平野裕二さん

日本に子どもの権利条約が批准されてから5年がたちました。といっても、僕たち当の本人にとっては、何が5年前から変わったのかさっぱりわからない。というか、権利とはなんぞや?そんな質問を今日は、子どもの権利条約に詳しい平野裕二さんに聞いてみました。

――権利って何なの?

僕の考えは、人がおたがいの幸せやおたがいの尊厳を守るために持っている約束事だと思います。それをおたがいに守っていって、よい社会をつくっていきましょうという、人間関係の指針だと考えています。

――子どもにとっての権利って?

大前提として、子どもも一人の人間なので、人間に当然保障される人権がある。それから、子どもというのはいろいろと社会的にも弱い立場にあるわけだし、力関係においても弱い立場にあるわけだから、特別に守られなければならない存在なのだという側面があります。とくに、イヤなことに対して、イヤだと言う権利は当然ある。とりわけそのイヤなことが、肉体的にも精神的にも被害を及ぼすことなら、断固として拒絶する権利があるし、救いを求める権利がある。イヤなことをイヤだと言うことから、権利が始まると僕は思うんですよ。

それと、権利はほかの人にもあるんだということを理解して、おたがいの権利を守っていくことも大切です。

――普段の生活で子どもの権利条約違反をしてることってどんなこと?

◎校則

ある程度の規則というのは集団で暮らしていく上で必要だけれど、その校則というのがどうして存在するのか?それを説明できない校則ならば、僕はいらない校則だと思う。それと、今の校則は生徒にしか適用されない。そうではなくて、生徒にも教師にも等しく権利と責任があるものだと、そういう校則にならなければならないと思います。

◎給食

僕は小学校時代、給食が嫌いでね。お肉がひき肉以外は食べられなかった。だから、酢豚なんか泣きながら食ってたよ(笑)。やはり、嫌いなものを食べないっていうのは、人間の尊厳にかかわる問題だからね。確かに好き嫌いはしないに越したことはないけど、大人になるにつれて自然になくなる。「全部食べなさい」と言うほうにもわけがあるんだけど、それ以上に何よりも、自分が嫌いなものを無理やり食べさせられるということがどれだけ精神的にも肉体的にも苦痛なのか、ということのほうが大きいと僕は思う。

――学校に行かない権利もありますよね。なかなか理解されないですが…

理解がないのは、未来に対する大人の根拠のない恐れでしょうね。学習の機会は必要だと思いますが、それは何も学校である必要がない。いろいろなやり方で生きていけるということの理解も低いし、大人自身も身のまわりにそういう人があまりいないから知らない。けど、僕はなんとかなると思ってるし、いろんなかたちで生きていけると思っています。

――今日はどうもありがとうございました。

(ひらの ゆうじ)
ARC(アクション・フォー・ザ・ライツ・オブ・ザ・チルドレン)代表。国連・子どもの権利委員会を毎回傍聴するなど、国際的情報を精力的に収集・提供している。
著書に「生徒人権手帳」(共著・三一書房)、「子どもの権利条約のこれから」(共著・エーデル研究所)。翻訳に「いじめに立ち向かう」(アドバンテージサーバー)、「子どもの権条約 日本の課題95」(労働教育センター)など。

※1999年11月15日 不登校新聞掲載