私の息子は現在学校に行っていれば中学3年。中学1年の2学期から行っていません。私たち親子は彼が2歳のころから、子ども劇場に入っていて、そこの仲間とずいぶんと子育ての意見交換をしていたからでしょうか、また、私の姉の次女が10年前くらいに不登校をして、姉の対応を見ていたからでしょうか、私たち夫婦のなかに学校や先生崇拝はまったくなかったからでしょうか、息子の不登校は、そのとき「よくやった」とまでは言えなかったにせよ、家に居てもいいよ、困ったことがあったら相談にのるから、と自然体で言うことができましたし、息子が近所の幼稚園生の面倒をみながら遊ぶのを、目を細めて見ていました。
ところが、おばあちゃん(義母・73歳)だけには、なかなかわかってもらえません。私たちは祖父、祖母、私たち夫婦、彼の2歳上の兄、そして本人の6人家族です。はじめの1~3カ月くらいはどうにか黙って見ていてくれましたが、まわりの人と同じことをしていないと生きられない地域性があり、近所の人とうまく適合していくことで生活が成り立つという農家の人ですから、そのうち毎日のように、「今日も学校に行かないのか」と心配を口に出すようになりました。息子は私の仕事場に毎日ついて来ていました。ほっとする場であるはずの家での毎日の攻防に私も参ってしまい、とうとうおばあちゃんに話しました。
「息子は学校につらくて行けてないよね。それで、家にも居られなかったら自殺しちゃうかもしれないよ」と少し脅かしました。同時に理解してもらうために息子の状況など、なんでも話すようにしました。しかし、社会的に不登校がかたちだけは認められたにせよ、一般的に、不登校を選択の一つの道だと考える人はまだまだ稀です。私とおばあちゃんとの価値観は水と油、「あんたの考え方は変わっとるね」と“私はあなたの夫である息子を立派に育てた”という完了形の自信のもとに言われると、なにも言えないジレンマにカリカリします。しかし、おばあちゃんにとってもかわいい孫で、大切にも思ってくれていますので、そのときは、わかってくれたように見えました。
◎やっぱり理解できない
おばあちゃんは、遊ぶことを罪悪のように思っている勤勉な人です。家の手伝いもせず、ただただ遊んでいるばかりの孫を見ることに、今また少しずつ少しずつ、いらだちはじめています。学校に行かないことは彼女の価値観ではやっぱり理解できないのです。何とか救おうと倫理研究所に通ったり、本を読んだり、彼女なりに勉強はしてくれています。彼女も、近所の人から「甘やかしすぎだ」「この村はじまって以来だ」「体ができていないから」などと言われ、肩身の狭い、やっとの思いでガマンをしているつらい立場で毎日を過ごしているようです。本当におばあちゃんは近所の重圧からよく耐えてくれていると思います。母親は息子の盾になるために何でもできるでしょうが、おばあちゃんにそれを望むのは酷かもしれません。
最近は高校進学のこともあり、息子を心配してのことでしょうが、おばあちゃんの価値観で「学校ぐらい出ていないと」「遊んでばかりでしょうがない」などとまた心配が出はじめています。息子とぶつかったりすると、「まったく、遊んでばかりいて仕事もせず……」などと捨て台詞を残したり、おばあちゃんのいらだちも見えたりします。
◎お母さんが怒ることはない
息子は「何がなんでも学校に行け」という彼女の考え方に納得がいかず、ある日「おばあちゃん、今日はおばあちゃんが言うことを黙って聞いているから、どうして僕が学校に行かないことがいやなのか話してくれる?」「もしおばあちゃんが学校に行ってほしいなら行くけど、学校で勉強なんてしないよ」「もし勉強が遅れるから心配しているのなら、家で勉強すれば、学校に行かなくてもいいの?」とたたみかけるように話しました。彼女の答えは「ただみんながするように学校に行ってくれさえすればいい」。何しろそれが彼女にとって、本当にまちがいのないことなのですから。息子はそれまでおばあちゃんにはわかってもらいたい気持ちが強かったようでしたが、それ以来、何を言われてもあんまりいらだったりするふうはなくなりました。
つい2~3日前に、おばあちゃんがあんまり「高校にも行かないで、遊んで暮らせるわけがない」と息子に言うのを聞いて、つい「そんなことを言っても息子が傷つくだけで、なんにも生み出さないのだから黙っていてください」と言ってしまいました。息子は「僕はなんとも思ってないんだから、お母さんが怒ることはない」と言いました。
おばあちゃんは、おばあちゃんの世界で生きて、考えて、感じて、行動しています。でも私たちと考え方がちがうのは当然です。金子みすずの「みんなちがってみんないい」が大好きですが、おばあちゃんに当てはめて考えたことがなかったことに気がつきました。おばあちゃんにはずいぶんからい点をつけていたようです。おばあちゃんに対して甘えがあったのでしょう。息子は私より上手におばあちゃんとの関係を整理したように見えます。が、これからも、まだいろいろぶつかることもあるでしょう。
私たち家族は何でも言いあうようにしています。私が息子の言葉を言い繕ったり、代弁することはしないようにしています。あくまでもおばあちゃんと息子、おばあちゃんと私、個人の関係をくずさないように、親が出しゃばらないようにがんばっています。それぞれがぶつかりながら、それぞれの関係を自分の責任で大切につくっていく、個人対個人の自立した関係を大切にしながら、家族みんなで生きていけたらと思っています。わが家の解決法があるとすればそれは、隠さずなんでも思ったことを話し合うこと。自分が発した言葉には責任を持つ。相手の人権を認めることです。(匿名希望)
※2003年7月1日 不登校新聞掲載


