最新号トピックス

2008.05.13

本田由紀さんインタビュー

――ニート問題にとり組むきっかけは何だったのでしょうか? 「ニート」という言葉は、04~05年にかけて急速に広がりました。そのきっかけの一つが、「働かない若者『ニート』、10年で1・6倍 就業意欲なく親に”寄生“」という見出しで一面に掲載された、2004年5月17日づけの産経新聞の記事です。それにより、日本のニート概念、つまり「意欲のない若者の増加」「親への寄生」というイメージが色濃く定まってしまった感があります。その後、「ひきこもり」や「パラサイト・シングル」といったニート以前の既存の概念もニートに集約され、あの急速な広まりが生まれました。 そもそも、私自身はそうしたニート観に疑問を抱いていますし、言葉そのものも不適切であると感じています。その根拠となったのが、2005年3月の「青少年の就労に関する研究会」(座長・玄田有史)で行なわれた、「就労構造基本調査」という再集計結果です。私も研究会の委員でした。

◎ 反駁への確たるデータ

「就労構造基本調査」では、ニートを2つに大別しています。一つは「働く意欲はあるけれども求職行動をとっていない人たち」と、「まったく働く意欲を持っていない人たち」です。92年、97年、02年の調査結果によると、前者が若干数増えているのに対し、後者の数はほとんど増えていません。働く意欲のない若者は、じつは世間が騒いでいるように増えてはいなかったのです。私自身、「ニートが増えている」という言説に疑問を感じていましたが、このデータにより「やっぱり現状はちがうじゃないか」と。 さらにもう一つ、先の調査では「求職者数」の統計もとられました。じつは急激に増えているのは、この求職者の人たちです。この10年間で2倍以上(約120万人)に達しています。つまり、若者は労働市場におけるポストがない。労働経済学のなかでは、こうした厳しい労働状況だと「退避する労働者」(ディスカレッジド・ワーカー)が増えるという考え方があります。つまり、いまは労働条件が厳しいから、その間に資格を取ったりしながら、状況がよくなるのを待とうとする人たちですね。考えれば当たり前のことですが、こうした人たちも「ニート」に分類されました。 この事実は、若者個人に帰責できる問題ではなく、労働市場の需給関係において問題があるということを示しています。 ――現在のニート観には、どのような問題があるのでしょうか。 ニートという新しい概念を説明する際に「消極的である」とか「意欲がない」とか、個人の内面のあり方で説明されてきたという問題は大きかったと思います。ニートという言葉の広がりを見て、政治家や識者からは「愛国心がないから、国のために働かず、ニートになるんだ」「ニートを育てた親の教育が悪い」といった意見も出されました。元自民党幹事長の武部勤氏は「(ニートは)自衛隊に入って、サマワに送ればいいんだ」とも発言しています。これらは各人の持論をむりやりニートにくっつけて主張したにすぎず、なんの科学的根拠もありません。

◎ ニート問題とひきこもり問題

こうしたバッシングや言葉の定着のなかで、本来、分けて考えるべきであった「ひきこもり」と「ニート」の問題がごちゃ混ぜになって考えられる事態にもなりました。さらには、ニートが「どうしようもない」という蔑みの意味を含んだ言葉として用いられ、最近では「ニート主婦」や「社会人ニート」なという言葉も生まれています。こうした状況は、おかしいと、私は強く感じるのです。 ――あらたに見えてきた問題点はありますか? これは『「ニート」って言うな』を書いた直後から指摘を受けていたのですが、「ニートのなかでひきこもりをしている人たちはごく一部」という私の主張が「やっぱりひきこもりは問題だ、という言説を強調してしまう」という点です。 私のなかでは、ニートは労働と絡めた概念であるという認識で、ひきこもりは労働とは異なる部分での苦しみや困難を抱えた問題だと考えていました。ですから、ひきこもりの人を責めるつもりはまったくなかったんですね。 また「意欲」というものも、個々人の価値観によって受け取り方も異なります。「働かなきゃ」「何とかしなければ」という自分を責めるような強迫的な思いを「意欲がある」と位置づけられるのか。そもそも「意欲」という内面のあり方で、人を分類していくこと自体、ムリがあるのかもしれません。 ――最近、ニート治しの書籍が目立ちますが 石川良子さん(東京都立大学大学院生)は、「ニートはとにかく体を動かせ、働け」といった意見に対して「体だけ外に運んでどうにかなる問題ではない」と反論しています。私もそれに共感しています。

◎若者の声が力強いうねりに

ひきこもって社会や自分のあり方といった本質的な意味を疑い、問題を正面から抱え込んで考えていこうとする人たちに、私は期待している部分があります。なんか上から物を言うようなんですが(笑)、私もそういうタイプでしたから。さきほどのように「とりあえず動け」という議論は、考え続けようとする若者の可能性を奪っていくことになりかねません。では、どうしたらいいのか……その明確な答えはわかりません。ただ、考えながらもすこしずつ動き、疑問を追求したり、声を挙げたりしていく、それしかないかなと思っています。もちろん、かんたんな話ではありません。 社会自体は、もう少し「動くこと」に対して余裕をもって、立ち止まることもできるシステムづくりを考えていくべきでしょう。学校や会社では、ひたすら動くことのみが求められ、立ち止まる時間が許されませんから。 そもそも日本の教育は、教育と労働とのレリヴァンスが欠けているという側面があります。レリヴァンスとは直訳すると「意義」、広義には「つながり」という意味を含んでいます。従来の学校と会社組織のあいだに内容的なレリヴァンスは必要ありませんでした。しかし、不況や社会構造の変化に伴い、今後は教える内容と労働とのレリヴァンスをきちんと持たせていく責務があるだろうと思います。もちろん、有権者、消費者、家庭人、といった市民生活面とのレリヴァンスも必要です。そうしないかぎり、若者はつねに雇う側・企業側に生殺与奪の権利を奪われた状態に置かれることを意味するからです。 こうした状況に対して、若者の声や運動がもっと大々的に起こっていいと思いますし、それぞれの活動がゆるやかにつながりながら、力強いうねりとなっていくことが肝要だと感じています。 ――ありがとうございました。(聞き手・小熊広宣) プロフィール……(ほんだ・ゆき)1964年生まれ。専門は教育社会学。日本労働機構研究員などを経て現職。著書に『若者と仕事』(東京大学出版会)、『多元化する「能力」と日本社会』(NTT出版)などがある。 ※2007年5月1日 Fonte掲載