
「ひきこもりになってよかった!!」「アル中でありがとう!!」と詠う月乃光司さん。月乃さんはみずからの経験を詩にしたため、イベントや「こわれ者の祭典」で朗読している。今回は、月乃さんに、これまでどんな経験をされてきたのかをうかがった。
――現在の活動内容を教えてください。
私たちがとり組んでいるのは「こわれ者の祭典」です。「こわれ者の祭典」は02年に新潟からはじまった「病気」の体験発表&パフォーマンスイベントで、これまでノイローゼ、うつ、過食症、ひきこもり、脳性まひ、リストカット、自殺未遂、パニック障害、性同一性障害などの体験者が出演しました。基本的には「病気」でどう苦しみ、どう回復したかを表現しています。
私自身も、団体の代表として詩の朗読などのパフォーマンスをしていますが、ふだんは、フルタイムの会社員をしています。なので生活費はそちらから得ていて、イベント活動はどちらかというと赤字ですね(笑)。
――いつ不登校をしたのでしょうか?
高校1年生の15歳のときです。中学時代は友人もいましたが、高校ではまったく友人ができなかったんです。というのも醜形恐怖症になりました。醜形恐怖症は自分の顔が醜いと思いこむ神経症です。私が気にしたのが唇の厚さで、唇を気にして人と話せなくなり、学校に行きづらくなり、行っても図書館にいることが多かったです。
◎死にきれない毎日だった
――親の反応は?
私が布団からなかなか出ないので、心配していました。
そもそも父はエリート志向の人で、私に高学歴・高収入を望んでいました。小さいころ、部屋には高卒と大卒の収入差が書かれたグラフが張ってあって、いかに学歴で収入格差があるか、「幸せ」に開きがあるか、それを刷り込まれてきました。
いま考えれば、中学生のころもきつかったんだろう、と思います。3年生のときには、家庭教師と塾が週6日も入っていましたし、軽い神経症も出ていました。
そんなわけで、がんばって高校に入ったけれども、友だちはいないし、醜形恐怖症にもなるし、成績はどんどん下がっていく。とくに成績が下がるのは、すごく絶望感がありました。父がつくってくれた収入格差表の「ダメな人生ルート」、つまり高卒ルートからさえも外れてしまうのか、と。自殺願望を抱え始めたのも、この時期です。
結局その後、高校は、まだらに通いながら卒業し、一浪後に大学に入学しました。ただ、大学にはほとんど通わずにひきこもりが始まりました。
――どんなひきこもり生活でしたか?
やっぱりきつかったです。誰にも会わないし、会いたくないし、そのくせ寂しいし、自傷も出るし、いろいろありました。そのなかでも、のちに大きな影響を与えたのがアルコール依存症になったことです。
私は25歳から27歳にかけて、3度立て続けに精神病院へ入院しています。最初の入院は胃洗浄をするほどの大量服薬が原因です。記憶はありませんが、暴れまわって病院に担ぎ込まれたらしいです。自殺未遂なので当然、強制入院を余儀なくされました。
そんなふうに、自分ではどうすることもできなくなってから、自助グループと出会いました。私が出会ったのはアルコール依存症と神経症の自助グループです。
ただ、最初のころはまわりの人の話は聞いてませんでした。どっかで自分のプライドがジャマをして「オレはお前らとちがうぞ」って思ってたし、人の話を聞いてなんになるんだ、という思いがあったのかもしれません。
それが大きく変わったのが、自助グループの集会でした。集会中、ある紳士が、それはもう恥ずかしくなるような下ネタを絡めて、自分の体験談を話したんです(笑)。たいっへんなカルチャーショックで、価値観がひっくり返りましたね(笑)。
そこからです、なにも世間にあわせて見栄を張らなくていいじゃないか、と思えたのは。
彼が与えてくれた衝撃に近づけたいという思いから、「こわれ者の祭典」が始まったと言ってもいいかもしれません。
そんなわけで、だんだんと自助グループのなかで、正直に自分の話をすることができてきました。どれだけ自分が情けなくてダメでエロいヤツかを(笑)。気持ちよかったですよ。そうすると、不思議と人の話も耳に入ってくるんです。あれだけ「情けない」と思っていた人たちが魅力的に見えてきました。そこから徐々に徐々にですが、収入や学歴の高低なんて関係ない「人生何でもあり」と思うようになったんです。
◎病気になってよかった
――「こわれ者の祭典」を始めて変わったことは?
たくさんあります。一番大きいのは、つながりが生まれたことです。
10代のころ、私は同世代の人を恨んでました。みんなは学校に行って楽しんで、部活で汗を流して楽しんで、夜はカラオケで楽しんで……、オレはなんなんだ、と。
でも、いつでも取り戻せますね。「こわれ者の祭典」は、お金にはなりませんが、「訴えたい」と思う人が集まって、共感する人の輪が生まれました。私にとって、いまが青春です。あせらなくて大丈夫だったんだな、と。
「学校に行かなきゃダメ」「働けなきゃダメ」、まるで人生を「丁か半か」みたいにハッキリさせることはありません。すばらしいこともイヤなことも人生はおおむね灰色なことが続きます。なにも決めつけなくて大丈夫だと思っています。
――神経症についてはどう思われていますか?
前提として神経症は治りません。私はいまもアルコール依存症です。お酒を飲まないので症状が出ませんが、治ることはありません。
ただ、病気を持ちながら生きていくことはできます。私の場合、神経症の自助グループにも通っていましたが、やはり当事者パワーが一番、頼りになりました。自助グループがあったから、回復できたと思っています。
それともう一つ、言いたいのは、不登校、ひきこもり、神経症、依存症、自殺未遂、入院、私が学んだことは、全部その実体験を通してです。苦しくて、つらくて、どうしようもないところに、いまの幸せの根っこがありました。もちろん、引きこもっている真っ最中は、毎日毎日、死ぬに死にきれない日々で、つらかったことはたしかです。
でも、この15年ぐらいで、オセロみたいにひっくり返りました。自分の人生は「黒」ばっかりで負けていると思っていたのに、一瞬ですべてがひっくり返って、財産があることに気づかされた。病気になって多くのことから解放されました。だから、断言できるのは、本当に病気でよかったと思っています。
――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂)
(つきの・こうじ)
1965年生まれ。高校入学時から対人恐怖症・醜形恐怖症により不登校になる。引きこもり生活、通算4年間を過ごす。24歳よりアルコール依存症になる。自殺未遂、アルコール依存症により精神科病棟に3回入院。自伝的小説『窓の外は青』(新潟日報事業社)を01に出版。現在は心身障害者のパフォーマンス・イベント『こわれ者の祭典』代表。
※2007年11月1日 Fonte掲載


