『ゆきゆきて、神軍』など過激なドキュメンタリー映画で知られる原一男監督が、26日から大阪の映画館「シネ・ヌーヴォ」で4日間、CINEMA塾を開く。現在、大学の講義やCINEMA塾などで若者との交流が多いという監督に、70年代を中心に「疾走」のお話をうかがった。

――監督の学生時代は?

 教科書だけ読んで、体を動かさないっていう勉強の仕方がきらいでした。中学を出たらすぐに働きたかったんです。だけど親が「せめて高校ぐらいは」と言うから定時制に進んだのですが、それぞれの学年の3分の1ずつしか行ってない。学校って面白くないっていう印象があるから、どうのこうの言う前に行きませんでしたね。写真家になろうと思って、経済的に自分の力で初めて東京へ出て写真学校に入ったんですが半年でやめました。お金が続かなかったということもあるんだけど、学校の課題というかたちで、撮ってこいって言われるものは撮れなかった。でも最初の夏休みに、一枚写真じゃなくて何枚かの組写真で撮ってらっしゃいという課題が出た。何を撮ろうかと思って材料を探していたときに、新聞記事で重症心身障害児と言われる子どものことを知って訪ねて会ったんです。そういう子たちの存在をそれまで自分の20年間の人生で本当に知らなかったんでショックを受けて、何度も通い始めた。写真を撮り始めて、夏休みが明けて発表したけど、それで自分の気持ちが終わるなんてことは僕にはできなかったんです。その後、学校もやめて、障害者の子どもから今度は大人の世界に出会うことになった。「障害」って一口に言うけど、障害の程度って、実は千差万別で多様な世界だということを知っていくんです。障害者の世界と言われるところに4年間ひとりでほっつき歩いていた。あっちに行ってもこっちにいても「世の中のことをお前は何も知らない」「人間が生きるってことはどういうことなのかもっと勉強しろ」って言われるわけです。屈辱感に打ちひしがれて、枕に顔を浮かべてさめざめと泣くっていう非常に貧しい21~23歳を送りましたね。それでも障害者の世界で一生懸命食いついていると、障害者の問題がどこにあるのかがさすがに少しはわかってきます。そして、私のカミさんになる人に出会って、映画をつくろうということになって、『さようならCP』が生まれたという経緯があります。

――原監督の〈ドキュメンタリー〉とは?

 僕は今まで4本の映画に20年を費やしました。4本目『全身小説家』で小説家の井上光晴さんと出会い、そのときに自分が20数年間こだわってきたものが一体何だったかを教えられたんですね。

 僕らのドキュメンタリーのつくり方は、主人公の日常生活を丹念に追い、その人が何を悩み、苦しみ、どこへ行こうとするのかってことを客観的なポジションで愛情を持って時間をかけて見つめていくというやり方では、まったくないんですね。むしろ日常生活を断ち切り、それまで続いてきた生活っていうのはそんなもん屁みたいなもんで、イヤだと、ブチ壊したいっていう気持ちが働くんです。日常生活から「逃げる」っていうより、「壊せ」っていうふうに。それはまさに僕らの時代がそんな感じさせ方を僕らにインプットさせたんだろうと思うんですが、壊すためにこれから映画をつくろうと考えるんですね。

――たとえばどのように?

 1本目の『さようならCP』の主人公は重度の脳性小児マヒで、ふだんは車椅子を使って生活している。しかし、車椅子というのは、車椅子の人が社会へ適応していくための道具として僕らは考えた。膝で移動するという身体の在りようは「歩けない」んじゃなくて、膝のまんまで街へ出てみれば面白いんじゃないの? と。車椅子を「拒否」して街へ出て行くという発想なんですね。

 2本目『極私的エロス・恋歌1974』の主人公は、私の最初の奥さんだった人で子どもが一人生まれたあと、「男の力は借りたくない」とかっこよく宣言して私を捨てて飛び出した。1年後、「これから沖縄に行って自力出産したいから、私を撮らないか」と言ってきたのがきっかけでできた映画です。私との子どもはたまたま市民病院で産んだのですが、「自分の女という肉体をかけて出産をするのに、なぜ市民病院っていう管理されたところで産まなきゃいけないの?」という疑問が彼女にはあった。だから今度は自分の意志と責任において自力出産という行為をやってみたいんだ、と。沖縄というのは、当時日本に返還される少し前で、政治的にもっとも過激なところだったわけです。彼女は23か24年間、両親の生き方を観て、何かちがうと感じ、彼女はそれがどういう問題なんだろうと考えて、それを超えるために自力出産をしたいというイメージをそこで思い描いた。

 3本目の『ゆきゆきて、神軍』は、奥崎謙三さんが主人公。奥崎さんは天皇の軍隊では一番階級の低い2等兵だった人で、戦時中はニューギニアに行って奇跡的に生きて帰ってきた人。どこかで奥崎さんは、戦争を生み出すこの社会はおかしいんだ、おかしい社会が天皇の軍隊っていうものを生み出したと思っていた。それはやっぱりまちがっていると。そのために自分は何かしなきゃいけない。世の中を変えなきゃいけないと思っていた。そこで、奥崎さんは天皇を超える軍隊っていうのを一生懸命模索しながらイメージをつくり上げていくわけです。それが「神様の軍隊」という考え方だった。天皇の軍隊は階級がいろいろあるが、奥崎さんはたった一人の「神軍平等兵」っていう考え方を自分のなかでつくり上げた。その考え方がまさに、「皇軍」という天皇の軍隊を生み出した天皇制を超える観念として、提出するわけです。僕らはそれを奥崎さんと対話しながらおたがいに考えた。ニューギニアで人の肉を食ったという事件があって、それを追っかけることになったり。そういうふうに「神軍」という考え方を持った一人の人間が、具体的なこの社会との関係の中で、どういう意味を持つのかということを探っていった。

――監督の描く虚構は、現実を解放していくような不思議なものですが。

 まず一人の人間が自分を縛っているものを壊す。そして、自分自身を解き放っていきたいという欲望を持った人間が主人公なんですね。その人が、自分の欲望を解き放っていくイメージを提出する。それをこちら側は言葉で単にインタビューするんじゃなく、5年なら5年というカメラが回っている時間に、生身の人間が自分を解き放ってくれるイメージを体を張って生き、体を張って演じていく。演じていくっていうことがつまり、虚構なんじゃないかと考えるわけです。

 「虚構って何だ?」と映画をつくっている若い人たちに質問すると、「嘘」「現実にあり得ないこと」「つくり物」っていう答えが大体戻って来るんですよ。でも、映画をつくったり表現をしようとする人間がそういう捉え方をしていてもほとんど意味をなさない。現実っていうものを見据えるなかで虚構っていうものが導き出される。虚構っていうものは、現実の在りようを批評するものとして成り立つのではないでしょうか。

――ありがとうございました。 (聞き手・大阪編集局・福村)

(はら・かずお)
 1945年山口県生まれ。映画監督。1972年「疾走プロダクション」設立。同年『さようならCP』で監督デビュー。『極私的エロス・恋歌1974』。1987年『ゆきゆきて、神軍』で日本映画監督協会新人賞、ベルリン映画祭カリガリ賞などを受賞。1994年『全身小説家』でキネマ旬報ベストワン・監督賞など。著書に『踏み越えるキャメラ』『ゆきゆきて、神軍・製作ノート』『全身小説家―もうひとつの井上光晴』。1995年より「CINEMA塾」の塾長。

※2000年10月15日 不登校新聞掲載