今回お話をうかがったのは松崎運之助さん。30年以上にも渡り夜間中学校に勤め、山田洋次監督作品の映画「学校」の原作者でもある。いつ入学してもいい、一律の指導要領がない、年齢も国籍も境遇もバラバラ。そんな「学校」にある学びとは何なのか。夜間中学校のころのお話をうかがった。
――夜間中学はどんなところなのですか?
夜間中学は公立ですがいろんな人たちを受けいれています。年齢は10代から80代ぐらいまで。人数は80人ぐらいで、半数以上は外国籍の方たちです。夜間中学はいつ入学してもかまいません。なによりも自分から行こうと思う気持ちが大事だと思っていますから、それが9月だろうが、2月だろうが、いつだって、思いたったときが、その人にとって一番いいスタートになると思っています。
――どんな人が通っていましたか?
本当にさまざまですね。おせっかい好きのオモニ(朝鮮語で「母」の意)たちや、がらっぱちなおっちゃんたちも、中国の残留孤児の孫やタイやフィリピンからやってきた子たちもいます。親がサラ金に追われて、いっしょに逃げまわりまったく学校に通っていなかった子や、児童擁護施設を脱走して暮らしていた子も、最近は増えてきましたね。
そういう人たちが時期を問わずに学校を訪れてくれます。同じような年齢や境遇の人たちだけなら、人間関係にしても、勉強の進み具合にしても、なんとか想像がつきますが、こうなるとさっぱり想像がつかない(笑)。
◎予想できないおもしろさ
僕も30年間、やってましたが毎度、驚かされていました。ただ、この「ちがい」こそ夜間中学の宝だと思っています。まったく自分とはちがう人と出会うこと、想像もしていなかった人たちと出会うこと、そのなかで自分の眠っていたものを呼び起こされるようなドラマがあります。
――どんな授業になるのか想像しづらいですね。
そうなんですよ(笑)。ネットで情報通の子から、ひらがなも書けないけど耳学問でたくましいおっちゃんもいる。まず一律の指導要領はありえません。教員がつくっていくしかないんです。
それにいろんなことがあるんです。ある日、僕がみんなにやってもらうためのプリントを持って、教室に入ると、教壇の上にまんじゅうが置いてありました。「えっ? 何?」って聞くと、おばあちゃんが「今日は娘の命日で……」と。聞けば一人娘だったそうです。ほかに身よりもなく誰にも話せないので「みなさんに、一言、ご報告したくて」と。もうこうなったら、みんなで娘さんの話をしますよ。まさか、用意していたプリントなんて出せる雰囲気じゃない(笑)。いつも何が起きるかわからない。でも、生活ってそういうことのほうが多いですからね。
夜間中学での学びって何だろう? と思うんです。一つは卒業資格ですが、それだけではありません。夜間中学は来ても来なくてもいい場ですから、そこになぜ人が来てくれるのかと言えば、それは安らげる場の一つになれているんだろうな、と。キザな言葉で言えば、みなさん魂が休める場所、それを探している感じなんです。
――夜間中学は、むしろ先生のほうが合わないということもあるのでは?
やっぱり「だらしないと」思う先生もいますよ。夕陽に向かって生徒といっしょに土手を走りたくなるような先生はつらいでしょう(笑)。
夜間中学に来る人たちは、長年をかけてたたき上げた自分を持っています。路上生活を40年間も50年間もしてきた人の話を聞くと、その生き方は見事です。指導なんてとんでもない。本当に厳しい暮らしをしなやかで自由に生き抜いてきました。僕が「一度やってみたいな」と言うと、「先生にゃムリだよ、あのね、俺らは貧乏鳥だから破れかぶれで飛んでいけるんだ。けれども、お金を持っている人は、それが重くて飛べない」って言われてしまう。スカッとするでしょ。
――教えるより、教わってしまう(笑)。
いやー、教員だから教えたいことは教えたいんですけどね(笑)。
もちろん、ひらがなや漢字を書けるようになった人はたくさんいます。ひらがなを教えるとき、最初、僕は「あ」から教えていました。でも、これはひらがなの書けない人にとっては、拷問みたいにつらいんです。「あ」ってカタチが複雑でしょ。だから、最初は「つ」にしました。教室で「釣り針を書いてください。そうすると、それは『し』という字になります。次に『し』を横にすると『つ』になります。はい、今日はここまで。もう余計なことを考えないでいいです。今日の帰り道、『し』や『つ』がみなさんの前に飛び出してきますよ。楽しみにしていてください」って。
◎ ウソがない言葉自分がいる学び
次の日に、年配の生徒さんが飛びつかんばかりの勢いで「先生、帰り道に『し』も『つ』もホントに飛び込んできました、うれしいよ~」って言うの。僕はひらがなを教えたんだけど、それ以上に教わるんです。「昨日まで見えなかったものが見えてくる。うれしい!」って言われる。これが勉強だなって。それは忘れていた大事なことなんですね。
みなさん一画一画、ノートがデコボコになるまで力を入れてひらがなを書ています。こういう学びには気持ちが入っています。教えるのは僕だけでなく、若い生徒さんも教えます。そうすると「にいちゃん、ありがとう、頭がいいねえ」ってお礼を言う。やさしい小学一年の漢字なので、ふつうなら「バカにしてるの?」と思う場面かもしれませんが、みなさん本当に心から感謝しています。言葉にウソがない。だから、教えるほうもいっしょに喜べるんです。いまの子たちは地名も漢字も英語もたくさん覚えるけど、そこに自分の気持ちや感性を入れることができません。勉強をすればするほど、自分がなくなっちゃう感じではないでしょうか。それが勉強だなんて、思わされたら誰だってイヤになっちゃいますよ。
――不登校で印象的だった人はいますか?
冬の寒い時期に見学にやってきた子で、小学校2年生からいじめによる対人恐怖の人でした。彼女はこれまでいろんな専門家に診てもらったし、薬も山ほどもらってました。初めて来たときも顔は能面みたいにコチンコチンで、体中が緊張してました。
学校に通い始めてからも、やっぱり緊張していて、ノートも開かないし、給食なんて絶対に食べない。途中で泣き出しちゃったり、外へ飛び出しちゃったり、教員のなかでは「専門家に任せたほうが」という意見もありました。でも、毎日、通ってくるんですよ。僕はきっと彼女にとって大事な場になっていると思えたんです。それから、半年間ぐらい経って、みんなにとって空気みたいな存在になっていました。カゼで10日間ぐらい休んだときなんか、みんな心配で心配で大騒ぎしてましたからね。
それからまたしばらく経って、その子が急に「お腹が空いたよ~」って甘えてきたんです。もう、みんな目が点になっちゃった。ずーっと緊張していて、みんなの前では絶対に物を食べなかった子が甘えてきた。すごくうれしいことでしょ。オモニなんて「給食の時間までもう少し辛抱しなさいね」とか言いながら泣いてるし、僕もめちゃくちゃ泣けました。ああ、人間っていいもんだな、こういうのは理屈じゃないよなあって思いました。
魂が休まるというのが、すべての前提だと思うんです。勉強をしたいと思っていても、心が開かれなければ、いたたまれません。それでも「ここに居ていい」と思える場が一つでもあれば、それこそが大事だと思っています。
――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂)
(まつざき・みちのすけ)1945年旧満州生まれ。明治大学第二文学部を卒業後、江戸川区立小松川第二中学校夜間部、足立区立第四中学校夜間部などに勤務 。06年3月に教職員を退職した。山田洋次監督作品の映画「学校」の原作者。著書に『夜間中学があります!』(かもがわ出版)、『母からの贈りもの』(教育史料出版会)『学校』(晩声社)など。


