7月15日、ファミリーコンピューター(以下ファミコン)は発売20周年を迎えた。「ゲーマー」や「ゲーム世代」という言葉を生み、数々の社会現象を起こしたファミコン。このファミコンに焦点をあて、任天堂に取材した。

◎ファミコンの歴史

 そもそも、テレビゲームは1958年にブルックヘイブン国立研究所(アメリカ)で開発されたことが発祥となる。日本でゲームが流行したのは78年にタイトーが「スペースインベーダー」を発表してから。ゲーム喫茶とともに大流行を呼んだ。流行を受け、80年代はじめ、14社が家庭用ゲーム機開発にとり組みはじめる。そして、任天堂は遅れながらも83年にファミコンを発売した。

◎大ヒットの秘密

 当時の家庭用ゲーム機の相場は3~5万円程度だった。任天堂はリコー社にファミコン専用IC開発を依頼。大量発注を約束することで、低コストに抑え1万4800円で売り出すことに成功した。ファミコン専用ICと言えば聞こえはいいが、他のゲーム機がパソコン用ICだったのに比べ、色数や音も低性能になる。そのぶん、任天堂はゲームソフトの制作に力を入れた。まず、ファミコンと同時に『ドンキーコング』を発売。84年に他社開発ではあるが、「ロードランナー」「ゼビウス」で人気に火がつき、85年「スーパーマリオブラザーズ」で爆発的なヒット。以降、多数のソフト開発会社が任天堂からソフトを出し、ファミコンはゲーム機の王様になっていく。

 しかし、この20年間、ファミコンは「教育上によくない」と風当たりが強かった。それでも、任天堂は「批判も受けましたが、いまは文化として、エンターテイメントとして、それなりの地位を確立したと思っています。今後もテレビゲームで遊びを豊かにした世代のニーズに応えながら、努力を続けたい」とめげてはいない。

◎金字塔の幕引き

 94年にソニーの「プレイステーション」が発売された。一時代を築いたファミコンもこれらの新しいゲーム機にとって代わられるようになる。初代ファミコンのソフト開発は1994年を最後に途絶えた。これまでファミコン本体はなんとか年間6万台の生産を続けてきた。しかし、ファミコン部品の生産中止にともない、今年9月30日に任天堂はファミコンの生産を停止することになった。累計出荷台数約6200万台、ゲーム界の金字塔ファミコンは幕を下ろす。

 ゲームクリエイターの渡辺浩弐さんはファミコンが生まれた20年間をふり返り、こう語る。

「ファミコンはとじこもるためのツールではありませんでした。ファミコンをするときは結果的に閉じこもっていても、ファミコンを通じて何万人、何百万人と同じ遊びをし、深い共感を覚え合う仲間をつくってきました。つまり、コミニュケーションツールだったわけです。

 ファミコンは社会がデジタル社会へと変化する直前に生まれ、青少年期にファミコンに出会った世代は幸福でした。なぜなら、デジタル化へと激変する仕事や生活スタイルの予習になり、生理的にも本能的にも対応できる世代が育ったのですから」(石井志昂)

※2003年7月15日 不登校新聞掲載