
今回は太田昌国さんにお話をうかがった。太田さんは若いころから中南米や日本の先住民族の研究を行ない、社会の近代化問題を考えてこられた。今回は現在の世界情勢やテロの問題に対して、また、不登校の子どもを持つ親として、学校に行かないことをどう考えているかなどについて、お聞きした。
――なぜ、中南米の先住民の研究をしようと思われたのですか?
歴史的にみて、世界の近代化にどういう問題がはらまれていたかと考えはじめたのは、大学生のときでした。この問題の出発点は、15世紀の「大航海時代」「地理上の発見」の時代だと思います。ヨーロッパの歴史観で言えば、コロンブスがアメリカ大陸に到着したことは大発見、大事件でした。今でも教科書では、そう教えています。しかし、教えられなかった歴史としては、その後、ヨーロッパ人は、「発見」した先住民を大量虐殺し、集団的な強姦を行ない、「征服」しました。こうして、植民地支配化がなされていきました。この時期が、いまで言う世界が南北に分裂していく最初の決定的な機会だと思ったのです。南北問題が生じていく、あるいはグローバリゼーションの問題につながっていく出発点でもあります。
ソ連の崩壊後、「グローバリゼーション」という言葉が使われてはじめましたが、それは一つの政治的、経済的、軍事的、文化的価値などが唯一絶対の力をふるって、一つの単調なかたちに世界を塗り込めていくことだと思います。耐えがたいことです。
日本の近代化は明治維新からはじまりました。まず蝦夷地や琉球に侵入し、征服して、その後台湾や朝鮮を植民地化し、自分たちの近代化のために他民族の土地を侵しました。ヨーロッパと日本では時期が3世紀半ほどずれましたが、近代化への方法は同じです。
私たちはいま、南北間の格差や環境問題をかかえていますが、それは、ヨーロッパ、アメリカ、日本など世界のごく一部の産業先進地域の近代化の過程で作り出された一面が強い。植民地化というかたちで、他民族を犠牲にした近代化の過程を問い直すことが重要だと考えたのです。
世界でもっとも大規模な異民族どうしの出会いが行なわれたアメリカ大陸を出発点にしようと思ったのです。
◎ひとりの人間として
――具体的にはどうやって学ばれてきたのでしょうか?
29歳のときから3年間、メキシコを拠点にヒッピー的な旅行をしたのが最初です。研究機関や大学には所属しませんでした。民間のひとりひとりの人間が地球的な問題を考え、積み重ねていく方法があるはずだ、と思っていたからです。もちろん、全共闘時代の雰囲気のなかで学生時代を送っていますから、大学アカデミズムから離れて、という気負いもありました。
そして、現地に行くことは大きな経験になりました。土地の人の手になる優れた本を読み、講演会に行き、関心のある人たちとディスカッションしました。当時はメディアが、いまほど発達していませんから、現地に行くまでは、活字の情報しかなく、日本で勝手に想像して、知識だけが肥大していた面もありました。
――現在の南北問題をどう捉えていますか?
私たちはイギリスの産業革命は世界に先駆けたものだと習います。では、イギリス人がとりわけ勤勉で、知力に優れ、才覚や力が飛び抜けていたから産業革命が起きたのでしょうか? 当然のことですが、多くの国々を植民地化し、原材料・資源を大量に搾取したことと関連しています。産業革命に象徴されるような近代化は、圧倒的な政治力、軍事力、経済力を背景にして、ほかの国を不平等な関係で支配しているから、可能なのです。現在の南北問題のよって来るゆえんは、ずいぶんと歴史的な不平等さが積み重なってきた結果です。
だから、現代的なよそおいの貿易協定や取引基準をつくっても、スタート地点がちがうのですから、けっして対等にはなりません。そればかりか先進国は、自分たちの既得権を擁護するような基準をつくり、貧しい国をもっと苦しめる条件に設定しようとしています。貧しい国で志の高い政治家が出たとしても、民衆が一丸となっても、いろいろな妨害にあいます。南北問題は、欧米や日本の内部から、この不平等な関係を変えていこうとする動きが起こらないと、解決できないと思います。
◎テロが起きる背景は
――テロについては、どう思われていますか?
いわゆるテロがいちばん起こるのは、米国とイスラエルです。このふたつの国は、自分たちの身に何かが起きたら、すぐに圧倒的な軍事力で制圧してきました。イスラエルは地域的に、アメリカは世界的なかたちで、反抗するものを抑えつけてきました。
しかし、人間の社会にはあまりにも不平等、不公平があります。不平等を押しつけている側は、平和的な訴えに聞く耳をもちません。国連も無力化しています。そこで、多くの場合、絶望的、悲劇的で、積極的なものを何も生み出さない手段としてのテロが生まれます。
「そんな奴はせん滅すればいい」とアメリカやイスラエルは信じて疑わないから、暴力がくり返され、今日に至っています。
昨年の9・11事件では、はじめてアメリカ国内の施設やビルに対して、国家ではなくある特定の集団から、すさまじい攻撃を受けました。アメリカは「反テロ戦争だ」と言って、アフガニスタンに対して、今なお爆撃を行なっています。この行動を世界中の指導者が支持してしまった。それによって、9・11以降は、世界的なかたちでテロが拡大してきました。
もちろんテロによって、たくさんの一般人が傷ついていますし、テロはよくないし、テロに積極的な展望はないと思います。しかし、テロが悪いとは誰でも言えます。やはり、根拠を突き止めてなくす方法を考えなければ、永遠に続くと思います。圧倒的な力を持つ側が生み出すグローバリゼーションの本質を文明論的に考えなければいけません。
――今後、どうなっていくのでしょうか?
現状を変えるために省みなければいけないのは、力まかせに振るまってきた側で、辛酸をなめてきた側ではありません。第一がアメリカです。それから、G7と言われる、世界の経済、政治、軍事を取り仕切ろうとするヨーロッパの国々や日本です。自分たちの5世紀の歩みをふり返り、反省して、少しでも公正な秩序をつくるようにしなければ、この絶望的な状況を変えていくことはできない。現在、北朝鮮の拉致問題が話題になっています。この悲しむべき事件を通して、私はヨーロッパとアメリカと日本が近代化の過程でやってきた、たくさんの「拉致」問題を思い起こしています。日本は中国人や朝鮮人を、ヨーロッパは黒人奴隷を拉致してきたのです。それをふり返らないと、歴史的な公正さは保障されません。
◎あきらめず豊かな可能性を
――一人ひとりができることはあるのでしょうか?
一人ひとりに戻って、あるいは集団でできることと、世界情勢を規定している圧倒的な力を考えた場合の落差はあまりにも大きいです。目がくらむし、かなわないな、と思ってしまいます。でも、あきらめてしまえば、同じ歴史がくり返されます。もし、僕が言った歴史の捉え方が正しいと考えるなら、歴史や世界の捉え方が変わり、自分の根本に関わるところまで変わる実感、楽しさ、刺激があると思います。それに基づき動き出す、豊かな可能性を個人が選択すればいいのだと思います。もちろん、限界のあることしかできませんが、対する壁に絶望せず、自分が変わり、接する人たちが変わり、関係性が変わるといった具体的な手応えはあるはずです。
◎「反」ではなく「非」「脱」の発想
――話は変わりますが、お子さんが学校に行かなくなったときは、どのように思われましたか?
子どもが学校に行かなくなったのは小学6年生のときですが、最初は行かせようともしました。何回かは力まかせに行かせようとしたこともあります。ただ、行かない理由を聞いてからは、行かなくてもいいじゃないかな、と思いました。
日本の場合、近代化の過程がヨーロッパに比べて急速だったので、学校は揺るぎない存在として、明治維新期から機能してきました。高度経済成長社会のなかで、産業社会と直結して、これだけの管理社会になって、工場や会社のあり方を反映する、学校工場になったわけです。そのあり方を疑って、飛び出していくことは、産業社会を体現する親や社会全体の圧力に真っ向から対峙することです。僕らの時代は学校なり、教師なり、イヤだと思ったら、反抗して変えていこうという発想、「反」やアンチという発想でやってきました。しかし、いま学校に行かない子どもたちは、体制のなかにとどまるのではなく、別のあり方を求める「非」や「脱」という発想なんだと解釈しました。
学校から離れて生きるということは、社会の問題を根元から疑って、自らその道を歩んでいくことだと思います。
(聞き手・石井志昂)
2002年11月1日 不登校新聞掲載


