――イラク戦争について思うことを

 とにかく、あの戦争はメチャクチャです。何もしていない相手を調べあげたあげく、一方的に攻撃をはじめた。こんな非常識で、やりたい放題の戦争は、見たことがありません。
 もちろん、戦争はすべてがよくない。筋力でものごとを解決しようとするのは、人間として最低のことです。人間は戦争をやめようと思えば、やめられるはずです。少なくとも、日本は戦争放棄の憲法があるのだから、世界各国も戦争放棄の憲法を持つことができるはずです。

◎ 軍備は市民を守らない

 また、今度のイラク戦争は、軍備の無意味さを証明したと言えます。事実、イラクの軍備は何の役にも立たなかった。たいへんなのは一般市民です。軍備の本質は、市民を守るためではありません。アメリカでも、軍備増強のために福祉や教育が遅れています。軍備は国家をつぶすのだと思います。
 アメリカは個人が銃を捨てられず、西部時代から「銃を持っていないと危ない」という考えから抜けられません。そのために、アメリカでは子どもが銃事故の被害者にも加害者にもなっているし、強盗も起きやすくなっている。それと同じように、軍備もないほうが安全なのに、不安や恐怖にかられている人が多い。
 いま、先進諸国では、一般市民が銃を持たない国のほうが多くなりました。それでも、困ったことは起きていません。軍備にも、同じことが言えるはずです。

――死刑問題に関わるようになったのは?

 小さいときから、人殺しはよくない、死刑は人を殺すわけだから、野蛮な刑だと思っていました。けれども、世間では、死刑はあって当たり前という意見の人が多くて、「死刑廃止」なんて、驚くほどマイナーな運動でした。
 たとえば1980年、参議院議員に立候補したとき、「死刑廃止」を公約に掲げたのは私のほかにいませんでした。その後、「死刑をなくす女の会」を立ち上げ、しばらくしたら、国際世論は死刑廃止に傾いてきました。国連で死刑廃止条約が発効し、これに反対しているのは「先進国」ではアメリカと日本だけです。
 死刑廃止を言うとき、「被害者の気持ちを考えて」という意見もあります。しかし、死刑は被害者のためにあるわけではありません。被害者が望んでいなくても、死刑判決は下されています。そこにあるのは、悪いことをしたヤツは罰して取り除こうという意図です。その考えは、精神病者は病院に閉じこめておこうとか、障害者は役に立たないから施設に閉じこめようというような発想につながっていく。

◎ どんな正義があろうと

 どんな犯罪者であろうと、その人の命を左右する権利は誰にもありません。たかが紙切れ一枚の法律で、命を殺してしまっていいはずがない。どんな正義があろうと、殺人を否定しなければ、世の中は平和にならない。だから、私は死刑に反対しています。
 戦争も同じです。戦争では、どちらも正義を掲げます。正しければ戦争をしてもいいとするなら、絶対に戦争はなくならない。

――では、刑罰はどうあったらいいと?

 刑罰は、教育刑でなければならないと思っています。人はかならず変わることができる。まちがいを犯した人も変わります。その変わるきっかけが刑罰であるべきです。いまの懲罰主義の刑罰のあり方では、人を悪くする一方です。再犯率を低くしようとするならば、教育刑に変えていかなければいけない。たとえばスウェーデンでは、監獄から大学に通う人や、ジャーナリストになった人もいます。これは、人権感覚が高まる国では実際に行なわれていることです。
 償いは、本当のところ、自分でしかできないものです。言われたことだけやって済むものではありません。いま、監獄でやっていることは、何でも命令に従う人をつくるだけです。
 法律は、ややもすると国家や社会が一番大事なことのように押しつけてきますが、国家や社会なんて、言ってみれば幻想です。本当に大事なのはここにいる私であり、あなたであるはず。けれども、幻想である国家や社会が肥大化しだすと、ジャマな人間を排斥しはじめる。ひどい場合には殺してしまう。その際たるものが戦争や死刑です。

◎ 政治と自分とのつながりは

――若者の政治離れが進んでいると言われますが?

 私も20歳ぐらいまではノンポリで、自分の人生と政治がどう結びついているかわからなかったし、選挙にも行きませんでした。
 関心を持ちはじめたのは70年代のウーマンリブ(女性解放運動)からでした。女の子ゆえに差別されていることがたくさんあって、ウーマンリブが活発化しはじめたとき、私の考えと関係あるみたいだなと思ったんです。
 女性差別の問題は、最初は意識の問題だと思っていました。男と女の意識を変えなければいけない、と。しかし、よく考えてみると、国会でつくる法律によって差別が生まれることがいっぱいあるんですね。
 差別を受けてきた人は、政治とつながりやすいと思います。自分の人生と法律がぶつかったとき、政治と自分がつながる。私の場合は、ウーマンリブから、ほかの差別の問題や、社会の仕組みが見えてきたように思います。

◎ 芸能の世界で見えたこと

――子ども時代は?

 まともに学校に行ったのは小学校4年生ぐらいまでです。あとは子役との2足のわらじで、とにかく忙しかった(笑)。
 だから、学校とのつきあいはクールでした。学校にも先生にも多くを期待しなかった。忙しくなる前は優等生だったから、親も近所の人も大事にしてくれるし、勉強ができない人間はダメだと思っていました。とんでもない子よね。
 でも、芸能の世界にいたことで見えたことがたくさんありました。たとえば、俳優さんには勉強が全然できない人もいれば、東大出た人もいるけど、どっちにしたって大根役者だったらダメなのよ(笑)。そういう世界を知ったことは、ほんとうによかったと思います。
 それで、それまで無視していた成績のよくない子と話しだすと、すごくおもしろくてね。すてきな子がいるんだと気がついた。忙しかったけれど、学校にだけ行っていたらと思うとゾッとします。学校しか知らない人は、知恵がないと思います。

――不登校については、どのように?

 不登校って、心身が学校に向かないんでしょ。だったら、学校なんて行かなくていいわよ。短い人生なんだから、やりたくないことをすることはない。私はそう思います。読み・書き・そろばんみたいな知識は力だから、知識がないために弱い立場に立たされることもあると思います。でも、そんなことは、学校の外でも得ることができるし、何より、やりたくないことを強制される苦しみを味わうことはない。
 私も学校はつまらなかった。学校が楽しかった人というのは、たいがい学校へ遊びに行ってた人です。学校が遊び場として機能しなかったら、こんなつまらないところはないですよ。

――最後に一言

 私はアイドルだったから(笑)、まわりから見れば自信たっぷりに思われていたかもしれません。けれども、女ゆえにいろんな場面で差別され、女は男よりダメなものだ思いこまされていました。でも、ウーマンリブに関わるなかで、どちらの性がいいなんてことではなく、女性だからと言って気持ちを委縮させることはない、と思えるようなったんですね。人間は与えられた条件、持って生まれたものをまわりの人に肯定してもらって、はじめて自分自身を肯定することができるのだと思います。ウーマンリブでは、私たちはおたがいに肯定し合いました。「いいのよね、女で」「絶対いいのよ」と。そこで元気になって「じゃあ、生きていこう」と思えた。そういうことがないと、人生の足腰が定まらないように思います。同じように、男の人でも、不登校の人でも、肯定しあうのが絶対に大事。それで、自信がつけば元気に生きていける。もちろん、つまんないことや失敗があって、めげることもあるけれど「私はこれでいいんだ」と立ち戻れる。大切なのは、自分を肯定できることです。
――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂)

(なかやま・ちなつ)
1948年熊本生まれ。1959年『がめつい奴』(芸術座)をはじめとする舞台で子役として、以後、俳優、歌手、TVタレントとして活躍する。70年ごろから著作活動をはじめ、77年、市民の政治参加をめざした政治団体「革新自由連合」の結成に参加、代表の一人となる。80年から参議院議員を一期務める。現在は著作活動に専念するかたわら、死刑廃止運動など市民運動を続けている。著書は『ヒットラーでも死刑にしないの?』ほか50数冊。