浦島佐登志さん

今回は、恩寵園事件で子どもたちを支える会をつくり、支援してきた浦島佐登志さんにお話をうかがった。

――恩寵園に関わったきっかけから教えてください。

当時、千葉こどもサポートネットの代表をしていましたが、恩寵園のことはまったく知らなかったんです。仲間からひどい施設が県内で問題になっているとは聞いており、自分も都の福祉局にいて、かみさんが児童養護施設に勤めていたので、児童養護施設についての知識はありましたが。

1996年、13人の子どもたちが恩寵園から児童相談所に逃げ込んだことが報道され、はじめて恩寵園の実際を知り、驚きました。かみさんが「千葉県内で市民運動をしていて養護施設の現状を知ってるのは私たちぐらい。私たちで何かやらなきゃ」って言ってね。

その後、恩寵園事件に関わる弁護士の山田由紀子さんに「行政側の動きが遅く、弁護士だけでは運動がつぶれかねない。子どもたちを支える市民の会をつくってほしい」と言われたんです。基本的に僕は人に頼まれたらイヤだと言えない人間でね(笑)。96年6月「恩寵園の子どもたちを支える会」を結成しました。

しかし、僕は考えが非常に軽かった。3カ月もあれば園長のクビは飛ぶと思ってたんです。ところが県が不思議なほど動かない。

気持ちが変わったのは、職員の全員13名が辞職して、施設から去った子どもたちと接するようになってからです。

子どもたちの話を聞くと、元園長は人ではないと思いました。子どもたちは傷つけられていたし、サポートが必要だった。それで、僕と池口紀夫さん(千葉こどもサポートネット現理事長)の二人で面倒をみることになりました。

◎すさまじかった子どもたちの生活

恩寵園を追い出された子どもたちの生活といったらすさまじかった。当時、16歳の女性の家に行ったら、シンナーパーティーの真っ最中で、暴走族が20人ぐらい集まっていた。彼女は施設を追い出されたあと、父親のところに行ったものの、父親が面倒を見きれず、亡くなった母親名義の家に置いていかれてしまった。話を聞くと園長に対して「あいつのことを殺してやる」って叫ぶ。そのぐらい、自分の人生を奪われたという思いがあった。

僕は2週間に1回ぐらい、彼女の家に顔を出し、ご飯を食べさせたりしていました。そのうちに、彼女の、甘えていいのかな、裏切られたらイヤだなという心の揺れがわかりました。

彼女がその後、いろんな仕事しながら、初めて自分の部屋を借りて「これがあたしの城なんだよね」と言ってくれたのが印象に残ってます。そういう自分をつかんだことがすごいと思う。あの過酷な状況からでも、自分をつくりあげる力が本当に備わっていたんだと思わされました。

彼女はいま21歳で働いています。僕は5年間付き合って、時間はかかったけど、よかったなと思ってます。自分の人生を自分で選べるのは本当に幸せです。そういう出会いがあるから、今でもこの活動を続けていけるんだと思います。

――活動のなかで「出会い」は多かったのですか?

子どもたちとつながっていくことには時間をかけました。子どもたちや卒園者の面倒は僕とかみさんがみていました。みんな悲惨な状態で生きていました。資力があれば、抱えこんで生活させたいと何度思ったか。それができないから、できる範囲で助け合いました。

そうやって付き合うなかで、子どもたちが少しずつ前向きになっていった。細々とカンパをもらったり、講演会を増やして資金をつくったりしました。

一方で裁判も進行していて、詳しい事実がわかるほど、あの恩寵園に5年から十数年もいた子どもたちが気の毒でした。

――「恩寵園の子どもたちを支える会」はその後は?

正直に言って、恩寵園虐待問題で疲れきってしまっていたんですが、そんなとき、佐々木朗さんの『自分が自分であるために』という本が刊行されたんです。彼は児童養護施設「生長の家神の国寮」の卒園生で、そこでの虐待の実態を書いていました。これはこのままにしておけないと、神の国寮の裁判を支援することになりました。会の名前も「施設内虐待を考える会」と変えました。最初は事務局3人くらいでひっそりとスタートしたんですが、全国あちこちから、施設でのひどい虐待の話が飛び込んできて、こじんまりやろうとしたのに、それどころじゃない(笑)。

――虐待のある施設は多いんですか?

多いですね。この4年間で、全国で14人くらいの園長ないし副園長が解雇されています。いま裁判になってるのは4件。東京の神の国寮、千葉の香取学園、恩寵園、岡山の津山二葉園です。それに、裁判にはなっていないものの、まだ改善されてない施設もあります。

――どうして、そんなに多いんでしょう?

一つは、多くの施設長たちが、養護施設を自分の家業としてやっていることがあります。世襲的に受け継いだ商売になっていて、国の事業を委託されて児童福祉をしているという意識がない。だから、施設の環境を向上させようともせず、手っ取り早く抑えつけて管理している。

問題のある施設には共通点があります。それは子どもと職員の接点がないことです。施設の構造としては、でっかい食堂と寝る部屋だけ。昔の恩寵園では家庭でのリビングみたいな場所がない。寝室も8人部屋で、2段式のパイプベッド。常にまわりの目を意識しなくちゃいけない。

◎福祉・医療の人材が乏しい

恩寵園の卒園生は「園長が王様で、職員が平民で、私たちは奴隷」だと書いていました。

施設内虐待を考える会でも、虐待防止法改正を訴えていますが、法だけでは実態は変わらないでしょうね。虐待を受けて施設に入ってきた子どもに、翌日から「ちゃんとした生活をしなさい」なんて平気で言う施設もあります。それで子どもが立ち直れるはずがない。

だから、福祉を学ぶ専門学校や大学にはちゃんとしてほしいです。日本は福祉、医療の人材が乏しすぎます。最初は子どもが好きで入ってきた人たちがあっという間に管理主義に潰れてしまう。

――虐待で受けた傷というのは、とても深いものがあると思いますが?

そうですね。ふだんは意識しなくても、何かの拍子に出てきたりします。たとえば虐待している親に共通してるのは、虐待の自覚がないことです。自分が育てられたように、子どもを育てている。本当に暴力は連鎖するんです。

恩寵園裁判の打ち合わせのとき、駅のホームにのぼった瞬間、卒園生の子が固まって震えていたことがありました。どうしたのかと思ったら、元園長がホームの階段を下りてきたんです。

あるいは、岡山の津山双葉園で、朝3時に起こされて、学校に行くまでずっとパンを作らされていた子がいました。しかも無償労働です。その子は今でもパンを食べられません。トラウマになってるわけです。

――本当にすさまじい現実と向き合っていて、疲れはしませんか?

でも、若い人とあえぎながら生きているのは楽しいですね。どんな子どもであっても、人間なんだから、いつかわかってくれるって言い合ってます。だから、それまでそばで寄り添ってつきあっていけばいいと。

――ありがとうございました。(聞き手・信田風馬)

※2004年10月15日、2004年11月1日 Fonte掲載