ネクタイをすることがきらいだった。ずいぶん昔、必要に迫られてブックバンドで代用したこともある。不自由なだけでなく、何かに屈服しているような姿に思えていやだった。
そんな私は、政治家秘書、カモメのマークの会社員、倒産した商社での営業、私立高校の教師と転職を重ねた。納得できる仕事を探した結果だが、どれもネクタイは必須でネクタイよりも長いものに巻かれることが必要になる場面もあった。
なかでもこの私立高校が息苦しかった。絶対的な権力と権威を持つ校長は、生徒と教師を支配した。超管理教育のもとで、校則はあったが正義はなかった。子どもには「進路実績」と「従順さ」が何よりも求められた。この教育方針は多くの親の価値観とも一致しており、学校は猛烈に邁進した……。子ども同様に大きなストレスをためた私は腹膜炎になり、腸を取り出して洗浄する手術をした。
あの時に命拾いをして以来、『命は一つ、人生は一回、命の使い方を決めるのは自分』が座右の銘になった。時を同じくして日本では、組織に「従順な人間」を組織が庇護する時代が終焉した。
11年間働いた高校を辞めた私は、「学校のためでなく子どもと自分のために働く」「自分が正しいと考えないことはやらない」「ネクタイは極力避ける」ことを決めた。
その年の夏、短パン・Tシャツで満員電車に乗り、管理教育とは正反対の東京シューレにスタッフとして通う自分がいた。強烈な爽快感だった。「俺は自由だー」と心の中で叫んでいた。現在は『三重シューレ』でスタッフをしている。2000年に妻の実家がある三重県に引っ越し、不登校の親たちと立ち上げた『NPO法人三重にフリースクールを作る会』の代表の仕事もしている。
当初より法人格はとったが、フリースクールの運営は厳しい。株式を発行せずに事業の企画・広報・実施に取り組む。フリースクールには公的援助が少ないので、特定非営利自給自足活動法人と言いたくもなる。
◎ボランティアに支えられ
また当然だが、子どもとの日常活動、授業、講座の手配、相談、会計事務、行政との交渉など広範な仕事がある。教師の仕事も事務的な分野が多いが、学校には専門の事務職がいる。フリースクールはかぎられた人員ですべてを兼任する。ボランティアの方々がいなければとっくに倒産している。
しかも、賃金と安定度の低さが比例し、相当にスリリングだ。リスクある時代を生きていく勇気を子どもたちに伝えられるのではないかと最近は開き直っている。
いま、子どもたちと対等な関係のなかで学ぶことができるのは本当に心地いい。担当の社会講座では、子どもの質問に「わからない」と率直に言って、私もいっしょに考える場面が多い。子どもの考えは刺激的だ。幸いフリースクールは、教える権利でなく子どもの学ぶ権利を尊重している。納得できる答えは、試行錯誤の末に自分で見つけるのが一番いい。
生き方や人生の価値観も同じであろう。
私は「納得のできないことはできない」人間だった。「不登校を生きる」子どもたちといっしょだ。「自分が納得のできる仕事」が「子どものため」になれば、これ以上の幸せはない。(石山佳秀・三重シューレ)
※2006年7月15日 Fonte掲載


