
オウム真理教の内部から日本社会を抉ったドキュメンタリー『A』(6面に紹介記事)を監督したことなどで知られる、ドキュメンタリー作家の森達也さんにお話をうかがった。森さんは、表情にも、話す内容にも、ある種の柔らかさがあった。
――森さんにとっては、子ども時代、学校はどんな場所でしたか?
転校が多かったし、吃音だったこともあって、友だちがいなくて、学校では、一人でいることが多かったですね。
それから、偏食もあって、これは当時の学校ではつらかったんです。給食は絶対に残しちゃいけなくて、食べ終わるまで給食の時間を終わらせてくれない。もう、針のムシロでした。家では、ふつうに食べてたんですが、学校ではどんどん食べられなくなってしまって、もう見事にパン以外はのどを通らなくなった。どこかで、強制されることに対してのアレルギーがあったんでしょうね。
人に遅れることも多くて、休み時間なんかに、ふっと気づくと、向こうのほうでみんなが何かやってたりする。後から聞くと「先生から連絡があったぞ」とか言われるんだけど、記憶にない。僕にとって、小・中学校は、けっして楽しい場所ではなかった。高校以降は、わりと楽しかったんですけどね。
――集団生活には合わなかった?
本当は、周囲とうまくやりたいんですけどね。いつの間にか周囲とズレてしまうんです。確信的にズレようとしているんじゃないんですが、なんか、鈍いんでしょうね(笑)。
――ズレてしまうことで見えるものがあるのでは?
そうかもしれませんね。みんなと同じだと、動いているときも、止まっているときも同じスピードですから、わからなくなってしまう。そういう意味では、マジョリティには自覚がないと言えるでしょうね。
◎なんとかなるもんだ
――会社も長続きしてないようですが、辞めることへの不安は?
もちろん生活がありますから、不安は大きかったです。でも、大学を卒業してから10年ぐらいは、就職もしないでブラブラしていたんで“なんとかなるもんだ”という実感はありました。せいぜい、人がフランス料理食べてるときに牛丼でガマンしなくちゃならないくらいのもので、たいしたちがいじゃない。ピカソが言ってたけど、「どんなに金持ちになったって、人は1日3回以上飯を食えないよ」って(笑)。
――不登校については、どのように?
実は、娘が不登校だったんです。中3の1年間、学校に行きませんでした。最初のうちは、妻と二人で、少しようすを見ようと言っていたんですが、さすがに1カ月くらい経つと、本当にどうしようかと悩みました。だけど、焦っても仕方ないし、フリースクールでも探そうかと思っていたら、高校進学を契機に、また通いだしました。もし、あのとき、僕らが焦っていたら、彼女を追いつめていたと思いますね。
もちろん、一概には言えないですよ。子どもにしたら、親から強制されたり、叱咤激励してほしいときもあると思います。ただ、ひとつ言うなら、精神科医に連れていったり、もっともらしい病名を付けてみたり、施設に入れて対処するということには、僕は負の作用しかないと思う。
――不登校になると、社会性への不安がよく言われますが?
たしかに社会性は大事かもしれないけど、学校で学ぶ社会性なんて、会社組織のなかで周囲や上司とうまくやれるとか、そういう話でしょう。そんな社会性は、なくても仕事はできるし、いまは集団に重きを置く時代ではないですからね。
◎変わったのは受けとめる側
――少年事件が起きると、子どもを異常視する見方も多いですが?
僕は、それほど問題視しなくていいんじゃないかと思ってるんですね。子どもだって、人を殺すことぐらいあるだろうと思いますよ。メディアはこぞって「何を考えているかわからない」なんて報道しますが、そんなことないだろう、わかるだろうって。僕だって、子どものとき殺意を持ったことぐらいあります。実際にするかどうかは大きなちがいでしょうが、わからないことじゃない。
少年事件の数については、データに偏向がありますしね。精神障害者も同じです。メディアは、危ないと言ったほうが数字が来るから、そういう情報を流す。それに踊らされて法改正が進んでしまっている。
僕は、少年がそんなに変わっているとは思えない。昔から悪いヤツはいっぱいいたし、子どもが子どもを殺す事件だって、動機のわからない殺人だって、昔からあった。変わったのは、それを受けとめる僕らの意識です。
――でも、世の中では、わかりやすい悪者をつくりたがりますね。
組織や共同体がいちばん円滑に進むのは、白黒を分けて敵をつくることです。組織の内側にいる人間にとっては、それがラクなんです。その構造にはまってしまうと、なかなか抜けられない。そのベースにあるのは、恐怖感、不安感です。組織から外れた人を攻撃するのは気持ちいいし、それによって内側にいる人の帰属感、安心感を高めている。そうすると、安心感を保つためには、常に敵を探し続けることになる。
だから、組織とか共同体にとっては、異物を敵として排除するのではなくて、どう受けいれられるかが問われるんだと思います。
◎異物の役割
去年モンゴルに行ったんですけど、羊の群れをみていたら、どの群れにも、ヤギが2~3匹混じっているんですね。モンゴルの人に理由を聞いてみたら、羊はバカなんだと言うんです。羊は自分の足下の草ばかり食べていて、群れが動かないから、羊だけにしておくと、どんどん痩せてしまう。ところがヤギは自分勝手に動き回るから、それにつられて羊が動いて、みんながフレッシュな草を食べられるんだと。これはシンボリックな話だと思いましたね。
日本社会は、昔から異物を疎外する傾向がありますが、でも、昔は“村八分”で、二分は残したんです。いまは、いわば“村十分”ですからね。しかも、それが善意でしょう。悪意は暴走しませんが、善意は暴走するんです。だから、善意は怖い。
――『A』でも、その善意の暴走が描かれてますね。
いろんな人から「よく、あんなものが撮れたね」と言われますが、僕は、当たり前の手続きをしただけです。何も特別なことをしたわけではない。それまで、誰もドキュメンタリーの取材を申し入れていなかった。周囲が思考停止していたんです。
僕の経験則として、どんなところでも、どんな人でも、まずは入ってみる、まずは話してみるんです。そうすると、世間の眼とは裏腹に、どの人も、すごく優しい。僕らとそんなに変わらない、ふつうの人です。それは、オウム真理教もいっしょです。
――『A』を観て、私はオウムの信者に親和性を感じたんですが、森さん自身が親和性を感じたということは?
それはあるでしょうね。よく「オウムを擁護している」と批判されますが、擁護しているつもりはないんです。ただ、彼らは好きだし、尊敬できる人もいるし、彼らのいまの生活を壊させたくはないですね。そういう意味では、応援しています。
『A2』には、群馬県藤岡市でオウム反対運動をしている住民とオウム信者との交流のようすが出てきますが、彼らは、いわば町のアウトローでした。地元では有名なヤクザの親分だったりね。そういう人たちは、反対運動をしていたのに、オウムの信者に対して、「なんだ話せばわかるじゃないか」という気持ちが持てる。ステキでしょう。それに対して、村長だとか助役だとか、肩書きのある人たちは、全然ダメです。なんの発想力も想像力もない。どっちが豊かな人生を送っていることか。
人は、ほんとうはもっと優しいはずです。僕の経験則から言えば、ほんとうに、みんな変わらないんです。世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい。
みんな、たぶん自分で獲得したものなんて、一つもない。何かの偶発性が積み重なって、いまの自分があるわけで、そう思ったら、いまがどんな状況であろうと、たいしたことじゃないし、もっとラクに生きられると思います。
――ありがとうございました。(聞き手・山下耕平、信田風馬)
(もり・たつや)
映画監督/ドキュメンタリー作家。1956年生まれ。ディレクターとして、テレビ作品を多く制作。1998年オウム真理教を描いたドキュメンタリー『A』を公開、各国映画祭に出品し、海外でも高い評価を受ける。01年『A2』完成。 著書に『こころをさなき世界のために』(洋泉社)、『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社)、『放送禁止歌』(光文社)など多数。
※2005年7月15日 Fonte掲載


