――シナリオライターとして「バッドエンドの物語しか書けない」と悩まれたこともあったそうですね。
 いまでもその気持ちはあります。それを覆すものってなんなんだろうか、と。そもそもバッドエンドの結末しか予想できないのは「なるようにしかならない」「自分の力では運命を変えられない」という考えが根底にあるからです。それはある面では真実だと思うんです。でも、そういう悲観と個人の満足感は別なのかも、と。世の中の価値観や常識に自分を合わせていくと、結果的には他人を蹴落としたり、面倒が起きたりすることになる。あるいは将来や社会という大きな視点で見ると悲観的な考えになっていく。そういうことではなくて、あくまで自分に即した理想、快楽、達成感を軸に据えれば、そこには誰も干渉できません。たとえそれが傍から見て愚かだと思われても恥じることではなかろう、と。幸せを感じる枠組みを変えてしまうことが大事なんじゃないかと思うんです。

――世間の価値観とズレがあるとギャップに苦しみませんか?
 それで苦しむのはナンセンスです。まったく意味がありません。そこまで社会に対して価値観を見いだす必要はないんです。

――「自分に立脚する」覚悟がいると思いますが。
 ひきこもってしまうぐらい世界に対して拒絶する覚悟があれば、なんのことはない決断だと思います。むしろ、ふつうはその手前の段階で決断するんです。自分らの時代からすれば、ひきこもるというのは即座に「死」を意味していました。本能的にもヤバイだろう、と。ただ、世の中とコミットしながらも心だけひきこもることも可能です。自分はそちらかもしれません。
 不思議なのは、ひきこもって世の中を切り捨てて閉じた世界で生きていこうと思ったのに、なぜそのあとまで世の中の基準に自分を照らして達成感を得ようとするのか。これはまったくの矛盾ですからね。自分の場合は世の中からもらった評価で自分が救われたことは、ただの一度もありません。つねに自分を救ったり、誇らせてきたりしたものは自分の価値観や達成感でした。

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