今回、見学した東陽食肉センターは、明治43年に設立されているので、100年近くの歴史を持つ屠殺場である。ここには、約100人ほどの人が働き、毎日、豚、牛、鳥、馬、羊、などの解体をしている。解体作業のほとんどは朝から午前中にかけて行われ、そのあいだで、約600頭の家畜を解体、年間にするとおよそ14万頭の家畜がここで解体される。

屠殺場に行くと聞いたときは、あまり行きたいとは思いませんでした。ある子の発案で決まったのですが、牛や豚を殺す所だと聞いて、無知な僕はB級ホラー映画のような場面を想像してしまいました。きっと家畜たちの断末魔の悲鳴がこだまし、あたりは鮮血で溢れ返っているのだろう。そんなものをわざわざ見に行かなくても……と思ったのです。ただ、家畜を殺すところを見る機会なんてそう滅多にないぞ、せっかくだから行ってみようかな、という興味もあり、結局は興味本位で行くことに決めました。

僕たちが到着したときは、すでに屠殺は終わっていて、豚の解体と解体した臓物を洗うところを見学させてもらうことになりました。

解体作業を行っている建物の前に案内され、さあ入ってみましょうというときに、その建物から作業をしていたおじさんが一人出てきました。そして、そのおじさんの白い作業服には真っ赤な血が……あぁ、やっぱり……ここに来たことを心から悔やんだ瞬間でした。

建物に入ると、正真正銘の天に召された解体前の豚さんが吊り下がっていました。解体するところは、思ったより手作業が多かったです。しかし、不思議と汚くはありませんでした。血なまぐさい修羅場を想像していた僕は、あっという間に首を落とし、皮を剥ぐ作業の見事さをただ呆然と見つめていました。変な表現かもしれませんが、職人技だなあと思いました。そうしてバラバラになっていくにつれて、『豚』が『豚肉』に変わっていくのです。僕はふだん豚カツや生姜焼きを食べますが、それは豚肉を食べているのであって、豚を食べているんだという感覚ではありませんでした。私たちは豚という生き物を食べているのです。

友だちに、「屠殺場で家畜を殺すところを見たら、気持ち悪くなってお肉を食べられなくなるんじゃない?」などと言われたりしましたが、そんなことはまったくありません。ただ、『食べる』ということに関しての意識は変わったような気がします。『食べる』ということ、それによって『生きる』ということ、ふだん当たり前にしていることですが、実はすごいことなんだと気づきました。

見て気持ち良いものではありませんでしたが、私たちが生きていくにはほかの生命が必要だということ、そしてその生命に毎日向き合って仕事をしている方々がいることなど、多くのことを学び、また当たり前のことを再確認できてよかったと思います。

今回の取材は、この食肉センターで働いている人たちの協力があって実現したわけですが、このような施設に取材をお願いすると、大半は断られてしまうという現実があります。生命に真正面から向き合う仕事で、人々の暮らしに大いに貢献している仕事なのになぜか?  その根底には、部落差別と呼ばれる問題が残っているようです。

歴史的に屠殺の仕事は、被差別部落と呼ばれる所に住んでいて、理不尽な差別を受けている人たちが担ってきており、卑しい仕事として位置づけられてきました。

部落差別などということはとんでもないことで、こういった差別が残っているというのは恥ずべきことだし、一刻も早くなくさなければなりません。しかし、こういった意識が人々のなかに残っているというのも事実のようです。

僕は1年ほど前まで兵庫県に住んでいました。そこは部落差別の意識がとくに強く残っている地域だったようで、理不尽な差別の話などをよく聞かされました。5年前の阪神・淡路大震災で、たくさんの人が被災し、住む家を失って学校の体育館などに避難しましたが、差別を受けていた被差別部落の人たちは、そういった施設に避難せず公園にテントを張ったりして泊まる、といったこともあったそうです。家もなければ水も電気もない、あちこちで人がけがをしたり亡くなったりしている、そんな中でも人々の意識に残る部落差別とは、いったいなんでしょうか。そして、その差別によって今も苦しんでいる人がいるのです。

今回の取材で、今まで見過ごしてきた、そういった問題も少し見えてきた気がします。僕は難しいことは何もわかりません。ただ、差別される人たちに何の落ち度もないこと、そういった差別が不当だということはわかります。これからも真剣に考えていきたいと思います。【子ども編集会議・森安範15歳】

※2000年5月1日 不登校新聞掲載