母からもらったバレンタインチョコに複雑な思いを感じた思春期。2月中旬にチョコレートを買うと笑いながら「可愛い包装にしますか?」と聞かれた思い出。1年のうちで、大好きなチョコレートも一番じゃまくさく感じるバレンタインデー。いったい、いつから、誰が、どんな理由で、私をこんな目に遭わせるのかを追求した。(石井志昂)

◎チョコレートのはじまり

 チョコレートは紀元前1100年ごろ、マヤ文明の初期からつくられたと言われている。このころは、現在のようなかたちではなく、カカオ豆の種子をすりつぶして、樹蜜とトウモロコシの粉を加えて水煮した「ショコラテ」という飲み物であった。このショコラテは「神様の飲み物」として王侯・貴族の飲みものとされていた。さらに中米の歴史をひもとくと、薬に混ぜて使用されていたり、結婚式の引き出ものや死者の儀式にも使われていた。死者から新婚夫婦にまで喜ばれる超人気っぷりがうかがえる。

◎貯古齢糖の歴史

 さて日本に渡ってきたのはいつか? 1797年には長崎で「しょくらあと」が飲まれていた記録がある。しかし、日本には定着せず、はじめてチョコレート商品を売り出したのは「米津風月堂」。1877年に「貯古齢糖(チョコレート)」という名前で東京報知新聞に広告を出した。当時は大変高価なお菓子として、一部の外国人、または特権階級の人しか口にできなかった。

◎ホントのバレンタインデー

 3世紀ごろ、ときの皇帝は兵士たちの結婚を禁止していた。しかし、司祭バレンタインは皇帝の命に背き、ひそかに多くの兵を結婚させ、殺された。バレンタインデーは司祭バレンタインの殉教を悼む日であるらしい。しかし、なぜか14世紀ごろから若い人たちのあいだで、この日に愛の告白やプロポーズの贈り物をするようになったらしい。

◎バレンタインデーのはじまり

 1958年に新宿・伊勢丹の売り場で、メリーチョコレート会社がバレンタインチョコを売り出した。このときは、看板に手書きで「バレンタインセール」と書き、3日間のセールを行った。しかし、売れたチョコは30円の板チョコ5枚。大赤字に会社中がガックリしたと思われる。

 バレンタイン旋風が吹き荒れたのは、翌年1959年からである。昨年の失敗を活かそうとメリーチョコレート会社はハート型のチョコをつくり、「女性から男性へ」のキャッチフレーズを掲げて、売りはじめた。これに目を付けた森永製菓は1960年にマスコミを通じて、バレンタインデーの宣伝を大々的にはじめた。各チョコレート会社も「遅れをとるな」と言わんばかりにハート型のチョコレートを販売しはじめた。

 バレンタインデーが定着しはじめたのは1970年代に入ってからである。しかし、それまでには、各チョコレート会社のサラリーマンたちがくり広げる汗と涙のドラマがあっただろう。バレンタインデーの販売額を見て、万歳三唱しただろう。今日のバレンタインデーとは、各チョコレート会社の努力の結晶といえる。その証拠に、チョコレートを贈る習慣が定着しているのは、日本だけであるからだ。

◎ブラックデー

 韓国では、バレンタインデーにちなんだ記念日「ブラックデー」がある。バレンタインチョコをあげられなかった人、または、もらえなかった人が4月14日に集い、黒い服装で、黒いジャージャー麺を食べ、黒く暗い気持ちを慰めあうのが、記念日の過ごし方。慰めあうほど、バレンタインデーごときで落ちこまねえよ、とは思うが、とりあえず、体験してみる。

 子ども編集部のメンバーは、店員が中国語で会話をはずませる中華料理店を選び、黒い服装をして入った。最高に暗い気持ちになろう、と思いつつも、メニューに目がくらみ、ジャージャー麺のほかに鶏肉の野菜炒めも頼んだ。5分後に出されたジャージャー麺は非常においしかった。満腹にも関わらず「甘いものは別腹」なので、杏仁豆腐を食べて、幸せをかみしめた。ふと「美味しい料理紹介」の企画になってしまっている、と気づいた。これじゃあ、記事にならないなあ、と思っていたが、帰り道で「ブラックデーの教え」に気づいた。ブラックデーとは「つらいことがあれば、美味しいものでも食べて忘れてしまったほうがいい」、と思う日だったのだ。ぜひ、みなさんも落ち込んだ日にはジャージャー麺を食べてみて下さい。

※2002年2月15日 不登校新聞掲載