ペルーと言ったら、フジモリ大統領。それぐらいしか、ペルーに関して知識のない僕が、ストリートチルドレンとして働く、パトリシアさん(18歳)に、ペルーの子ども・教育事情を聞いた。

◎7歳から労働デビュー

パトリシアさんは7歳のころ、路上でお菓子売りをして、働き始めた。「理由は?」と聞くと「お金がないからよ」と笑って答えた。しかし、パトリシアさんは、特別な子どもではない。ペルーには現在も、150万人以上の子どもが働いてる(ペルーの人口は約2000万人)。つまり、札幌市約1個分の人間が、ペルーではストリートチルドレンとして働き、さらには、150万人という数も、実際にはもっと大勢の子が働いているという見方が強い。パトリシアさんは大勢の働く子どもの一人なのだ。

◎ストリートチルドレン

ペルーの貧困層は、主にネイティブペルーの人であり、白人は優遇される。ネイティブペルーの子どもの多くが、貧困に悩み、そこから働く子どもが出てくる。子どもの犯罪や売春も生まれるが、貧困で死ぬ可能性もあるので、彼らは必死なのだ。

◎ペルーの教育現場

ペルーの教育現場では、子どもは虐げられる存在である。学校では、体罰が平然となされ、パトリシアさん自身も宿題を忘れた程度で、殴られた。学問のレベルも高いものではないが、学費がかさむため、学校に行けない子が大勢いる。家庭内でも、同じように虐待が存在するが、何よりも、子どもが助けを求められるような、「声」を聞いてもらう場所が、ほとんどない。

◎日本の教育について

日本は勉強が盛んな国だと聞いていたから、学校に行かない子がいたのは大変驚いた。そして、学校に多くの問題があり、行かない子がいるということも理解できた。

◎ナソップとの出会い

9歳のころ、パトリシアさんはナソップに出会い、状況が一変した。これまで、不当な労働・不当な賃金を当然のごとく、強いられてきたパトリシアさんにとって、自らにも人権が存在し、自分自身が大切にされなければならないと、ナソップで学んだことは衝撃だったという。さらに、学校・家庭現場においての不当な扱いにも、不当性を訴えていくことも学び、貧困に立ち向かう運動を始める。

◎児童労働

「ただ、よく誤解されるのだが……」と、パトリシアさんがしゃべり出す。「児童労働に反対しているのではない。私自身も家族が生活できるようになるので、働くことはきらいじゃない。だが、搾取労働に反対しているのだ。ペルーの子どもは、自分に人権があることを知らない。自らを守るすべを知らない。だが、私たちは生きていくことを保証されている。そのことを知ること、伝えることが大切なんだ」とラテンアメリカ系独特の熱い口調で、訴える。

◎今後は……

「今後、どんな活動をしていきたいですか?」と質問すると、「ナソップで学んだことは、私が生きるうえでもっとも大切なことであり、現在も不当な扱いを受けている子どものために、私は活動をしたい」と答えてくれた。そして、「ただ、よく誤解されるのだが……」と言うと、また、強く訴え始めた。

「私たちはコートがほしいとか、食料がほしいとか、そういうことを言っているのではない。私たちが求めているのは、同情されることではない。子どもは半人前で、何も考えられないと決めつけないでほしい。私たちを一人の権利と主体性のある人間として認めたうえで、私たちが貧困に立ち向かい、打破すべく現状への要望に、大人も耳を傾けてほしいのだ」。

◎トゥパクアマルの日本大使館占領事件について

ペルーという国が僕にとって存在感のある国になったのは、恥ずかしながら、あの日本大使館占領事件である。あの事件では、フジモリ大統領が、占領側のトゥパクアマルメンバーを全員殺害することで、終止符を打ったのだが、一体現地の人はどう思ったのか?

「あの事件は、ペルー国内でも大変議論を呼ぶ、事件でした」。パトリシアさんが静かにしゃべったのはここまで、後はまくしたてるようにしゃべった。

「社会に多くのことを求め、改革しようとするものは、ゲリラと呼ばれ、牢獄に入れられ、無実の罪を着せられる。殺されてしまうことも、めずらしくはない。ただ、ペルーは多くの問題を抱え、改善が必要であるが、フジモリはそれを認めない。私は、フジモリに怒りと悲しみを感じ、カトリック教の法王も裏切り者でしかない。フジモリは虐殺者なのだ。絶対に許すことができない」。【子ども編集会議・石井志昴(18歳)】

※2000年7月1日 不登校新聞掲載