19歳になった息子が2度目の高卒認定試験を受けましたが、落ちてしまいました。自己否定感が強く、こちらが何を言っても、子どもは「どうせ、オレはダメなんだ!」と強く怒鳴るような言い返し方しかしません。どうしたらいいのでしょうか?

公教育の始まりは、20世紀初頭ヨーロッパで興る産業革命に端を発します。以後、経済を支える人材育成に向けた教育は、競争原理を核として差別・選別を進め、学力(偏差値)による序列化を形成していきました。こういった社会の大きなうねりは自然と私たちの価値観に侵入してきて、私たちの物の見方・捉え方まで規定してしまっている感があります。そして、本来評価されるものではない「個性」までもが査定の対象となり、企業社会の求める人間像に仕立てられていくようにもなりました。こうして、“学歴だけは高いが、自分の意見や考えを持たず、従順にして分をわきまえ、耐え忍ぶことには長けている”という日本人像ができあがりました。自分らしく、自分のペースで歩むことが大事であるということを忘れてはいけません。

さて、人間が生きていくうえで、まず大切なことは、どのような生き方を自分の人生とするのか、生きる目標を描くことであると思います。お子さんの高卒認定試験(以下・高認)の失敗、ご本人もさぞかし気落ちしたことでしょう。それは、たしかにつらいことでしょうが、それで人生が閉ざされるわけでもありません。ただ、先の呪縛の構造に飲み込まれていると、「自分は社会から受けつけてもらえない」と感じられてしまうでしょう。戦後つくられた教育システムは私たちの脳裏に染み込んでおり、お子さんは、すでにこのシステムから離れてがんばってこられたわけです。高認の失敗による不安は人一倍大きいもののように察せられます。社会の歯車と噛みあわない自分をますます意識することになり、一人とり残されてしまったような感覚に襲われることでしょう。高認合格は、ある意味社会的承認ともなるものであり、気持ちが穏やかでなくなるのも当然です。八つ当たりのような行動をとってしまうのも無理もありません。自分に対する苛立ち、情けなさ、悔しさなどさまざまな感情が渦巻いているのです。そのような状態のとき、どう慰めてもダメで、反感しか買いません。その持って行き場のない気持ちがさらけ出せるところ――八つ当たりできる家庭や親であることが大切だと思います。その心性をわかってあげてください。今ひとつ「自分」をたしかなものにしていくプロセスでもあるのです。

また、彼の底にある自己否定観は、高認失敗だけで形成されたものでもないと思います。多くの場合、否定的な自己像の認識は、社会の価値観とのズレに対する周囲からの否定的な扱われ方のなかでつくられていきます。高認失敗のエピソードが、人生における挫折体験として決定づけられないようにすることが重要です。いつも言うことですが、人生80余年、どのように生きてもいいのです。(宇部フロンティア大学 臨床心理士 西村秀明)