
本紙100号記念のインタビューは、芸術家の横尾忠則さんにお話をうかがった。絵画、学び、社会、そして、不登校を経験した自分のお子さんのことなどについて、お聞きした。横尾さんは、常識や先入観で判断せず、直感や感性といった自分の体で感じたことに従うのが大事、と語ってくれた。
――絵はいつごろから?
ものごころついたころから好きだったね。自分が描きたいのを片っ端から描いていく。当時から模写ばっかりしていて、自分でモノを考えたり、かたちを想像して描いたりすることはできなかった。
今でも、僕のやっていることは模写です。贋作づくりをしてるような気持ちでやってる。それは、その人の技術とか精神に近づくことでもあって、それが僕にとって創造的で、そこに歓びを感じる。
――絵を描くのに大切なことは?
好きになることが、まず第一だよね。仕事になるかどうか、受けるかどうかより、描くことが好きかどうか。そうでないと、どうしたって、つまらなくなるし、キツくなる。
その絵に価値があるかどうかは第三者が決めることで、作者はその場所にいない。展覧会に並んでいるのは過去の作品で、アトリエで描いている絵が「いま」という瞬間なんだよ。たった今という瞬間が一番大事。「いま」という瞬間に、自分がどれだけ充足しているか。
それから、僕は、孤独になって、一人だけの世界に没頭して描くのが好きなんだよね。孤独を恐れちゃいけない。孤独を味わうこと。孤独になっているときこそ、自分が成長するチャンスだよ。ボーっとするなら、徹底してボーっとしなきゃ。「今日はゴロゴロするぞ」って意識して決める。なんとなくゴロゴロしてると、夕方ぐらいになって「何してたんだろ」って、わけのわからない罪悪感にかられるからね。
――社会と自分との関係をどのように考えてますか?
誰だって、社会のなかで生きているわけだけど、まずは自分がある。メシを食ってるのは、世の中や会社のために食ってるわけじゃない。自分の体を持続するために食ってる。まず、自分、自分の体だよ。
◎頭デッカチになりすぎ
だけど、ほとんどの人は、頭が先に行っちゃってる。頭は過去に戻って考えるのが好きだから「ああでもない、こうでもない」と迷う。体は全然迷わない。眠いと思ったら迷わず眠るし、腹減ったと思ったら、迷わず食う。頭で考えて、止めようとしても、生理的なこと、体が求めることは基本的にはどうしようもない。
ところが、世の中に出ていくと、だんだん、そうではなくなる。常識や慣例といったものが、目に見えない力で自分に制約を加えていく。そこで、体の要求しているものを頭の考えに切り替えてしまう。12時がお昼休みだから、ご飯を食べる、とかね。
体の要求に従うと、自分の本性、本能で行動できる。それは、好き勝手することとはちがう。頭や価値観や見栄や欲望に振り回されているのは、本能じゃない。もっと根底にある意識、本能を見極めて、それに従うことが必要です。
絵を描いていてもね、どうやったら受けるだろうとか考えていると、不安ばかり肥大化してしまう。結果を気にするのは人間の欲なんだよね。頭で考えて行動することも必要だけど、いまの人は、体の要求に従わなさすぎる。頭でっかちになりすぎだよ。
自分の問題から
それから、自分の問題、身近な問題を考えることが大事だと思うな。「社会」なんて、目に見えないドデカイものから考えてたら、ワケがわかんなくなる。まず、自分が何をしたいのか、何が好きなのか、単純なことで考えていかないと。目の前に問題があれば、その問題について考える。その積み重ねで、どんどん、見えない成長をする。いきなり成長しようとか、いきなり社会で同等にやっていこうとか、大もうけしようとか、有名になろうとか思わないこと。それは結果だから。結果を目指して、やっきになると、プロセスでも、達成したときでも、しんどいからね。
◎学びは手段じゃない
――学ぶということについては、どのように?
子どもはみんな好奇心を持っていて、小さな虫を見つけても、いつまでも見つめてたりするでしょう。そこから出発するのが学びだと思うな。それが仕事のためだとか、将来のためとか、自分の環境を整えるために学ぶというのは、学ぶことにならない。
知識とか教養なんてものは、必要や体の要求があれば、身につく。何かのためにやっていても楽しくない。手段としての仕事になっちゃう。そこには遊びの要素もないし、自由も快楽も何にもない。今やっていること自体を目的にしないと。次のことを考えながら、いまを生きてたら楽しくないじゃない。自分を今日、ちゃんとやっていること。今日が明日に続くんだから。
◎子ども二人の不登校
――横尾さんのお子さんも学校に行かなかったそうですね?
二人とも途中から行きませんでしたね。息子のほうは高校のときで、本人に聞いたら、イジメがあったりして、1日中、新宿の街をウロウロして、下校時間に帰ってきていた。僕は、それを知らなかったのね。白髪が出てくるくらい学校がイヤになっていて、体にまで影響しているのはよくないだろうと思って、辞めさせた。
娘は中2のころからで、僕は学校の先生と話して、学校に行かないことを認めさせた。娘は「タレントになりたい」と言ってね。結局、その目的どおりに生きているわけじゃないけど、その過程で学んだことは今に活きている。
みなさん見てると、不幸な顔をしている人はいないし、不登校は大賛成だね。学校はよけいなことが多くて、難しすぎるよ。理科でも数学でも、みんなが科学者になりたいわけじゃないんだからさ。僕なんか、足し算も指折り数えてるし、今は九九もできない(笑)。
――実感のない「学び」が多いですよね
今の大人社会で一番足りないのは、感性です。縄文時代なんかは、自分で猟をし、薬も自分でつくって、家も建てて、すべてを自分の力でやっていたわけでしょう。そういうなかで得られるのが、感性だと思う。今の社会はすべてが分類化・専門化してしまって、そこからは感性は生まれない。
絵を描くんだったら、キャンバスを組み立てるところからやる。そこで絵を描く心構えができてくる。そのときに与えられるものが感性ですよ。あれは神が与えてくれると思ってもいいんじゃないかな。コンピュータでボタン一つで自分のイメージする絵がつくれるのは便利だし、おもしろいものができるかもしれないけど、そこから生きていくための感性が得られるかどうか、疑問もありますね。
◎感性に従えば
学校教育でみんなが同じ方向を見て、同じ教育を受けて、同じ考えを持たせるようにしたら、感性は浮かんでこない。感性には、将来も、目的も関係ない。いきなり、ボンッと来る。その感性に対して、損か得かで考えちゃダメだよ。感性はどうしても厳しくて損なほうに来るけど、感性に従えば、必ずいい方向になるから。それが失敗したら、それはどこかで頭の考えが入ってたんだよ。自分の考えや思想だけで判断すると大変なことになる。最終的には感性が芸術をもたらす。それは、経済的なことより、もっと大事なことだと思います。
だから、いまのような便利なシステム化された社会のなかで、学校を辞めたってことは、すごいことだよ。あなたたちは、あえて自分で自分にハンディを背負ったわけでしょう。世の中が背負わせたんじゃない。人間に何が一番重要かと言えば、「自立」ですよ。あなたたちは、学校を辞めた時点で自立がはじまっている。今日まで死なないで生きてきたってことは、何かのかたちで自立しているということだと思う。そしてこれからも、死ぬまで自立し続ける。だから、生きていて楽しい。
親でも自立できてない人が多いから、子どもが学校に行かなくて、怒るんだよ。子どもはいつでも自分の後ろにいると思ってるからね。
――今後の活動展開は?
何もない。今日の仕事はあるけど、未来はわからないし、何も決めてないよ。最後は、死しかないしね。だから、できるだけ自分に忠実に、うそをつかないようにしたいと思ってます。
――ありがとうございました。(聞き手・子ども編集部一同)
(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県生まれ。1960年代以降、ニューヨーク近代美術館でポスター15点がパーマネントコレクションになり、その後、サンタナのレコードジャケット制作など、アートディレクターとして活躍。1980年にピカソ展を見てショックを受け、それ以降は絵画を中心の活動を展開する。現在も、近代芸術の旗手として活躍中。今年8月10日~10月27日「横尾忠則 森羅万象」を東京都現代美術館にて開催。
※2002年6月15日 不登校新聞掲載


