
ドキュメンタリー映画監督であり、羽仁未央さん(本紙編集顧問)の親でもある羽仁進さんにお話を伺った。羽仁進さんは子育てのなかで、子どもを発達していない大人と見るのではなく、子どもの行動を素直に見て、感心することが大事だと言う。また、他人に生き方のモデルを見つけるのではなく、自分の生き方の傾向に気づき、それに従って生きることで幸せに生きられた、と語ってくれた。
――羽仁さんが映画を撮りはじめたのは?
一番最初に監督をしたのは『教室の子供たち』(1954年)という映画です。これは文部省がスポンサーで、文部省としては、教師が子どもをどう教育するべきかを教えるための映画をつくろうとしていたんですね。しかし、僕は、子どもには子どもなりの知性や理屈がある、それがどういうものかを考えるところから映画をつくりたかった。だから、子どもたちの自然な姿を映画にしようと思いました。1カ月ほどかけて、学校に来ている子どもを毎日撮影した。そうしたら、けっこう面白い映画が撮れて、この映画はブルーリボン賞(映画部門)を受賞しました。
31歳のころ、『不良少年』という映画を撮って、この映画が1961年の日本映画ベスト1になったんです(※2位は黒澤明監督『用心棒』)。そのままいけば、「映画界の巨匠」だったかもしれない(笑)。だけど、僕は一つのスタイルに固まるのではなく、いろんなことをするほうがおもしろいんですね。だから、アートフィルムを撮ったり(※『初恋・地獄編』1968年など)、40代前半からはアフリカ取材をして、その後、約30年間ずっと動物を撮ってきました。
――羽仁さんは、自分のやりたいことに素直に生きている感じがしますが?
僕は、子どものころから、感心したり、おもしろいなと思う人はいても、こういう大人になりたいとか、あの人のような人生を生きてみたいと思ったことはないんですね。自分の未来を計画するということもありませんでした。それは映画監督になってからも同じで、作為的に映画をつくるということはありませんでした。いつも、そのときどきにぶつかったこと、出会った歓びから、新しいアイディアや生き方が生まれてきた。
社会的にみれば、もっと上手な方法もあるだろうと思います。しかし、僕がもっと社会の枠に自分の身を寄せて生きたとしても、今よりも楽しく幸せに生きられたとは思いません。これまで、いろんな人と出会ってきて、社会の枠により沿った人たちもたくさんいますが、結局10年ぐらいすると、その人たちは行きづまっていたりする。
自分のやりたいことをやりたいと強く思う人は、自分の全体がその方向に向いている。僕は73年間の生涯を通して、そう思います。希望的な言い方ではありません。生活の実感として、そうした生きる道があって幸せだったと思います。
僕は映画監督になって、映画をつくってきたけど、映画監督という職種を求めてきたわけではないんですね。自分のやりたいことが、どこならできるのかとしか考えてこなかった。ですから、どの職業ならばいい、ということではないですね。
――子育てについて伺いたいのですが?
子どもには、本当に感心しましたね。たとえば、娘が1歳半のころですが、僕がお風呂に入れていたんですね。夏になると、お湯に長くつかっているのがイヤで、桶からすぐ出て来ちゃう。僕はもうちょっと入っていたほうがいいと思って、娘をまた入れる。2~3回そんなことをくり返していたら、何回目かに娘は、僕のほうを笑いながら見て「ごちそうさま」と言ったんです。ご飯の時に「ごちそうさま」と言って終わると、みんなが喜ぶ。だから、お風呂もおやじが喜ぶようなかたちで、終わろうと思ったんでしょうね。僕は非常に感心した。最初は娘も体力で解決しようと思ったんでしょうが、父親の体力にはかなわない。だから、娘は体力以外の方法で自分の意志を通そうと考えたんだと思います。
言葉とは本来、体力ではない部分で、他人に意志を伝えるものだし、娘が使った「ごちそうさま」は、言葉の本質的な使い方として正しいと思います。言葉は、みんなが使っているようにすればいいというものではない。
たいていの大人は、子どもというのは、大人がやってきたことを順々にこなして、大人になるものと勝手に決めつけています。だから、子どもが大人と同じようなことをすると認め、そこから外れると叱る。これは、すごくおかしなことです。
大人は、もっと子どもの行動を素直に受けとめて、感心することが大切だと思います。
◎娘の生き方に納得できた
――娘さん(羽仁未央さん)が学校に行かなくなったときは、どう思われましたか?
娘が学校をやめたいと言ったとき、最初は、僕が学校に送って行ったりしました。しかし、実際に自分で学校の授業も聞いてみて、これはいかんなと思いました。人間の心理は年齢によって変わるものですけど、それは発達して最後に理想的になるというようなものではないわけです。人間は一生涯、変わっていく。しかし、学校教育のなかでは、そういう感覚がない。だから、結局、娘には「行きたくないなら行かなくてもいいんじゃない」と言いました。
娘は不登校という決断をして、自分なりに自分の生き方を切りひらいていきました。娘は自分のことを厳しく見つめ、自問自答する。娘の生き方には「なるほど」と納得できました。
僕は、どういう生き方がいいか、とは考えません。そういう考えにはついていけない。人にはそれぞれ、その人が生まれつき持っている生命の大いなる流れや生き方の傾向がある。僕はその大きな流れを素直に掘り出して、ごく自然に生きて、出てきた考えに従っていくのがいいと思っています。
――最近、『大いなる死』(光文社)という本を出されましたが、生と死についてのお考えを聞かせてください。
『大いなる死』にも書きましたが、生命には、死なない生というのもあれば、人間から見れば生と死がはっきり分かれていない生というのもあるんですね。たとえば、同じ生命体が増殖している生命は、同じものが続いているわけですから、死なない。じゃあ死ぬ生とは何かといえば、セックスのある生のことで、セックスがあることによって、子はすべて親とはちがう。我々の生は非常に複雑で自分にしかない個性を持つようになった。ですから、私たちは死で区切られた生を選んだのだと言えると思います。そのかわりに、自分にしかない個を、生を選んだ。だからこそ、区切られた生を充実して、楽しく生きることが非常に大事だと思うのです。
老後や死後を考えて不安になる人もいるけど、僕は、自分の人生を力いっぱい、充実しきって生きたい。終止符が打たれるまでの人生は、地球の歴史から考えれば、ひどく短いように感じる。しかし、自分にとって毎日毎日の時間を考えてみれば、大変に長い時間だと思う。そのあいだに、喜ばしい、楽しい人生が見つからないのではしょうがない、というのが僕の基本的な価値観です。
――「幸せ」ということをどう捉えていますか?
自分が持っている大きな傾向を早く見つけだすことだと思います。自分の大きな流れや傾向に忠実に従っていけば、いろんなアイディアが出てくるし、生きることが楽しくてしょうがないくなる。僕の考えでは、自分の外に生き方のモデルを見つけるのはあまり意味がないし、力が弱い気がします。自分の生き方や傾向は、自分のなかにあるものです。さまざまな局面に立ったとき、自分の素直な気持ちで、こうしたいと思うほうへ次々と生きていくのが、大事だと思います。
人はこう生きたい、と思っても、困難や問題をすぐに考えてしまう。いろいろとまわりの問題を先に考えてしまう。でも、それはむしろ後に考えるべきことです。自分がどう生きたいかをよく考え、自分の生きたいように生きることだと思います。
――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂、信田風馬)
(はに すすむ)
映画監督1928年東京生まれ。ドキュメンタリー、アートフィルムの映像制作を経て、69年より野生動物映像に取り組む。 94年、約30年間に及ぶアフリカ・ロケの集大成であるビデオ作品、「動物に学ぶ」シリーズ”生きる”全8巻、”感動物語”全6巻を完成。 著書も多く、近著に「大いなる死――死と性の幸福論――」(光文社)がある。
※2001年11月1日 不登校新聞掲載


