ノンフィクション作家として、現在を鋭く切り抜く久田恵さんに、作家になられた経緯、お子さんの不登校のことなどをうかがった。久田さんは自分の経験から、親には子どものことは解決できない、親は親の人生をひたむきに生きればいい、と語ってくれた。
――なぜ作家になられたのでしょうか?
二〇歳のとき、大学をやめて家出をし、職を転々していました。同棲していた人がいて、子どもも産まれましたが、その後別れました。働きながらの子どもと二人の生活は、なかなか思うようにはいかなかったですね。
二〇代後半のころ、「子どもとテレビの会」という市民活動で編集者とのつながりができ、その人に「書く仕事をしたらどうか」と言われた。私は素人なものだから、依頼されたものだと思って、一生懸命に書いた。ところが、あとから聞くと、頼んだ覚えはないという。それなのに一生懸命になっているから「頼んだ覚えはない」とは言えなかったみたいですね(笑)。
大抵の人は、書こうとはしないし、書いても続かない。私の場合、そこで真に受けて、一生懸命がんばっちゃったのが、良かったのかもしれませんね。結局、それを出版してもらえた。
◎サーカスで住み込み
息子が保育園に行きたがらなくて、私も働かなければいけないし、困ってしまった。そこで、子どもを連れて、サーカスで住み込みで働くことにしたんですね。私にとっては厳しかったけれども、子どもにとっては天国みたいなところでした。一日中遊んでいられますからね。
そのサーカスの体験をもとに書いた『サーカス村裏通り』という作品が、大宅賞の候補にあがった。それで出版社から注文がきて、『フィリピーナを愛した男たち』を書き、その作品で大宅賞を受賞した。
物書きになったのは、三七歳のころです。それまでは、二〇ぐらいの職業を転々として、貧しい母子家庭でした。
親とも、そのころ和解して、同居し始めました。ところが母が倒れ、介護もすることになりましたが。
――作家になろうと一筋にやってきたわけでもないわけですね。
そうですね。ただ、もともと児童文学が好きで、童話をよく書いていた。日の目を見ていない作品はたくさんあります。それでも、好きなことは一生懸命やりますよね。やりたいことはやらずにいられない。家出をした二〇歳のころから、ひたすら書き続けていた。同人誌を発行したり、童話の新人賞に応募したりしましたが、一本も日の目は見なかった。だから、作家で食べていくというのは現実味がなくて、職業にしようだなんて、思っていませんでしたね。
◎不登校について
――息子さんが不登校になったのはいつからですか?
学校に行かなくなったのは高校一年からですが、ずっと学校には行きたくなかったみたいですね。小学校三年生のときに激しいチック症状を起こし、医者には「この子が学校に行っているのは不思議だ。いずれ学校に行けなくなるでしょう」なんて言われてました。
それでも、息子は学校に行き続けていました。義務教育なんだから行かなくちゃと思っていたようです。
中学校時代は、授業が終わると逃げるように帰ってきていた。部活動なんかも一切やらない。「学校にいるとロクなことがない」と言っていました。
息子は「高校には絶対に行きたくない」と言っていましたが、私は「高校ぐらいは行きなさい」と言っていたんですね。自分が介護や仕事で忙しくて、トラブルを起こしてほしくなかった。
しかし、入学式の初日ですでに絶望したみたいです。夏休みが明けて初日、息子は帰ってくるなり、倒れこんでしまった。泣いてふとんに入っていた。そのとき、これは緊急避難だと、一瞬にして気がついたんですね。それからはずっと家にいて、彼は昼夜逆転していました。
――学校に行かないことに不安はありませんでしたか?
自分自身、中学校の最初の保護者会に行ったとき、家に帰ってきて吐いてしまったんですね。よくこんなところにみんな行っているなと思いました。公立の中学校なのに、進学校に何人入ったかを競い合ったりしていた。息子にも「お母さんは学校に向いていないから、もう行かない方がいいよ」と言われた(笑)。
もっと早くに学校に行かないでいられたら、あの子は、もっと苦しまずにすんだと思います。
――『息子のこころ親知らず』という本を出されていますよね。この本は?
出版社から「息子さんが不登校をされた経験を書きませんか」という話がきたとき、息子は「親は何も分かってないからダメだ」と言う。そうしたら「じゃあ、本人に書いてもらえないか」という話になった。
その雑誌原稿を読んで、すごく驚きました。
「学校から帰ると、平和ぼけした母が『学校どうだった?』と聞いてくると、僕はむかついて『うるせえ!』と叫んでしまった」
その一文を読んだとき、この子は一人で戦場にいる気持ちだったんだ、と思いました。私の存在は視野にない。親の存在は目に映っていないし、親の言っていることも耳に入っていない。私の見えていることと、彼が見ていることとは全然ちがった。
それで、『息子の心親知らず』という原稿を書きました。その後、息子のほうも、もっと書いてくれと頼まれ、『僕の高校中退マニュアル』という本を出すことになったようです。
――子どもからすると、つらいこともあったでしょうね。
息子は、自分は世間で生きていけないんじゃないかと、すごく悩んでいる。私から見ると、そんなに悩むことないと思って、「生きていける場所なんていくらでもあるわよ」なんて言う。だけどあの子にとっては、そんなことを言われても無意味だったんですね。
体にしみてしまったこだわりがあって、それに自分で気がつくまでは、親が何を言っても反発するだけでした。
――不登校しているお子さんとご両親との暮らしが続くのですよね。
息子が昼夜逆転しているときは、私も昼夜逆転して仕事をしていた。仕事柄そういうことができた。そのころ、たまっていたものを吐き出すように話し続けることがあった。それを朝まで、ただ聞いていました。
――不登校の子どもを持つ親たちに一言。
子どもにしてみると、期待して待たれるのはつらいですよね。親は親の人生をひたむきに生きればいい。結局、子どものことは、親には解決できない。その子が自分で生きているわけですから。
それから、問題を起こしていることは大事なんだと思ったほうがいいと思いました。
息子は、不登校時代にやっていたことが、今、ぜんぶ活きているようです。本を読んでいたこと、ギター、パソコンやゲーム…。親からみてムダなことでも、その子にとって、そのとき必要なことはありますよね。
学校に行かなくなって、息子の顔がずごく変わったんですね。学校に行っているときは眉間にしわを寄せて、子どもらしくない顔をしていた。チック症状もひどかった。ところが、今はチック症状もまるでない。
私も、最近、顔が変わった、もとの天然ボケにもどったと言われます(笑)。
――お忙しいところ、ありがとうございました。
(聞き手:奥地圭子)
久田恵(ひさだめぐみ)1947年北海道室蘭市生まれ。ノンフィクション作家。
1998年11月15日 不登校新聞掲載


