
2008年7月、厚生労働省は、全国の児童相談所が相談を受け対応した児童虐待件数が過去最多の4万418件(速報値)にのぼったことを発表した。統計を開始した90年には1101件だった相談件数は年々増加の一途をたどっており、相談件数1万件を超えた99年より8年足らずのあいだに、その4倍を超える結果となった。Fonteでは2004年6月から12回に渡り児童虐待について連載で取りあげてきた。その連載のなかから、インタビュー記事を紹介していきたい。
今回は、弁護士であり、子どもシェルター「カリヨン子どもの家」に関わる坪井節子さんにお話をうかがった。
――虐待問題に関わるようになったきっかけは?
少年事件の付添人は、子どもたちがそれまでどのような人生を歩んできたか聞きとるわけですが、かならずと言えるほど、虐待の影が見えるんですね。その子たちは、親や大人から人として尊重されず、愛されずに育ってきていた。この子たちが、生まれながらの犯罪者のはずがない。育つなかで、人間を信頼できなくなり、自分を傷つけ、人を傷つけていったんだと、実感するようになりました。
もう一つは、1986年から「子どもの人権救済センター」という東京弁護士会の活動が始まって、虐待問題で動くようになりました。親権者から子どもを救うため、親権を停止もしくは剥奪するケースがある。あるいは、親が子どもを施設に入れることに同意しない場合、家庭裁判所に児相所長の代理人として審判を申し立てるとか、そういう関わりが出てきました。
――今までで印象に残った出会いは?
13年前に出会った16歳の女の子は、覚醒剤取締法違反で逮捕されていました。中2で覚醒剤を始めていて、小5でシンナーを吸っていた。「見たくないことがたくさんあったから」って。
彼女のお父さんは、ものすごく暴力を振るう人で、お母さんが逃げると、ヤツ当たりで子どもたちが殴られていました。小さな妹が殴られそうになって、金属バットで身を守ろうとしたら、ビール瓶を割って殴りかかってきたって……そういうことが毎日くりかえされて、それでも、どこにも逃げ場がなかったんです。
小さな子どもたちは、親以外にすがるところを知らないんですね。どんなに虐待されても、親にしがみつかないと生きていけない。だから彼女も、小5くらいまでは、ひたすら虐待に耐えて、体を固くしているしかなかったんです。
でも、5年生くらいになると、家から飛び出すくらいのことはできるようになるわけです。しかし、どこにも行く先がない。それで不良グループに入って、先輩から「これを吸えば忘れられるよ」ってシンナーを勧められた。10歳で、もう何もかも忘れたかった。
自分の命なんか…
警察に補導されて家に連れ戻されると、また父親からは殴られ、母親からは「あんたなんか生まれてこなければよかった」って言われる。それで、怖いものがなくなったって言うんです。生きていても死んでも同じ、自分の命なんかどうでもよくなったって。だから刺青、根性焼き、リストカット、シンナーって、自傷行為だらけでした。中学生のときは何度も家出して、暴力団に拾われて、覚醒剤打たれて、売春やって、16歳でもうボロボロでした。
子どもが、これほどまでに傷ついている。そういう子たちが犯罪を犯して少年事件になっている。大人たちが、子どもたちを犯罪者にしているんです。当時は、まだ虐待は、それほど社会問題化されてなかったけれど、子どもたちが大事にされないで、そういう人生を送らされている現実に出会ったわけです。
――その子に、坪井さんはどう関わられたんですか?
シンナーが悪いとか、そういう次元じゃないですよね。私が言えたのは「私は、あなたに生きててほしいと思ってるからね。それだけは信じて」ってことだけ。
彼女は少年院に行って、その後、一人で暮らしていかなきゃならなくて、夜の商売に流れたり、妊娠させられて赤ちゃん残して逃げ出したり、いろんなことがあったけど、ギリギリになると、SOSの電話をかけてくれたんです。
いま彼女は29歳で、やさしい人と再婚して4人の子どもがいます。それで「私は、自分がされた虐待はくり返さないよ」って。
このあいだ、近所の公園で、中学生がシンナーを吸ってたら「シンナーなんか吸うんじゃないよ」って取り上げて、家に連れ帰って、ご飯食べさせたんだって。「こういう子の気持ちは、シンナー吸ってた私じゃないとわからないよ」って。「私は坪井さんと出会って、人間ってこういうもんなんだって少しずつ教えてもらった。だから、自分と同じように苦しんでる子どもに、自分のできることだけはしたい」って。
彼女は、私の希望の星です。どんなになっても子どもは生きていける、あきらめちゃいけない、見捨てちゃいけないって。気持ちが真っ暗になる事件もいっぱいありますが、この子たちのことを思い出すと、あきらめることはできません。
――親の問題については、どのように?
虐待事件に出会うと、虐待をする親たちの育ちの悲惨さを実感します。親自身が愛されず、大切にされずに育っている。しかも、現在も孤立している。
子どもでも大人でも、孤立は、人間を人間じゃなくしてしまいます。孤立して社会から切り離されてしまった大人が、自分の子どもだけと向かい合うところから虐待は始まります。それに対して、誰も手を差し伸べられない状況がある。苦しい育ちをしてきた人のなかでも、犯罪や虐待に走らずに救われているのは、誰かとつながっていた人なんですね。助けを求められる輪は、人間が生きていくうえでは不可欠なものです。
たとえば少年事件では、家裁調査官や裁判官、弁護士など第三者が強制的に介入するでしょう。そこから、親子関係の回復がはかられることもあります。ですから私は、少年事件はマイナスに考えるべきじゃないと思っています。子どもの救いでもあり、親の救いでもある。誰かに相談していいんだよ、肩の力を抜いていいんだよって。
いま、虐待の市民ネットワークを広げていますが、それは監視網ではなくて、苦しんでいる親がSOSを出せるようにネットワークしようということです。親が追いつめられたら子どもは救われません。子どもを救うためには、孤立した親たちを救わなければいけない。ただ、事件になってからでしか、つながれていないのが悲しいですね。
◎今晩帰る場所がない
――カリヨン子どもの家を始めるきっかけは?
いろんな子どもたちと出会うなかで、どこか逃げるところがあったら、こんなことにならないですんだっていう思いがありました。どうしてもっと早くに家族以外の人が救ってあげられなかったんだろうって。
子どもたちには、逃げる場所、駆け込み寺がない。児童相談所の一時保護所はありますが、子どもたちは、困っても役所には行かないですよ。一時保護所は茶髪やピアスはダメっていうし、犯罪傾向を持ってる子も多いっていうし、出られなくなるんじゃないかって不安もあるし……。だから、子どもたちが安心して相談できて、しかも体ごと、衣食住ごと守ってくれるところが必要なんです。
子どもは、衣食住を自分でまかなう力がないわけです。相談を受けていて、弁護士の限界を感じたのがそこなんです。子どもたちに「今晩帰る家がない」って言われたとき、どうしようって。私たちはどこにも施設を持っていない。ときには、しょうがなくて家につれて帰るときもあるけど、個人では限界がある。「友だちの家に行くから」って言っていた子が、風俗店の体験入店で一晩泊まってきたとかね。そういう苦い思い出がいくつもあった。
あるいは、児童養護施設というのは、中学卒業後は、進学しないかぎり、いられないんです。中退者や働いてる子どもはいられない。
自立援助ホームがいくつかありますが、非常にかぎられているし、行ってすぐに入れる場所じゃない。だから、今晩泊まるところがないっていう子どもたちに、シェルターがほしかったんです。弁護士が支援ができて、かつ、寝泊りできる場所……。
◎夢がまたたく間に
私たちは、毎年『もがれた翼』という芝居を上演していますが、一昨年、私は、そういうシェルターのことを脚本で書きました。そのときは、これが実現するには10年も20年もかかると思ってました。でも、とにかく架空でも、夢をぶち上げてみようって。
ところがいっしょに演じた弁護士や、ボランティアや、観客の方からの反応が熱くて、こういう施設が日本にないならつくるべきだって。それで実行委員会がつくられて、私は「ちょっと待って」って感じだったんだけど、盛りあがっちゃった(笑)。そしたら、いろんな人が集まってきて、みんなが夢を語って、実現できてしまったんです。
シェルターの運営は、弁護士会では無理だから、NPO法人を立ち上げた。そしたら、シェルターの責任者になりたいっていう養護施設の職員の方が現れて、一軒丸ごと家を貸してくれる人が出てきて、寄付が集まって、イニシャルコストがほとんどかからずに実現してしまったんです。みんなの思いがひとつになって渦になって、今年6月1日から活動を始められるようになりました。
――カリヨン子どもの家に入るには、具体的には、どのような手続きが?
子どもには、まず弁護士に相談してもらい、「子ども担当弁護士」がつきます。親から子どもを守る法的権限は児童相談所だけが持っていますし、さまざまな機関と連携するにも、法的な知識を持ったコーディネーターが必要です。
子ども担当弁護士が、この子には帰る家がないと判断した場合、カリヨン子どもセンターにつなぎます。連絡が入ると、子ども担当弁護士とカリヨンの担当弁護士がその日のうちに子どもと面接し、本人の意思を確認して同意書に署名してもらって、カリヨンに連れていく流れになります。
カリヨンでは、スタッフたちがいっしょに生活します。その後、1週間から1カ月のあいだに、親との調整や、児童相談所や関係機関との連携のなかで、その後の行き先を考えていきます。子ども担当弁護士は最後まで面倒をみます。
――費用については?
法律扶助協会の民事扶助制度で、今年6月から緊急援助制度ができました。通常は返済の必要があるんですが、緊急援助制度の場合は、返済の必要がありません。これを活用できます。
――親権との兼ね合いはどのようになことに?
東京都内の全11児童相談所と協定を結んでいて、親とまったく折り合いのつかない場合には、児童相談所から一時保護決定を出してもらい、カリヨンに一時保護委託をしてもらいます。これが可能になったのは、児童相談所と弁護士が協力してきたことが大きいです。児相も、一時保護所が満杯で困っているのが実情です。私たちは行政機関の下に入るつもりはありませんが、連携は必要です。
――実際に始まってからはどうでしょうか?
これまで5ケース入ってます。ひとつは19歳の恋人どうしでのDVでした。あとの4ケースはみんな児童虐待です。軟禁状態から逃げ出した子もいました。
――カリヨンのようなシェルターは、他地域には?
まだありませんが、全国的に必要なものです。しかし、愛知のCAPNAでは、つくろうという動きもあるようです。シェルターをつくるには、弁護士が関わらないと難しいんですね。だから、弁護士と市民がいっしょになって各地に広がってほしいなと思います。
――いま、行政側には、どんな動きが必要と?
家族と暮らせない子どもたちを支援する場所に、もっとお金をつぎ込んでほしいです。それと、なんと言っても人です。そういう子どもたちといっしょに暮らしていける人がたくさんいる。児相養護施設も、一時保護所も、もっと設備や人的条件を充実させてほしい。人がいれば、救える子どもは増えるはずだし、親のケアができる人たちも増えていくはずなんです。
――不登校の家庭では、虐待を疑われ、無理にでも本人に会えるよう圧力がかかるケースが増えています。
そこは非常に難しい問題ですね。実際、学校に行かせないという虐待はあります。学校に行かないことを一つの権利としてちゃんと認めたうえで、虐待要件に当てはまるようなケースもありうると考えるしかないのでしょうね。
それから、親が孤立していないことは大切で、「親のネットワークで支援できているから、この家族は心配ないですよ」と行政側にも言えるような、そういうネットワークがあるといいなと思います。
――最後に、今後の活動について一言。
私は、虐待を受けた子どもたちに、それを恥じる必要はないんだ、あなたたちが悪かったんじゃないんだよって伝えていけるような社会にしたい。子どもたちが、自分たちは人間として大事なんだって確認できるような、虐待を受けたからといって「もうダメだ」じゃなくて、十分立ち上がっていけるような、そういうことが伝わるように。
児童養護施設にいる子どもは、自分のことを何も語れずにいます。イヤな記憶だし、自分を責めているから。この子たちが声をあげることで、初めて社会がそれを認める。しかし、語るためには聞く耳が必要です。だからカリヨンの基本は「大丈夫、いっしょに考えよう、あなたは大事な人」です。聞いて解決してあげるんじゃなく、いっしょに考えようって。生きていくのは子ども自身で、代わって生きてあげるわけにいかない。そういうスタンスで、子どもたちを励ましを続けたいと思っています。
――ありがとうございました。(聞き手・奥地圭子)
※2004年8月15日、2004年9月1日、2004年9月15日 Fonte掲載

この記事をtwitterでつぶやく
