東海村に行ったことで、ますます原子力に興味を持った僕たちは、原子力資料情報室の藤野さんに詳しい話を聞いたり、自分たちで調べることでいろいろなことがわかってきました。そこで、今回から2回に分けて、原子力問題を取り上げたいと思います。

◎原子力発電って何だ?

原子力発電は、原子を分裂させ、そのときに発生するエネルギーでタービンを回し、発電します。その核分裂の際、放射線を出し、死の灰と呼ばれる放射性物質(放射線を出す物質)が生まれるのです。だから、原発や放射性物質を扱う施設では放射線が外に漏れないような工夫がしてあります。というか、しなきゃダメと言われているんです。ちなみにJCOは原発ではなく、ウランを加工する工場の一つです。

◎JCO臨界事故で見えた歪み

JCOで話題になった臨界とは、核分裂が連鎖的に起こる状態で、大量の中性子線が出る。中性子線とは、放射線の一つでコンクリートや鉛の壁も突き抜け、人間がこの中性子線を浴びれば、体の細胞が壊れ、壊れた細胞は細胞分裂をしながら癌のように体中を蝕んでいく。ちなみに「きれいな核兵器」と呼ばれている中性子爆弾という物があって、建物を壊さず、中性子線で人や動物だけを殺してしまう爆弾があります。昨年9月30日のJCOには、まさにこの小さな中性子爆弾が落ちた状態になりました。

◎臨界状態が続いた

実はこの臨界事故、約20時間中性子線を出し続けていました。臨界状況が続いているとわかったのは午後5時ですが、その後、屋内退避勧告が出され、自衛隊が出動し、道路と線路を封鎖。先ほども言ったように中性子線は、大概のものを突き抜けてしまうので、屋内退避にはほとんど意味がなかったわけです。というより、10km先まで一刻も早く逃げなきゃいけない。だけど、道路と線路を封鎖されて逃げられず、住民はムダに被爆してしまった。
さらに政府が中性子線を調べる前にJCOから2km離れた日本原子力研究所の那珂研究所では、事故発生当時から研究所内に中性子線観測機があるので、誰よりも早く臨界事故を知り、臨界がその後、続いていたこともわかっていた。しかし、研究所は2週間たつまでそのことを言わなかった。理由は研究所の人の言葉で「聞かれなかったから、言わなかった」である。

事故発生から2週間たつとどうなるか、それは住民が中性子線を浴びたかどうかを調べることが、ほぼできなくなるのです。つまり、事故によって被害が出た人も「因果関係」がはっきりしないので、責任をとらなくて済む。この臨界事故ではこんなことが起きていたのです。【石井志昂・17歳】

~メモ~
臨界事故発生

その間何があったのか、知っている人も多いと思いますが、ここで書かせてもらいます。
まず、事故発生が10時30分、2km離れた日本原子力研究所の那珂研究所で中性子線を観測。
住民に事故発生の放送があったのが12時30分。
15時、350m圏内の人に避難勧告。
17時、調査によって臨界が続いていることがわかる。
22時30分、屋内退避勧告 道路と鉄道を封鎖
翌日2時35分、臨界をとめるための工事が始まる。
6時34分、作業終了。臨界状況が止まる。

※2000年3月15日 不登校新聞掲載