5月特集は、Fonteで毎号掲載される「論説」をアップします。アップ予定は下記のとおり。
1週目:芹沢俊介さん
2週目:山下英三郎さん
3週目:大田堯さん
4週目:小沢牧子さん
5月特集は、Fonteで毎号掲載される「論説」をアップします。アップ予定は下記のとおり。
1週目:芹沢俊介さん
2週目:山下英三郎さん
3週目:大田堯さん
4週目:小沢牧子さん
1999年11月に起きた文京区の女児殺害事件について雑誌『正論』(2月号)に「教育家族の闇から」という20枚ほどの原稿を書いた。その後出てきた取材記事などを注意してみていたけれど、いまのところ、この文章を訂正する必要はないと思った。そのなかから繰り返し強調しておいてむだではあるまいと思える点を、いくつか記してみたい。
凶悪な殺人や暴力、痛ましい児童虐待など、私たちの社会では絶えることなく胸を塞がれるような事件が頻発している。そのたびに、事件に巻きこまれた人々が受けた傷の深さを思い、言葉を失ってしまう。誰もが幸福や平和を願いながら毎日を過ごしているのにもかかわらず、現実の社会には憎しみや怒りが満ちあふれている。どこでどのように暮らしていようとも、そうした否定的な感情から解放されることはなく、身辺から地球レベルにわたるまで飽きもせず、人はおたがいを傷つけあうことを繰り返している。
曾野綾子さんの産経新聞(10月29日)「正論」の文章「再び言う。教育は強制から始まる、と」を読んだ。ほかにも、この主張に関係のある『文春』10月号の座談会での発言や、すぐそれに次いで、「曾野綾子[分科会報告]全文」と称する異例の会議報告がある。
「空気を読む」とか「KY」とか、イヤな言葉が流行っている。若々しい心身を持つ人たちがこの臆病な言葉にとり込まれるとはどうしたことだ! と七十老人のわたしは、すっかり腹を立てている。「そんなにムキにならずに。冗談、冗談」という声もあろうが、そうはいかない。自分ではふだん若者言葉に目くじらを立てるほうではないと思っているが、今回ばかりは「空気を読むを死語にする運動」を立ち上げたいと思うくらいだ。この言葉が「多数派の空気に従え」という陰湿な圧力を含んでいると思うからである。こんな言葉が流行する時代は、まさに危ない。