに、自分がどんな道を歩んでいいか、まるで見当がつかない苦しさ、矛盾は誰でも青春時代に経験する。「死にたいぐらい、まいった」という経験は、悪くないと思う。

――水死に近い体験をされたそうですが、死をどうとらえていますか?
 おぼれかかった経験から、ちょっと考えを修正したことが二つあるんです。一つは自分の死というのは、自分のものではないということ。たとえば、人が死ぬ間際になって、意識がなくなり、医者もこれ以上手を尽くせない状況になる。そうしたら、周りの人が納得して、延命処置をやめる。いまの医学状況では、死ぬ間際の状態を自分が判断できないし、苦しいかどうかも意識がないのだから、本人はわからない。結局、自分の死はまわりの人のものになっている。
 もう一つは、死の恐怖は、生まれたときの恐怖の裏返しだということ。死の恐怖はどこからくるかと言えば、母親のお腹のなかにいるときから、生まれてまもなくのあいだじゃないか、と。親が大なり、小なりの世話はするけど、100%完璧にやったということはあり得ない。その欠落感ですよね。自分ではどうにもできないときに、不安や恐怖を感じていれば、自分の意識が芽生えてから、死を空想したとき、無意識に何もできない赤ん坊の状態を思い出して、死が怖くなるのだと思う。
結局、好きなこと
やるしかない

――不登校についてどう考えられていますか?
 僕も大学は卒業したものの、登校拒否と言っていいくらい、行かなかったですね。学校なんかどうってことないと思いますよ。ただ、大学とか学校は、行かないとすごく立派に見えてくる場合がある。よい大学に行っている人はすごく頭のいい人なんだ、と思ってしまったり、コンプレックスに感じてしまうのはつまらない。そういった思い込みを取り払ってから、好きなこと、やりたいことをするのがいいと思う。それさえ、気づいていれば、登校拒否ってのは、格別どうこう言うことではないと思う。
 どんなことでも、自分が本気になって学んだことしか自分に残らないし、身につかない。また、長続きもしない。そのことに分け隔ては何もないから、結局、好きなことを選んでやるしかない。どんな状況でも困難はつきものですけど、自分に向く困難というか、選んで困難なところへ行くべきですよね。それじゃなきゃ、耐えられない。重要なのは、いい学校に行くとか、いい会社に勤めるとかより、自分が経験したことを何回も何回も練り直して考えること。それをしなければ、人間の器は出てこないし、自分が持っている先入観にも気づかないと思います。
――ありがとうございました。(聞き手 石井志昂、子ども編集局/信田風馬・小松雄太)

吉本隆明(よしもと・たかあき)
 1924年生まれ東京工業大学卒。詩人、思想家、文芸評論家。日本の戦後思想に大きな影響を与えた思想家として、60年代より現在に至るまで、さまざまな状況に対して思索、発言を続けている。作家・吉本ばななの父親でもある。代表的な著書に『言語にとって美とは何か』がある。

2001年7月1日 不登校新聞掲載