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	<title>fonte</title>
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	<description>不登校、教育、社会問題を発信する新聞『Fonte』</description>
	<pubDate>Fri, 04 Jul 2008 02:47:35 +0000</pubDate>
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		<title>Fonte No.245 Date. 2008.07.01</title>
		<link>http://www.futoko.org/fonte/20080702-176/</link>
		<comments>http://www.futoko.org/fonte/20080702-176/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 02 Jul 2008 10:58:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[fonte目次]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.futoko.org/?p=176</guid>
		<description><![CDATA[１面　厚労省まとめ　虐待相談件数初の４万件越え
２面　永山子ども基金・チャリティ開催へ
電話相談・受け手講座スタート
３面　自殺者10年連続、3万人越え
論説・芹沢俊介
４面　通信員より
声、はっつけあーと
５面　子ども交流合宿・目玉企画は？
数字パズル
６面～7面
特集・お父さんと不登校
お父さんからの体験手記
８面　親の会情報、infomationほか
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>１面　厚労省まとめ　虐待相談件数初の４万件越え</p>
<p>２面　永山子ども基金・チャリティ開催へ<br />
電話相談・受け手講座スタート</p>
<p>３面　自殺者10年連続、3万人越え<br />
論説・芹沢俊介</p>
<p>４面　通信員より<br />
声、はっつけあーと</p>
<p>５面　子ども交流合宿・目玉企画は？<br />
数字パズル</p>
<p>６面～7面<br />
特集・お父さんと不登校<br />
お父さんからの体験手記</p>
<p>８面　親の会情報、infomationほか</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Fonte No.244 Date. 2008.06.15</title>
		<link>http://www.futoko.org/fonte/20080702-175/</link>
		<comments>http://www.futoko.org/fonte/20080702-175/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 02 Jul 2008 10:57:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[fonte目次]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.futoko.org/?p=175</guid>
		<description><![CDATA[１面　新潟市 フリースクールの13名へ出席督促書
学校外の居場所を狙い撃ち？
２面　教育再生懇談会・第一次報告
連載・シングルマザー（最終回）
３面　フリースクール議連が設立総会
向谷地生良「日々、発見」
４面　通信員より
声、はっつけあーと
５面　子ども編集部「キユーピー工場」
モノのちがい
６面　不登校経験者・唐嶋道子さん
Ｗｅフォーラム08’開催へ
７面　「飽食」と「貧困」の矛盾をつなぐ
セカンドハーベスト・ジャパン
８面　親の会情報、infomationほ　か
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>１面　新潟市 フリースクールの13名へ出席督促書<br />
学校外の居場所を狙い撃ち？</p>
<p>２面　教育再生懇談会・第一次報告<br />
連載・シングルマザー（最終回）</p>
<p>３面　フリースクール議連が設立総会<br />
向谷地生良「日々、発見」</p>
<p>４面　通信員より<br />
声、はっつけあーと</p>
<p>５面　子ども編集部「キユーピー工場」<br />
モノのちがい</p>
<p>６面　不登校経験者・唐嶋道子さん<br />
Ｗｅフォーラム08’開催へ</p>
<p>７面　「飽食」と「貧困」の矛盾をつなぐ<br />
セカンドハーベスト・ジャパン</p>
<p>８面　親の会情報、infomationほ　か</p>
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		</item>
		<item>
		<title>虐待相談件数　初の4万件越え</title>
		<link>http://www.futoko.org/news/20080702-174/</link>
		<comments>http://www.futoko.org/news/20080702-174/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 02 Jul 2008 10:54:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[ニュース]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.futoko.org/?p=174</guid>
		<description><![CDATA[　全国の児童相談所が相談を受け対応した児童虐待件数が07年度、過去最多の4万418件（速報値）にのぼったことが、厚生労働省のまとめでわかった。90年の統計開始以降、過去最多だった昨年度より3295件上回った。統計を開始した90年には1101件だった相談件数は年々増加の一途をたどっており、相談件数1万件を超えた99年より8年足らずのあいだに、その4倍を超える結果となった。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　全国の児童相談所が相談を受け対応した児童虐待件数が07年度、過去最多の4万418件（速報値）にのぼったことが、厚生労働省のまとめでわかった。90年の統計開始以降、過去最多だった昨年度より3295件上回った。統計を開始した90年には1101件だった相談件数は年々増加の一途をたどっており、相談件数1万件を超えた99年より8年足らずのあいだに、その4倍を超える結果となった。</p>
<p>　相談件数の対前年度比を都道府県別に見ていくと、減少したのは福井県（0・75倍）▽島根県（0・88倍）▽長崎県（0・88倍）をはじめとする13府県。福岡県は全国で唯一100件以上の減少が見られた。逆に増加したのは、北海道（1・46倍）▽石川県（1・45倍）▽和歌山県（1・45倍）など34都道府県。なかでも神奈川県（924件増）と北海道（463件増）は大幅な増加が見られた。<br />
　児童虐待の相談件数が増えた背景には「社会的な意識の高まりなどが増加の一因だが、実際の虐待件数自体も増えているのではないか」と厚労省は見ている。</p>
<p><strong> 虐待は本当に 増加したのか</strong></p>
<p>　愛知県には、弁護士と市民が中心となって1994年に設立した「子どもの虐待防止ネットワーク・あいち」（通称・ＣＡＰＮＡ）がある。ＣＡＰＮＡでは電話相談、調査研究、家庭支援などの活動を展開しており、児童相談所と連携して弁護士が、子どもの緊急一時保護や親権喪失宣告の申し立てなどをする「危機介入」も活動の大きな柱となっている。今回の相談件数の増加に対して、ＣＡＰＮＡの弁護士・岩城正光さんは「虐待件数が急激に増えたというより、認知度が高まったことが大きい」と指摘する。認知度が高まった要因としては、児童虐待防止法改正案の可決や厚労省の「児童虐待等要保護事例の検証に関する専門委員会」の報告などが挙げられる。改正児童虐待防止法は、08年4月1日より施行されており、改正のポイントは、裁判所の令状に基づく家庭への強制立ち入り調査や児童への接近禁止命令など、児童相談所の権限をこれまでより強化したところにあった。</p>
<p><strong> 数字で測れる 問題ではない</strong></p>
<p>　岩城正光さんは、今回の増加を潜在的な虐待が明るみに出てきた問題だと指摘しているが「そもそも虐待の背景にある地域や連帯の崩壊が進んでおり、子育てが『親任せ』になっている現状は依然、深刻だ」と話している。<br />
　社会福祉法人・子どもの虐待防止センターの菅江佳子さんは、相談件数の増加について「児童虐待は数字の増減だけでは計れない問題だが、個人的な実感からは増えているように感じる」と話す。センターは91年に市民の手で設立され、97年には社会福祉法人に認可された。センターではおもに子育て中の母親から年間4000件以上の電話相談を受けている。<br />
　センターの菅江佳子さんは児童虐待の増加要因について「相談を受けていると、地域社会の希薄さと親の意識の変化を感じる。とくに後者は、子育てという部分において強く感じる。親自身が親になるまで子どもに触れる機会がなく、どうしても親が一人で抱え込まざるを得ない状況だ」と話した。</p>
<p><strong>不安しか見えず</strong>　</p>
<p>虐待などを受けた子どもが逃げ込めるシェルターを運営する「カリヨン子どもセンター」の坪井節子弁護士も、今回の増加について「実感として虐待は増えている気がする」と話す。カリヨン子どもセンターは04年に市民と弁護士で立ち上げられたＮＰＯ団体。今年4月からは社会福祉法人としてシェルターと自立援助ホームの運営を行なっている。これまでシェルターには10代後半の子どもを中心に110名が入居。このうち約8割が虐待を経験していた。坪井さんは、虐待が増加した要因についてこう語る。<br />
　「現場にいると、虐待は崩壊した家庭だけでなく、ごくふつうの家庭でも起きていると感じる。親の痛みや孤立感といった困窮が深まり、親には不安しか見えず、子どもにしわ寄せが行くという状態になってしまった。ただ、カリヨンでは、子どもたちに『生きていてもいいんだよ』というメッセージを丹念に丹念に伝えてることで、元気を取り戻すようすを見ている。いまこそ『いっしょに生きていこう』というメッセージを傷ついた子どもや孤立した親たちに伝えることが求められているのではないでしょうか」。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>第９回「親の気持ち　子の思い」</title>
		<link>http://www.futoko.org/column/20080630-140/</link>
		<comments>http://www.futoko.org/column/20080630-140/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 29 Jun 2008 15:00:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[　愛知県岡崎市で11月20日朝、ホームレスの女性が内臓破裂などで殺される事件があった。周辺ではホームレスが襲われる事件が続いていたが、とうとう死者が出てしまった。そして12月19日、1カ月後に、14歳の少年が告白したと報道された。襲撃は数人で行なわれ、主犯格とされる28歳の男は逃げているとも報道された。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　愛知県岡崎市で11月20日朝、ホームレスの女性が内臓破裂などで殺される事件があった。周辺ではホームレスが襲われる事件が続いていたが、とうとう死者が出てしまった。そして12月19日、1カ月後に、14歳の少年が告白したと報道された。襲撃は数人で行なわれ、主犯格とされる28歳の男は逃げているとも報道された。</p>
<p>　少年たちによるホームレスの襲撃は、東京でも千葉でも続いていて、新聞記事の扱いも小さいし、テレビではほとんどニュースとして扱われないことさえある。今から23年前、1983年に横浜市で少年たちが集団でホームレスを襲った事件が明るみに出たときは、少なくとも新聞の扱いは1面トップ、テレビニュースもトップでとりあげた。</p>
<p>　逮捕された少年たちのことば、「人を殺すことはおもしろかった」「おれたちは地下街を掃除してやっただけ」「奴らはくさい。くさいことは許せない」などは大きく報道された。それはそのまま、そういうことを口にする少年たちの出現に対して、社会が受けた衝撃の大きさを示していた。その後の、数日間は、ニュースはこの「横浜浮浪者襲撃事件」一色であった。</p>
<p>　23年前の横浜の事件と今回の岡崎の事件とのあいだには、ある変化が見える。それは横浜の事件では逮捕されたのは少年たちばかりなのに対し、岡崎の事件では“主犯”は成人の男と言われている。近年、少年事件といわれるもののなかに、成人に命令されて、あるいは引きずられて…というものが多くなっている。一般的に「少年犯罪増加」といわれるが、“主犯”ないし、“主犯格”はおとなであることが多く、そういう意味で見れば少年犯罪は増えているわけではない。</p>
<p>　横浜の事件以外にも、ホームレスの人たちがおとなに襲われることはいくつも起きているが、83年のあの事件に関しては、おとなの命令者は確認されていない。10代の少年たちが、いわば「遊び」として、「何となく」やってしまったのが、大きな特徴となる事件で、そのことがまた当時のおとなたちにとって衝撃であった。</p>
<p>　さらに大きなちがいは、今回の岡崎の事件では、犯人たちはホームレスの人の金を奪っているという。襲撃が目的というより金が目的だったとしたら、なぜ大金を持っているとは思えないホームレスの人を襲ったのか。そこに23年前とはまったく異なる姿を見いだすのである。</p>
<p>　今回の事件の全容はまだわかっていないけれど、襲った側の人間（かならずしも少年だけではあるまい）と、襲われた側の人間が、私たちが想像する以上にちかいところにいたのではないかと私は思う。23年前のときは、襲った少年たちの口から、「ヤツらとオレたちはちがう」と言いたいような言葉が飛び出した。「クサイ」あいつらと同じように見られるのは許せなかったと、事件後私が出会った少年は言ったのである。相手と自分がちがうという差別感がその底に感じられた。しかし今、岡崎で起きている事件は、襲った側も同じような立場で、そのなかのより弱い人間を襲ったのであろう。底なしの格差拡大のなかで起きた事件だ。世の中、ますます悪くなっている。</p>
<p>※Ｆｏｎｔｅ2007年1月1日号掲載</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>石川憲彦さんに聞く発達障害</title>
		<link>http://www.futoko.org/special/special-6/20080630-159/</link>
		<comments>http://www.futoko.org/special/special-6/20080630-159/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 29 Jun 2008 15:00:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[6月特集　発達障害ってなに？]]></category>

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		<description><![CDATA[　発達障害の最後に精神科医の石川憲彦さんのインタビューを掲載したい。石川さんには、発達障害者支援法の問題、特別支援教育について、発達障害が問題となる社会のあり方についてなど、お話をうかがった。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.futoko.org/wordpress/wp-admin/なし"><img class="alignnone size-full wp-image-160" title="ishikawa" src="http://www.futoko.org/wordpress/wp-content/uploads/2008/05/ishikawa.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p> <strong>――発達障害が脳機能の問題とされている点について、どのようにお考えですか？</strong></p>
<p>　発達障害だけじゃなくて、いまの社会の潮流では、あらゆることを脳内現象で説明しようとしていますね。いまや老化現象ですら、脳内現象です。しかし、これには医学的にみても大きな欠陥があります。</p>
<p>　たとえば自閉的な子は心が通いにくく、マイペースで、他人のことをあまり考えないで、自分独自のアイディアで生きている傾向が強いと言われます。それを「心の理論」では、特定の脳の部位の問題として説明している。しかし、脳機能なんて、いかようにも解釈できるんですね。ほんとうは脳機能の問題なんて、あってないようなものです。</p>
<p>　ただ、そこで問題なのは、微細な脳機能の問題という捉え方をすれば、あらゆる問題で障害の幅を伸び縮みさせることができてしまうことです。</p>
<h3>◎必要なのは状況支援</h3>
<p>　私は、人間に支援は必要だと思いますが、それは状況支援でいいわけです。たとえば、バスの段差をなくしたら、車イスの人だけじゃなくて、老人や妊婦さんも助かる。それを障害の問題だとしてしまうと、対象を狭めてしまいますね。</p>
<p>　発達障害でも、たとえばアスペルガーの子は物事の全体が見えてないと混乱するから、授業の最初に説明をしてあげれば落ちつくと言います。だけど、それは、どの子にとってもいいことでしょう？</p>
<p>　状況支援と言うと、「費用がどんどん膨らんでいったらどうするのか」と言われますが、それは逆で、問題は働けない人が増えていく状況のほうにあるわけです。障害者が働ける状況をつくっていく支援があれば、特別な支援は減っていきます。</p>
<p>　人が人を助け合ったり、支援するというのは、基本はお金じゃないですよね。それでも、いまのところはお金でしか補えないことがあるなら、それは疾患別ではなくて、状況によって、誰でも困ったら受けられるようにすべきです。</p>
<p><strong>――昨年4月に発達障害者支援法が施行されましたが、この問題点は？</strong></p>
<p>　いろいろありますが、何より問題なのは、当事者不在で進められた点ですね。</p>
<p>　精神科の疾患は、基本的にDiseaseではなくてDisorderなんです。Diseaseは、みずからがイージーじゃないということ。気分がよくなかったり、痛かったり、熱があったりして、いつものようにできないということです。これに対してDisorderは、オーダー（命令）どおりいかないことです。命令に従えない、規律を守れない。そこに対する治療は、外からコントロールすることになる。</p>
<h3>◎誰のニードなのか</h3>
<p>　発達障害者支援法でも、誰のニードで、誰が主体で決めてきたかが問題ですが、そもそも法の成立過程からして方向が決まってしまっています。</p>
<p>　国は発達障害者の数を人口の6％と見込んだわけですが、そうすると日本における発達障害者の数は約800万人になります。それだけの当事者をさしおいて、医者のような専門家と、親の会と、一部の議員で法律を決めてしまった。つまり、当事者は自分のことを考えることができないという見方をしているわけです。たしかに、重度の障害者で本人の意志を表明しにくい人はいます。その場合、やむを得ず親や周囲が代弁せざるを得ないというのはわかりますが、今回の場合は、そういう話じゃないですからね。</p>
<p>　当事者が本当に望んでいるニードがあるなら、当事者は結束します。そういう当事者の声にもとづいて、制度を論議しないといけない。しかし、それに対しては「自閉的な人や発達障害の人は団結するのが下手なんだ」というわけです。これは、すごい論理です。</p>
<p>　また、支援法のなかには「犯罪等により発達障害者が被害を受けることを防止する」という一文がありますが、これが直前の案までは、加害者になる可能性を示唆するような文案になっていました。この法律がどういう目線でつくられたかがうかがえます。</p>
<p>　結局、この法律は、財務省で大枠の予算枠が削られ、全体のパイが小さくなるなかで、各省庁のあせりと物取り意識で、できた法律です。</p>
<p>　しかも、この法案に対しては、疑問や反論の声が、どの方面からも出なかったんですね。それくらい、みんなが物取り主義に追われているとしたら、これはピンチですね。</p>
<p><strong>――特別支援教育については、どのように？</strong></p>
<p>　発達障害者支援法が通ったことで、特別支援教育は、ひどい方向に動いています。もともと危うさはありましたが、それでも当初は、特殊教育から障害児教育と変わってきた流れを変えて、障害児の教育ではなく、みんながいっしょに学ぶインクルージョンに向けていこうという話でした。支援のいる子には支援を、しかし基本は同一教育という考えで「特別支援教育」となったわけです。</p>
<p>　ところが支援法が通ったことで、特別支援教育は、軽度発達障害児だけが焦点になったんです。これでは発想が逆になって、今まで普通学級で学んでいた子どもたちを、特別支援学級に抜き出して、そこで教育することになってしまっています。これによって、障害者を地域へという方針まで揺らいでいます。</p>
<p>　子どもたちは総体としてのニードをもっているし、そのニードは、構成メンバーによって変わってくるものです。ところが、特別支援教育は、集団や母体への支援ではなくて、個人への支援で、支援の方向が個別化されているんですね。それが、発達障害者支援法の特色だと言えます。</p>
<p><strong>――親の方も、しんどい状況になっていると感じますが？</strong></p>
<p>　とても、しんどいですよね。学校が安全管理で、とても防衛的になっていますから、ちょっと何かあると、「発達障害だから」と専門家のところに行かせて、校長責任から外したがる。私の知っているケースでも、入学式の日に友だちに一発パンチをくらわした子が、それだけのことで「医者の許可がないかぎり学校に来るな」と言われていました。そういう口実に医療が使われている。</p>
<p>　実際には自分たちの安全のためであることが、集団の安全にすりかえられ、さらに、それが「その子のため」と、見事にすりかえられてます。</p>
<p>　そういうなかで、親たちも追いつめられていますね。「発達障害なのに、ちゃんと対処していないから問題を起こすんだ」と言われないように、汲々としています。</p>
<p>　人間、悩んだり苦しんだり、傷ついたり、ときにはそれちゃうことだって、あるわけじゃないですか。それを親の責任として追い込まれたら、きついですよね。これも個人責任論になっているわけです。</p>
<h3>◎どちらが正常？</h3>
<p><strong>――ちょっと変わった子を異常視する見方がキツくなっているように感じます。</strong></p>
<p>　よく引き合いに出す話ですが、ある自閉症の子が中学2年生のときに、おばあちゃんが亡くなったんですね。葬儀のとき、その子はだんだん興奮してきて、とうとう自制がきかなくなって、棺のところまで走っていって、ボーンと棺桶をひっくり返して、転がりでてきたおばあちゃんの遺体にチュウしたりした。それで大騒ぎになって、まわりの人は「あんなに大事にしてくれたおばあちゃんなのに、自閉症の子は心が伝わらない」と言っていました。</p>
<p>　その子は薬で寝かしつけられて、その後、1週間、部屋にこもりきりでした。もともとこだわりのある子ですから、学校に行くのも時間どおり、すべて何時何分に何をすると行動パターンが決まっていた。そういう子が1週間行かなかった。そうしたら、彼はその後、毎年、おばあちゃんの命日になると、そのとき着ていたパジャマを着て部屋に1週間こもるようになりました。それを17年間、ずっと続けていました。</p>
<p>　診断基準からみれば、これは異常な固執性です。私のように、お通夜で涙を流しても、年々、忘れていってしまうことが「正常」とされていますが、私には、どちらが正常だなんて言えません。人間にはいろんな心根があって、そういういろんな人たちが集まって、人間の集団、文化をつくっているわけです。ところが最近では、個人の生き方ばかりが追い求められて、誰とどんなふうに生き合っていくかは忘れられています。心というのも、個人に閉じこめられたものではなくて、おたがいに生きあっていくなかで、関心しあったり、ときに罵りあったりしながらあるものでしょう。そういうところが乏しくなっていますよね。</p>
<p>　学校も、そういう考え方を失ってきています。おたがいの心を察知できるような関係を取り戻していかないと、やばいところに来ていると思いますね。</p>
<p><strong>――ＡＤＨＤについては、どのような見方を？</strong></p>
<p>　ＡＤＨＤに対しては、薬以外の話がないんですね。薬物投与によって、10人中4人くらいは、スッキリしたり集中できたりします。だけど薬を飲まないと大変な状況になったり、薬を使うことで、じょじょにベースの部分がしんどくなってしまうこともある。</p>
<p>　そもそも多動というのは、たいてい十数歳になれば、自然になくなるんですね。しかも、薬を飲んでも効かない子のほうが多い。それでも、「だから薬はいらない」とはならず、次々とちがう薬を求めていっている。リタリンは一種の覚醒剤ですから副作用の問題もありますし、そういう認識が広まってくれば、治療のあり方も変わってくると思います。</p>
<p>　一方で、医学的な認識によって、親が「ああ私のせいじゃなかった、しつけのせいじゃなかった」とラクになるところまでは、医学というのは、わりといいわけです。だけど、その後「あとは親が受けいれて、ほめてあげなさい」となると、これは、しんどい。</p>
<p>　子どもへのしつけなんて、みんな変かもしれないでしょう。社会が変なんだから、大人も子どもも変だって仕方がない。しつけが良かろうが悪かろうが、病気だろうが、飛び出したり暴れたりすることを、なんでそんなに敵視するのよと、社会に返していけばいいわけです。それを、個人が重荷を背負ってしまうと、しんどいですね。</p>
<p><strong>――薬以外に発達障害に医療が果たせる役割は？</strong></p>
<p>　ないと思います。何を医療と言うかですが、いま医療で出ている発想は、遺伝子組み換えか細胞移植で、人間をつくりかえるという発想です。あきらかに医療は行きづまってます。</p>
<p>　西洋医学というのは、急性の変化に対する技術はすごいですが、長期に人間におこってくる変化に対する研究はしたことがない。</p>
<p>　薬なんてのは、すべて対症療法です。たとえば歯が痛くて仕事できないとか、そういうときに仕方なく使うものでしょう。それだけに、誰の視点からみて薬を処方するかが大事ですね。当事者が必要として状況的に使うのか、まわりが行動を抑制するために処方するのか……。</p>
<p><strong>――発達障害は、いまの社会のあり方とも関わっていると言えますか？</strong></p>
<p>　そうですね。たとえば多動について考えると、いまの社会では、決まったところで強制されたことをしないといけないわけです。多動の子の場合、自分の興味のあることは何時間でもやっていたりする。ところが、それはいけないとなると、動く。</p>
<h3>◎自己実現？</h3>
<p>　さらに、いまの情報産業化社会は、これまでのようにモノの生産で人を牛耳るのではなくて、情報で牛耳ろうとしています。そういう社会では、自然的存在が許されないんですね。</p>
<p>　たとえば携帯電話を例にとると、いま電話機自体はタダで手に入るでしょう？　20年前、これがタダだと言われたら、詐欺だと思いませんでしたか？　10万円だと言っても通じたでしょう。</p>
<p>　ところが、いまや、この機械自体には価値がなくなって、大事なのは機能とメモリーです。壊れたら交換すればいい。</p>
<p>　これが農業社会だったら、できた作物は、少々、できが悪かろうが、神さまから授かった大事なものです。工業製品にしたって、苦しい労働をへてつくった結晶だった。</p>
<p>　完全に私たちの感覚は仮想的になっていますね。非常に錯乱した時代です。こういう考え方に慣れているということは、人間に対しても、同じ見方をしているということです。人間が生きていること、存在そのものよりも、その人のアイディアのほうが貴重になっている。実現すべき自己、輝くような自己がなかったら、存在価値がない。</p>
<p>　情報産業社会は、人間を個人として自己抽出させようという考え方に立っています。そうなると、一割くらいの人をのぞいては、すごいキツイ社会です。</p>
<p>　古来、親は子どもに、どうやって生きていくかを知恵を集めて伝えてきたわけですが、いまは、どう生きるかというとき、誰と生きるか、関係の問題に立ち戻らないと解決はないように思います。「自己実現」ではなく、「私たちが生きる」ということに視点を移し替えていく必要があるんだと思いますね。</p>
<p><strong>――ありがとうございました。（聞き手・山下耕平）</strong></p>
<p>※本取材は、大阪ＹＭＣＡ国際専門学校主催の講演のあと、同校内でインタビューさせていただいた。</p>
<p>◎特別支援教育</p>
<p>　文部科学省は、障害児教育のあり方について、これまでの障害の種類や程度に応じて特別の場で指導を行なう「特殊教育」から、発達障害を含めた児童生徒一人ひとりの教育的ニーズを把握し適切な教育的支援を行なう「特別支援教育」へと転換をはかるとしている。昨年12月、中教審は特別支援教育を推進するための制度のあり方について最終報告をとりまとめ、今通常国会には特別支援教育法案が提出される見込みとなっている。</p>
<p>　具体的には、</p>
<p>① 盲・聾・養護学校を、障害種にとらわれない「特別支援学校」にすること。<br />
② 小・中学校における特別支援教室の推進。<br />
③ 専門性強化のための教員免許制度の改善。</p>
<p>　などが検討されている。</p>
<p>※2006年2月1日、2月15日、3月1日　Fonte掲載</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>刑事裁判と知的発達障害弁護士 副島洋明さんに聞く</title>
		<link>http://www.futoko.org/special/special-6/20080623-157/</link>
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		<pubDate>Sun, 22 Jun 2008 15:00:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[6月特集　発達障害ってなに？]]></category>

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		<description><![CDATA[　今回は知的発達障害者刑事弁護センター代表の副島洋明弁護士へのインタビューを掲載する。インタビューで語られているのは、発達障害者や知的障害者をめぐるすさまじい状況だが、それは、私たちの生きる社会そのものの問題にほかならない。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.futoko.org/wordpress/wp-admin/なし"><img class="alignnone size-full wp-image-158" title="soejima" src="http://www.futoko.org/wordpress/wp-content/uploads/2008/05/soejima.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p><strong>――知的発達障害者刑事弁護センターを立ち上げた経緯は？</strong></p>
<p>　私はもう20年以上前から自閉症や知的障害の方の裁判で弁護活動をしてきました。彼らの多くは家族の支えもなく、教育や福祉からも斬り捨てられ、よく生きているなというような状況にある。だからせっかく裁判で執行猶予をとっても社会のなかに受け皿がないんですね。必死になって知り合いに頼み込んだりしてなんとか行き場を見つけてきました。それを私はずっと「この人たちは運が悪い」と思って片づけてきたところがあったんですね。</p>
<p>　しかし5年ほど前、法務省の出している「矯正統計年報」（非売品）に刑務所における新規受刑者の知能指数（ＩＱ）についての調査を見つけたんです。そうしたら、新規受刑者のうちの28％、3割近くがＩＱ＝69以下なんです（判定不能含む）。つまり、人数にして毎年7000～8000人の知的・発達障害の疑いある人が刑務所に入って来ている。ＩＱ＝50以下の重度の人でみても1割近くいる。ところが療育手帳を持っている人は200人ちょっとしかいないんですね。</p>
<p>　人とのコミュニケーションに困難のある人、そのために自分を守りきれない人たちが警察によって密室のなかで取り調べられ、「はい」「いいえ」だけで調書が作成され、それをもとに裁かれて刑務所に入れられている。</p>
<p>　私も弁護に関わりながら、そういう人がたくさんいそうだとは思ってたけれども、この年報を見たときはショックを受けました。1年近くこれを発表していいものか悩みました。発表したら当事者はどう受けとめ、社会的にどう影響するか。偏見を助長してしまうのではないか。</p>
<p>　それで知的発達障害者刑事弁護センターを立ち上げることにしたんです。自分自身がこの人たちを徹底して弁護する、支援すると肚を決めないと、この数字は発表できなかった。予期していた通り、このセンターを立ち上げてから親の会などから抗議がたくさん来ました。「自閉症を犯罪予備軍のように言うな」「偏見を助長するんじゃない」と。</p>
<p>　しかし、これまで司法ではこういった障害は「変質」「異常」として裁かれてきたんです。私も5～6年前までは運が悪いと思い込もうとしてきた。だけどこれは障害者自身の資質の問題じゃない。社会構造の問題なんです。それを問わなければいけない。</p>
<p>　最近になって発達障害がブームのように騒がれて、事件が起きるたびに「触法障害者」が問題にされ始めました。私は「触法障害者」という言い方は大きらいですが、少なくとも社会問題として論議されてくるようになったのはいいことだと思います。</p>
<p>　発達障害者支援法もその意味において賛成なんです。もちろん問題はたくさんありますが、まずは社会から消されてしまっているこの人たちの存在を、しっかり社会の課題として位置づけることが必要です。</p>
<p><strong>――社会構造の問題というと、具体的には？</strong></p>
<p>　たとえば宇都宮事件（※メモ参照）は典型的な冤罪事件で、54歳の男性（ＩＱ＝25以下の重度知的障害者）が強盗罪で起訴されたんです。彼は字も書けない、ひらがなも読めないのに、自分の犯行図面まで書かされている。彼は宇都宮病院から追い出されたあと行き場がなく、ヤクザ者に囲われて年金などを搾取されていた。生きるために物を拾って、自転車なんかの窃盗で年中捕まっていた。警察はそういう人と重々知りながら、未処理の強盗事件の犯人に仕立て上げた。</p>
<p>　しかし問題の本質は警察の取り調べ以前にあります。このようなハンディをもつ人が家族から見放され、福祉や医療からも追い出されたとき、彼らは警察の対象にされてしまうんです。いわば層として、そういう人たちが警察に「社会の迷惑だ、何とかしろ」と取締りの対象とされる仕組みになっている。そういうなかで、警察は容疑者として調書をつくって検察にあげ、そして裁くという犯罪化のプロセスがある。</p>
<p>　だから、この人たちの事件の本丸は切り捨てた福祉の責任を問うことにあります。</p>
<p>　裁判官も検事も、そして弁護士も、問題の構造をわかっているのに「しょうがない」と犯罪化し、刑務所に行かせている。地域にこの人たちを支える受け皿がないからです。</p>
<p><strong>――重大事件でも、発達障害が問題にされ始めていますね？</strong></p>
<p>　たしかにそういうケースはあります。しかし、それも背景をちゃんと見ないといけない。</p>
<p>　たとえば「浅草レッサーパンダ事件（下段参照）」では、加害者のＹさんは「凶悪な通り魔殺人鬼」と言われた。たしかに、人通りの多い浅草で昼日中に女性を包丁で刺したというのは、一見理解しがたい重大な殺人事件とみえます。自白調書には「殺して自分のものにしたかった」と書かれていますが、しかし続けて「自分のものにしたかった」とは〈友だちになりたかった／いっしょに公園のベンチに座ってみたかった〉と話しています。彼は女性を殺すという意思はなかったんです。</p>
<p>　彼の生育歴をみると、発達障害のゆえに徹底的にいじめられ傷つけられていた。しかも、ふつうだったらとうに自殺していておかしくない極貧の状況下で辛抱強く生きてきたんです。それでも、社会に恨みや怒りをもち、それを他人に向けることがない。それを「障害」と言うならばそうかもしれません。そういう不器用さ、孤立性を持っている。</p>
<p>　じゃあ、何が彼を包丁を出すという「犯罪」に追い立てたのか？　異常で変態からなのか？</p>
<p>　ちがうんです。彼らはそこで人に対してコミュニケーションをとろうとしていたんです。彼は女性と話をしてみたかった。女性と二人で歩いてみたかった。美しい詩をいっぱい書いた手紙を何度も同級生やいろんな女性に出してきています。それは相手の女性に恐怖心をもたらすわけだけど、それがわからない。どうしたら人は自分に振り向いてくれるか、どうしたら立ち止まってくれるかという思いなんです。</p>
<p>　数年前の前科のなかに、彼がオモチャの鉄砲を示したら女性が立ち止まってくれたことがあった。鉄砲を向けられた女性はその異様な状況に震えあがったわけですが、彼にすれば、そういうふうにすれば女性が立ち止まってくれると理解した。その延長にあの事件がある。</p>
<p>　だから、そこまで追いつめられる前にちょっとでも相談できる人がいたら、コミュニケーションに飢えていなかったら、あの事件はなかったと思います。</p>
<p>　ほかのケースでも、放火したり、女性を追いかけたり、犯罪に至っているケースはたしかにある。表面的にはこだわりとかファンタジーだが、しかし彼らにすれば、そうでもしなければ誰も振り向いてくれなかったわけです。</p>
<p>　彼らが怒りや憎しみで犯罪を起こすことはまずないと言いきれます。</p>
<p><strong>――発達障害そのものは犯罪要因にはならないわけですか。</strong></p>
<p>　この人たちが犯罪に追い込まれる背景に障害が関係しています。しかし障害自体が犯行をつくりだすことはないんです。たしかに彼らは「非」社会的で人と積極的に関わる側面が弱いけれども、対人関係の攻撃性はなく、平和的です。</p>
<p>　また、「関係を持てない人たち」でもありません。よく刑事裁判では「反省や内省ができない」などと言われます。私はそんなことないと思う。時間はかかるけれども、彼らに関わろうという意思があればかならず通じるものがある。</p>
<p>　浅草事件のＹさんにしても、最初はコミュニケーションをまったくとれませんでした。しかし何度も会ううちに、彼と私のあいだに関係ができていった。だんだん彼の言わんとすることを察する力がこっちにもできてきた。遠まわしに言ったり、仕草だったり……それを言葉の表面だけで捉えると理解できないし、誤解してしまうんです。</p>
<p>　「人を殺してみたかった」などとセンセーショナルに報道されたりしますが、いうならば言葉をコミュニケーションの手段とすることが非常に苦手なんです。</p>
<p>　専門家のなかには、彼らのことを正確に理解するためのスキルを上げればコミュニケーションできるという人がいます。しかし、私は現場でそういうものは信じられない。個別の関係性のなかで初めて「わかる」ことがあって、彼らの言葉の意味が見えてくる。生育歴をしっかり追って、目や顔の表情とか、感情の動きとか、意気投合したりとか、そういうことですよね。彼らの真意をどう言葉にし世間につながる言葉にするか、が弁護士の役割だったりする。</p>
<p><strong>――どういう環境があれば、支えになると？</strong></p>
<p>　たとえば、この人たちが不登校したり、ひきこもることさえできれば、それだけで犯罪にまで追いつめられることはない。彼らは、どんなにいじめられ過酷な状況になっても、学校に行くんです。逃げること、避けること、自分を守ることができない。律儀で、打たれ強くて、あくまで「ねばならない」世界に生き続け、傷つけられている。しかも多くの人が、ひきこもることを支えてもらえる環境にない。</p>
<p><strong>――親の理解も大事ですね？</strong></p>
<p>　親は本当に愛憎こもごもの苦しい体験をしています。それだけに、ややもすると味方になりきれなくなってしまうこともあります。とくに事件なんかになると「生みたくなかったんだ」「生んだことを後悔している」という親がいる。私はそれを許せない。理解するということは味方になるということです。たとえ殺人罪になったとしても「私は犯罪を犯したお前を守るよ」ということです。</p>
<p>　理解というのは、この味方になるかどうかという問題だと私は思います。そういう意思を抜きにして、客観的・分析的にできるものじゃない。</p>
<p><strong>――しかし、かつてと比べ、家族以外の人間関係が希薄なぶん、親もしんどいですよね？</strong></p>
<p>　そこは大きいですね。だから、私たちはもう一度社会を耕していかないといけない。一人ひとりが生きるうえで個別の関係性をつくっていくことが大事です。それは家族でもいいし、家族以外でもいい。それを「福祉」と私は言っているんです。福祉というのは行政だけのものじゃない。</p>
<p>　生きにくさはみんな持っている。そのなかで生きることを支え合える関係がつくりだせるかどうか。</p>
<h3>◎居場所があるというのは</h3>
<p>　私だってカミさんに支えられているし、自分と生きるパートナーがいるから、社会で孤立しても行動が歪まずにすんでいる。人はそういう関係がないとやっていけない。居場所があるというのはたんに空間的なものではないでしょう？　多少揉めてもぶつかっても向き合ってくれる人がいるから、初めて居場所ができる。</p>
<p>　「発達障害者は関係が苦手なんだから、孤立を保障できる場があればいい」という人もいるけど、私はそうは思わない。彼らだって人を欲しているし求めている。かかわる人がいて、はじめて安心して独りでいることもできるんじゃないですか？</p>
<p>　そういう関係を耕さないと、客観的に「支援」「教育」「カウンセリング」なんて言っても上滑りです。私が彼らと向き合っているのはそういうスキルの世界じゃない。</p>
<p><strong>――障害への対応をハウツーで理解し対処するという流れがありますね？</strong></p>
<p>　それは一番危惧していることです。客観的な知識で理解しようとして、専門家の手に委ねることになるなら、そんな知識はいりません。専門性がなくても、多少ぶつかってもいいから、関わることが大事です。</p>
<p>　彼らは、たしかに我々に見えないものを見たり、聞こえたり、感じたりして、過敏な面はある。だからといって壁の向こうにいるわけじゃないんです。</p>
<p><strong>――最後に一言。</strong></p>
<p>　発達障害が増えていると言いますが、これは増えているというよりあぶり出されているんです。彼らは炭坑のカナリアのようなもので、いまの社会の歪みがいちばん弱いところに出ていると言える。</p>
<p>　日本の社会は本当にきつくなった。まだイギリスやアメリカに比べたらましという人もいますが、彼らを見ていたら、「死ぬな」「生き抜け」という世界です。</p>
<p>　いまの社会の貧困は生きるギリギリのところまで来ているという実感があります。たしかに物はあふれているけど、生きていくことを支える関係はズタズタです。</p>
<p>　一昔前なら、ちょっと変なヤツ、おかしなヤツで許容されてなんとなくすんでいたことが、社会が貧しくなったことであぶり出されているんです。</p>
<p>　そういう人を追いつめ、「犯罪」にいたらせておいて、それでなおかつ彼らの問題だとしているわけです。だから、言うならば、彼らは無罪です。</p>
<p><strong>――ありがとうございました。（聞き手・山下耕平、写真・信田風馬）<strong></strong></strong></p>
<p>※宇都宮事件　昨年8月、重度の知的障害者Ｋさんが中学生に対する軽微な暴行容疑で宇都宮東警察署に逮捕された際、Ｋさんは、その取調べのなかで、未解決の連続強盗事件の犯行を自白したとして再逮捕され、起訴された。裁判でＫさんは検察から懲役7年の求刑を受けたが、判決直前に奇跡的に真犯人が現れたため、今年3月の判決では連続強盗は無罪となった（暴行罪は罰金）。マスコミは〈誤認逮捕・起訴事件〉としているが、弁護団は、この宇都宮事件の背景にある〈福祉、ヤクザ、精神病院、そして警察の“ヤミの構図”〉の責任追及のために、いくつもの裁判を始めている。</p>
<p>※浅草レッサーパンダ事件　　2001年4月、東京都台東区の路上で、短大生の女性（当時19歳）が札幌出身のＹ被告（当時29歳）に腹部などを包丁で刺されて失血死した。Ｙ被告は犯行時、レッサーパンダの帽子に毛皮のコートという特異な服装で、10日後に逮捕された。</p>
<p>　Ｙ被告は小・中学校で普通学級に通ったあと高等養護学校に進学。知的障害があり、障害者手帳を受けていた。幼少期からいじめを受け、家庭環境にも恵まれず、卒業後は家出や犯罪をくり返すなどして上京した。弁護側は裁判でＹ被告が広汎性発達障害である可能性を指摘し、殺意を否認。また、責任能力や自白の任意性をめぐって検察側と争い、公判は結審まで2年10カ月を要した。</p>
<p>　東京地裁判決（2004年11月）は、Ｙ被告の殺意を認定、重大かつ悪質な通り魔殺人であるとして、無期懲役を言い渡した。広汎性発達障害については「該当するかはともかく自閉傾向がある」と認定した。今年4月、Ｙ被告は控訴を取り下げ、判決は確定した。</p>
<p>（※参考『精神医療』37号／批評社）</p>
<p>※2005年10月15日、11月1日、11月15日 Fonte掲載</p>
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		<title>第８回「親の気持ち　子の思い」</title>
		<link>http://www.futoko.org/column/20080623-139/</link>
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		<pubDate>Sun, 22 Jun 2008 15:00:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[　11月17日付の文部科学大臣からの手紙が全国の子どもたちに、学校などを通じて配られた。「いじめ」が大騒ぎになっていることに対し、直接呼びかけたものらしい。「文部科学大臣からのお願い」は、「未来ある君たちへ」と呼びかける。ここから私はもうムッとする。なぜ多くの子どもが「いじめ」をするのか。なぜ子どもが自死したのか。それらをまじめに考えたら、子どもたちが「未来」を感じることができないからではないのか。そこで苦しむ子どもたちに平気で「未来ある君たち」と呼びかけるこの無神経さに、あぁ、もうダメだと、思った。さらに、「弱い立場の友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと」と書いた後に、「君たちもいじめられる立場になることもあるんだよ」と続く。「いじめ」がその立場をいれかえることもあることは知っているらしい。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　11月17日付の文部科学大臣からの手紙が全国の子どもたちに、学校などを通じて配られた。「いじめ」が大騒ぎになっていることに対し、直接呼びかけたものらしい。「文部科学大臣からのお願い」は、「未来ある君たちへ」と呼びかける。ここから私はもうムッとする。なぜ多くの子どもが「いじめ」をするのか。なぜ子どもが自死したのか。それらをまじめに考えたら、子どもたちが「未来」を感じることができないからではないのか。そこで苦しむ子どもたちに平気で「未来ある君たち」と呼びかけるこの無神経さに、あぁ、もうダメだと、思った。さらに、「弱い立場の友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと」と書いた後に、「君たちもいじめられる立場になることもあるんだよ」と続く。「いじめ」がその立場をいれかえることもあることは知っているらしい。</p>
<p>　それならどうして、「いじめる側を出席停止に」などという言葉が、教育再生会議で出てくるのだろうか。同じ子どもが「いじめられる側」にも「いじめる側」にもなるし、そのなかで多くの子どもたちは心を痛めているのだ。</p>
<p>　「いじめる側を出席停止に……」という文言が新聞に出た日、ある小学校では2年生の男の子が2人、「○○君をいじめました。許してください」と、担任に言ってきた。担任は○○君を呼び、3人を和解させ、いじめられた子もとても元気にすごしていたというが、この2人の男の子はその日の朝、親から「いじめちゃだめだよ。いじめた子は学校に行けなくなるんだよ」と言われ、こわくなってのことらしい。担任の先生は「小学校低学年ぐらいには脅しの効果はあるみたいです。でもこの子たちがやってたのは、いじめというよりいつものケンカなんですよ。○○ちゃんだって、ほかの子にやっているし……。何か、現場からはるか離れたところで大さわぎしているような気がします」と語っていた。</p>
<p>　しかし、そういう脅しの効果が「出席停止」という言葉にはあるのだ。だったらなおのこと、「未来ある君たちへ」呼びかける文のなかに、「君たちもいじめられる立場になることもある」なんて書いてはいけないと、私は思う。これではまるで、脅しの文章になってしまう。</p>
<p>　文部科学大臣みずからが書いたわけではあるまい。文部官僚の一人が下書きし、いろいろな人の目を通って、できるだけわかりやすく、やさしい言葉で……などのやりとりがあって、“苦心の作”としてこの文章はできたのだろう。それはよくわかる。</p>
<p>　ただ、一番大切なことが抜けている。子どもたちの現状がわかっていない。なぜ「いじめ」をやるのか、なぜ「いじめ」られてもノーと言えないのか、なぜ死ぬまで追いつめられるのか、それらのなかのひとつもわかっていない。もうすこし実態がわかっていたら、そしてこうなったことへの責任を感じていたら、「学校をこんなこわい場所にしてしまって、すみませんでした。みんなが楽しく来れる場にするまで、苦しい人は休んでください。いのちの方が大切です」ぐらい言えそうなものだ。真に思いやりのある大人なら……。</p>
<p>※Ｆｏｎｔｅ2006年12月15日号掲載</p>
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		<item>
		<title>第７回「親の気持ち　子の思い」</title>
		<link>http://www.futoko.org/column/20080616-138/</link>
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		<pubDate>Sun, 15 Jun 2008 15:00:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[　「いじめ」に関する問い合わせが多い。「また、いじめが流行りはじめたのですね」とか「うちの子もいじめられているらしいのですが……」とか「親がいじめということばに対して敏感になり、困っている」という訴えがある。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　「いじめ」に関する問い合わせが多い。「また、いじめが流行りはじめたのですね」とか「うちの子もいじめられているらしいのですが……」とか「親がいじめということばに対して敏感になり、困っている」という訴えがある。</p>
<p>　私はテレビをほとんど観ないのでよくは知らないのだが、朝のニュースショーなどで、「いじめ」による自殺と考えられるできごとについて、感情を画面でそのまま流しつづけ、観ていてつらくなったと言ってきた人もいる。「自殺」はときどき連なることがある。胸のなかがいっぱいいっぱいになっている子どもにとって、ほかの子の「自殺」のニュースは“後押し”になってしまうこともあるだろう。</p>
<p>　ただ、こういった疑問や怒りや訴えはたくさん聞くのだが、なぜ「いじめ」が起きるのかといった問いはまったくない。10年ほど前まではあった。「なぜ、こんなひどいことが起きるのでしょうか？」とか「ふだんは優しい子どもたちが、集団になるとなぜ、あんなにひどいことをしてしまうのでしょうか？」とか「いったい“いじめ”っていつから始まったのでしょうか？」などの問いがあった。</p>
<p>　いま、そういう問いはまったくない。「うちの子がいじめられたときどうするか？」とか「あんな（いじめをする）先生」を見つけるにはどうすればいいか」などの問いが多い。それらの問いに、私はきちんと答えられない。わからないからだ。</p>
<p>　「いじめ」は戦後10年ちょっと経ったころから表面化してきたと、私は思っている。1960年代の半ばくらいからはっきり現れ、1970年半ばから深刻化し、1980年代に入ってからは「いじめ」による自殺者も現れてきたと、大まかにとらえている。</p>
<p>　いま、70代以上の人は、「いじめは昔もあった。戦争中の軍隊や疎開のなかであった」と言う。しかしそれらの「いじめ」は、社会にはっきりと上下の“身分・階級”があり、食べ物が足りないなどの状況下で、物や力をもつ者がもたない者をいじめたというもので、いまの子どもたちがやっている「いじめ」とは、まったくちがう。昔の「いじめ」は言ってみれば、強いことを見せしめる、つまり「えばる」に近いものであると思う</p>
<p>　いまの「いじめ」は、「引きずりおろす」――つまり、同じところにいる“平等”の子どもたちが、“平等”を生きることができなくて、自分より下をつくり出すのではないかと、私は思っている。こういう気持ちは強い競争のなかで、より強くなる。「友がみな、我よりできる」と思ってしまっては、人はなかなか安心していることはできないからだ。</p>
<p>　「平等を生きる」というのは、権利は平等だけれど、人はみんなちがうということをきちんと認識することだ。ちがうから比べる必要がないし、比較することに意味がなくなる。少なくともテストの点数や収入の額に比較はあっても、その差が人を決めるわけではないと、はっきりわかっていれば、「いじめ」は減る。</p>
<p>　競争を激化させる教育基本法改「正」は、当然のことながら、「いじめ」を激化させる。</p>
<p>※Ｆｏｎｔｅ2006年12月1日号掲載</p>
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		</item>
		<item>
		<title>アスペルガー症候群・当事者荒木大さんに聞く</title>
		<link>http://www.futoko.org/special/special-6/20080616-153/</link>
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		<pubDate>Sun, 15 Jun 2008 15:00:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[6月特集　発達障害ってなに？]]></category>

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		<description><![CDATA[　今回はアスペルガー症候群の当事者、荒木大さんへのインタビューを掲載する。いったい、どんなところに周囲とのズレを感じ、何が「障害」となるのか。荒木さんのお話は、リクツには整理しきれない、それだけに実感にもとづいた、とても迫るものがあった。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.futoko.org/wordpress/wp-admin/なし"><img class="alignnone size-full wp-image-154" title="araki" src="http://www.futoko.org/wordpress/wp-content/uploads/2008/05/araki.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a><br />
<strong></strong></p>
<p><strong>――アスペルガー症候群の特徴は、たとえば、どんなことが？</strong></p>
<p>　当事者といっても人によって本当にまちまちですが、たとえば、なんでも機械的にパターンとして覚える、ということがあります。人と関わることき、外に出るとき、バイトのとき、なんでもパターンとして覚えるしかなくて、そこからちょっとでもズレると混乱してしまう。ふつうの人からしたら、ちょっとしたちがいでも、まったく別のこととして、一から覚えないといけないんです。詰め込みは得意なんですが、つなげて考えることがしにくい。一つひとつ、失敗して、あとから考えるんです。</p>
<p>　そういう意味では、本来、学校のカリキュラムって、アスペルガーの人に向いてます。毎日、時間が決まっていて、パターン的ですからね。だけど、人間関係とか、集団行動とか、不得意なことが多すぎて、行きづまってしまって、不登校になっている人も多いと思います。歯車が狂ってしまう一つには、自分のペースを維持できないことがあると思います。</p>
<p>　それから、感覚が過敏ですね。たとえば視覚では、身体がしんどいときは、蛍光灯の点滅がすごくわかる。携帯の画面、テレビ、パソコンなんかもうっとおしい。青色発光ダイオードなんかは、まったくダメですね。あれは眼というより、頭のなかにズキズキ入ってくる感じです。</p>
<p>　聴覚では、たとえば改造バイクでハエみたいな音がするのがあって、あれはダメですね。</p>
<p>　匂いも敏感で、電車の匂いとかもわかります。あと、ちがう匂いが混じったりするとダメです。</p>
<p><strong>――アスペルガーは「関係」の障害だと言われますね？</strong></p>
<p>　そうですね。僕も、小さいころ、よく太っている子に「デブ」と言ったり、体臭のある子に「くさい」と言ったりして、怒られてました。悪意はまったくなくて、相手がどうとるかがわからなかったんです。そういうことが、リアルタイムではわからない。だから一つひとつ、パターンとして覚えるんです。それで、気を遣いすぎて自分が壊れてしまったりする。みんなが自然にやっていることでも、考えながらやっていかないといけないから、しんどいんです。</p>
<p>　あと、僕の場合は、話しかけられると会話できるんですが、自分からは話しかけられない。それからルールでも、自分で納得のいくように説明してもらえたら、守ることができる。ただ、それを上から抑えつけられると混乱するだけです。</p>
<h3>◎いつも怒られていた</h3>
<p><strong>――自分が周囲とちがうことを認識しはじめたのは？</strong></p>
<p>　幼稚園のときから、おぼろげながら感じてました。私立の幼稚園に通っていたとき、そこでの集団行動がしんどくて、登園拒否になりました。それで市立の幼稚園に替えてもらったら、そこは個性を尊重してくれたし、いろんなトラブルはあったけど楽しく過ごした覚えがあります。</p>
<p>　小さいころから、いつも怒られてました。「なんで俺だけ？」と、ずっと思ってましたね。</p>
<p>　あと、状況がわからないまま、させられていることも多かったですね。たとえば音楽会の演奏なんかも、ちんぷんかんぷんでキョロキョロしていた。父親は、そういうことに対して、個性的な子だと思ってくれていたようで、恥ずかしいとは思っていなかったそうです。早いうちから、ひとくせある子どもだと思っていたみたいです。いまみたいに障害の概念なんかなかった時代ですけどね。</p>
<h3>◎自殺しようと包丁を…</h3>
<p>　小学生のときは、いじめられて、口でのいじめでしたが、反応をみて楽しむような感じで、帰り道に待ち伏せされたりしていました。小1か小2のときに、耐えきれず自殺しようとしたこともあります。泣きながら家に帰ってきて、包丁で自分の胸を刺そうとした。逆に、とにかく相手を殺そうと思って、待ち伏せしたこともあります。</p>
<p>　自分のつらさを、言葉でどう説明したらよいかわからなかった。泣きながら帰ってきて「どうしたの？」と聞かれても、うまく説明できない。だから親もイライラする。結局、自分だけでしんどさを抱え込んでしまった。</p>
<p>　学校は行きたくなかったけど、とにかく行かなければいけないと思っていたので、耐えられないと思いながらも行っていました。よう行ってた、よう生きてたなというのが正直な感想で、親も、いまはわかってくれています。</p>
<p><strong>――親が理解していないと大変ですね？</strong></p>
<p>　本当に大変です。ただでさえ居場所をつくりにくいわけですから、親が理解していないと、どこにも居場所がなくなってしまいます。家族がまず最初の居場所であってほしいのに、そうならないケースが、実際には、かなりありますね。</p>
<p><strong>――中学以降はどんな感じだったんですか？</strong></p>
<p>　中1のクラスが、小学校のときのいじめっ子といっしょで、最初から絶望的でした。よく、ひとりで教室の隅っこに座ってました。</p>
<p>　いじめられたことは、いまでもフラッシュバックします。公害で有害物質が蓄積されるのと同じで、そういう記憶は排出されずに溜まっていて、何かのきっかけで思い出します。</p>
<p>　高校は、学区で一番遠いところに行きました。地元のしがらみから離れたかったんです。おかげで、人間関係はガラッと変わりました。高校の子は、見た目ちょっと怖そうでも、話してみると、意外とおもしろくて、いろんな意味でカルチャーショックがありました。髪の毛を染めていたり、持ち物も自由で、だけど、そういうことも、僕の場合は、一つひとつ試すしかない。最初はカラーをハズしてみて、次に第一ボタンをハズして……。それは、すごく楽しかったですね。</p>
<p>　それと、塾に行き始めて、学校の勉強も楽しくなりました。それまでは、自分の世界にこもって手遊びしたり妄想したりして、授業の流れについていけなかったのが、短期間でやり直して、ずっと成績がよくなった。それは、「流れ」をつかんだからなんです。言われたことをつかんで、テストはそれを試すだけだとわかったから、なんてラクなんやろうと。自分でも、なんでこんなことができなかったんか不思議でした。</p>
<p>　高卒後は、大学の史学科に行きました。歴史しか興味がなくて、それしかないとこだわっていました。</p>
<p><strong>――大学での人間関係は？</strong></p>
<p>　1年間は友だちができなかったですね。大学はクラスもないし、席も決まっていないから、話す機会がなくて、どうしていいかわからず、一人でぽつんとしていました。2回生になってからは、少人数の「講読」の授業があって、そこでは自然に話すようになって、友だちもできるようになりました。みんな変な人ばっかりで、周波数が合った（笑）。</p>
<h3>◎診断されて何が変わったか</h3>
<p><strong>――アスペルガー症候群のことを知ったのは？</strong></p>
<p>　3回生のころです。レポートのために、図書館でＡＤＨＤの本を読んだら、これが自分にすごくあてはまる。それで、関係の本を借りまくって、読みふけりました。その後、自助グループや病院の情報を教えてもらって、4回生の夏に受診しました。診断の結果は、アスペルガー症候群ということでした。</p>
<p><strong>――診断されたことで変わったことは？</strong></p>
<p>　原因がわかって自分の状況や特性を整理できたことは大きいですね。それで、しんどさが、ほぐれてきたと思います。それまで、小さいころからずっと、自分のなかに違和感があって、それは何なんだろうと思い続けていました。</p>
<p><strong>――治療はどういうことを？</strong></p>
<p>　鬱の状態に対して、抗うつ剤を処方してもらってます。それから、睡眠薬、安定剤、リタリンを服薬してます。抗うつ剤以外は、頓服的な役割です。状況に応じて、必要なときに飲むんです。</p>
<p><strong>――たとえばリタリンは、どういう状況に対して？</strong></p>
<p>　バイトのときとか、何かしなければいけないときに、一個ずつ処理していくために飲みます。同時でやることが苦手なので、そういう状況になると、パニックになってしまうんです。もちろんリタリンが効かない人もいますし、副作用のある人もいるようですが。</p>
<p>　投薬はあくまで手段です。それによって、自分の状態が見えて、自分なりのやり方を考えられるようになってきた。余裕ができないと、なかなかそこまで考えがいきません。</p>
<p>　自分の状況を客観的に観て、自分の特性がわかってくると、対処も考えられるんです。たとえば、あらかじめ、自分なりのマニュアルをつくる。道に迷ったらこうするとか、計算をまちがったらこうするとか。もちろん予想外のことはあって、オロオロしたりもするんですが、見通しを立てておけば、余裕をもって元の流れに戻れる。</p>
<p><strong>――いまは、どのような生活を？</strong></p>
<p>　大学は卒業しましたが、いまはプータローです。この6月まではラーメン店でバイトをしていました。洗い場とか仕込みみたいな、パターン化できる仕事はよかったんですが、4月に最前線の厨房にまわされたら、頭が追いつかなくて、ボロボロに疲れてしまったんです。同時進行で、スープのようす見から洗い場、オーダーまでまわさないといけなくて、疲れきって厨房で倒れ込んだりもしました。</p>
<p>　受診して、状況をぜんぶ吐き出したら、重症の鬱と言われました。身体が疲れきっていて、7月前半くらいまで起きることもできなかった。あのままやっていたら、ぶっ壊れていたと思います。</p>
<h3>◎知識よりも理解を</h3>
<p><strong>――医療以外には、どういう支援があればよいと？</strong></p>
<p>　バカにされることのない環境が必要だと思います。障害に対してのくわしい知識なんかなくても、バカにしたり笑いものにしないだけでも、理解になります。こっちも、いちいち説明するのはめんどうなときがあるし、ちょっと変わっていても、大目に見てほしいですね。もちろん、いけないことはハッキリ言ってほしいですが。</p>
<p>　本当だったら、投薬しないでも、気楽にやっていける環境が一番です。発達障害の場合、環境によってはまったく薬なしで、できることもあると思います。結局は、居場所とか環境が大きいですよね。</p>
<p>　それと、もっと情報が得られやすいようにしてほしいです。いまだに、どこでどうしたらいいかわからない人が多いです。そういう人は、自分ひとりで問題を抱え込んでしまう。就職にしても、自助グループにしても、何かのきっかけをつかめるような情報が、もっとあればなと思います。</p>
<p>　とはいえ、自分自身でも、まだ、どうしたらいいかわからない部分が多いです。</p>
<p><strong>――いまの社会に対して感じることは？</strong></p>
<p>　すごくキチキチしているじゃないですか。昔みたいにゆるやかじゃないから、ボロが出やすい。しんどさのラインが上げられていっている。ふつうの人でも鬱になりやすい社会です。だから、発達障害の人は、なおさらボロが出てしまって生きづらい。いまの社会は、すごくコマゴマとしていて、息苦しいですね。</p>
<p>　社会を昔のように戻すことはできないかもしれないけど、気負わずに生きていける環境、居場所ができていけばと思います。自分が安心できる関係、それは友だちでも家族でも、なんでもいいと思いますが、そういう居場所がひとつでもあれば、ちがうと思います。</p>
<h3>◎変わったのは社会のあり方</h3>
<p>　昔から、発達障害の人なんていたと思うんです。たぶん割合としては変わってない。それが、障害として成立しただけです。発達障害者が増えていると言いますが、社会のあり方が急激に変わってきたから、生きづらい人が増えたんだと思います。</p>
<p>　昔だったら、そういう人も、自然に、なんらかのハマる場所があったんだと思います。それがなくなってきて、居場所がなくなって、追いつめられている。</p>
<p>　障害は治るわけではないけど、そういう環境があれば、社会的には「治る」ことがあると思います。当事者が落ち着いて暮らしていければ、それは、ある意味で「治る」ことでしょう。</p>
<p><strong>――周囲に理解してもらうのに、コミュニケーションはどのように？</strong></p>
<p>　大学時代の友だちとか、つながりの強かった友だちには話をしています。直観で、こいつにはわかるという人には話してるんです。それで、たいがい失敗はなかったですね。もちろん、かならずしも成功するかはわからないし、そういう感覚をとりにくい人もいると思いますが。</p>
<p><strong>――今後については、どのように？</strong></p>
<p>　最近、始めたバイトは、精神科医に紹介してもらったところで、障害のことをわかってもらっているのて、すごくやりやすいです。気負わずできるし、パターンでできる。体を動かしたぶんの疲れは出ても、精神的な疲れは出ない。</p>
<p>　将来的な仕事については、まだ具体的には動いていないけど、一つずつ解決していくしかないと思っています。</p>
<p><strong>――ありがとうございました。（聞き手・山下耕平、高橋典子）</strong></p>
<p>　※アスペルガー症候群は軽度発達障害の一つで、「知的障害がない自閉症」とされる。対人関係や、他者の心を推し量ることに困難があり、特定の分野への強いこだわりや、運動機能の軽度な障害も見られるが、いわゆる「自閉症」に見られるような言語障害、知的障害は比較的少ないと言われる。</p>
<p>　1944年、オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーによって初めて報告されたが、注目されるようになったのは、81年、イギリスの医師ローナ・ウィングによって紹介されてから。</p>
<p>※2005年9月1日、9月15日、10月1日 Fonte掲載</p>
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		<title>新潟市 フリースクールの13名へ出席督促書学校外の居場所を狙い撃ち？</title>
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		<pubDate>Fri, 13 Jun 2008 10:01:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[ニュース]]></category>

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		<description><![CDATA[　5月末、新潟市の複数の公立小学校長が学校に登校していない子ども13名の保護者に対し出席督促書を渡した。今回の出席督促書はフリースクール「ホームスクーリング塾 Ｐ＆Ｔ」（今年7月に名称変更予定）に通う子どもたちにしか渡されていない。新潟市教委は督促理由を「今回のケースは不登校ではなく、保護者が学校へ出席させないケースと判断したため」だと説明した。また、Ｐ＆Ｔについては「存在を知らなかった」と話している。本紙取材によれば、今回、督促を受けたすべてのケースが、子どもの意志に基づく不登校だった。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　5月末、新潟市の複数の公立小学校長が学校に登校していない子ども13名の保護者に対し出席督促書を渡した。今回の出席督促書はフリースクール「ホームスクーリング塾 Ｐ＆Ｔ」（今年7月に名称変更予定）に通う子どもたちにしか渡されていない。新潟市教委は督促理由を「今回のケースは不登校ではなく、保護者が学校へ出席させないケースと判断したため」だと説明した。また、Ｐ＆Ｔについては「存在を知らなかった」と話している。本紙取材によれば、今回、督促を受けたすべてのケースが、子どもの意志に基づく不登校だった。</p>
<p><strong>◎市教委 「居場所を知らなかった」</strong></p>
<p>　今回、新潟市教委が出席督促書（※メモ参照）を送付したのは13名。過去には出席督促書が送付されるケースは全国的にめずらしくなかったが、同時に多人数へ送付されたケースは稀である。<br />
　市教委によれば、昨年10月以降、複数の保護者から「ホームスクーリングをしたい」との理由で欠席させるとの訴えが相次ぎ、今年2月には一度も学校に登校していない子どもの保護者からも同様の訴えによる欠席があった。これを受け市教委は「異常な事態」だと判断。各学校長と協議のうえ督促書が送付された。<br />
　督促書を受けた親の児童13名は、フリースクール「ホームスクーリング塾　Ｐ＆Ｔ」（代表・渡辺真由美氏）に通っている。<br />
　Ｐ＆Ｔは今年4月から開設したフリースクール。週5日開設しており、現在、6歳～15歳までの23名が通っている。Ｐ＆Ｔは廃工場を利用して、スポーツや英語講座などを行なっている。子どもをおもにサポートするのは保護者と2名のスタッフ。「この居場所はお母さんたちが中心になって立ち上げた『親立』です」とスタッフが語るとおり、保護者の参加率が高い。常時10名以上の保護者がＰ＆Ｔに来ており、運営を手伝っている。<br />
　Ｐ＆Ｔは「子育ての責任者は親。学校やフリースクールに子育てを丸投げするのではなく、親子がともに育ちあうこと」を理念にしている。また、「一人ぼっちにならない子育てだから、わが子と他人の子と自分が好きになれる」という理念もあり、保護者どうしのコミュニティづくりにも力をいれている。</p>
<p>　今回、督促をされた親から話を聞くと、すべてのケースで、子どもから「学校に行きたくない」と訴えていたことがわかった。ある親は「学校に行こうとするとお腹が痛くなったり、まつ毛を全部、むしってしまったり、吐いてしまったり、とても行かせられる状態じゃなかった」と話した。またほかの親からは「『お願いだから行って』と言っても一歩も学校へは進まなかった」や「先生がすごい勢いで生徒の頭を叩いたのを子どもが見て、それ以降、学校を怖がっている」などの話が聞かれた。また、一度も学校へ通っていない5組の親子の場合は、いずれも就学時検診など登校前に学校へ接した経験から不登校が始まっていた（そのうち2組はすでに兄弟が不登校していた）。一度も学校に通わなかった6歳の子は「先生の心が黒っぽくて、それが移りそうで怖かったから」だと理由を話した。このほか、Ｐ＆Ｔに通う小学生からは「赤ちゃん扱いされるのがイヤだった」（9歳）、「たくさん『早くしろ』って言われるけど、できないから」（8歳）などの話があった。<br />
　小学4年生から不登校の長谷川卓也くん（13歳）は「僕は学校で子ども扱いをされるのがイヤだったし、学校は匂いからしてイヤだった。でも、学校に行かなくなってからは、すごくつらくて何回も死にたいと思った。包丁を持ち出したこともあった。でも、僕はここで生き返ることできた」と話してくれた。</p>
<p><strong>◎保護者 「一度も面談ない」</strong></p>
<p>　Ｐ＆Ｔの親たちは今回の督促書の件について「なぜ市教委は私たちと一回も面談や話し合いをせず、督促書を出したのかわからない。督促の前にちゃんと話し合いたかった。学校とはちゃんと話し合いがされていたのに……」「一度でいいからＰ＆Ｔを見に来てほしい」「Ｐ＆Ｔは私たち不登校のこどもを持つ親が協力してつくりだした場所。ただそれだけなのにまちがったウワサや報道、督促書によって傷ついている」などと話している。一方、本紙取材に対し新潟市教委は「Ｐ＆Ｔという存在を知らなかった」とし、今後は督促が出された親との話し合いを進めていく方針だ。</p>
<p>■メモ・出席督促とは</p>
<p>　学校教育法第17条、施行令21条によると保護者が子どもを「正当な理由がなく欠席させている」場合、教育委員会は保護者に対し出席を督促することができる。これは義務教育を定めた憲法第26条に基づく規定。督促を受けても保護者が就学させない場合は、学校教育法第144条に基づき、10万円以下の罰金に処される。ただし、子どもが学校をいやがるなど、登校によって子どもが傷つくおそれのある場合、親が子どもを保護することは「出席させない正当な理由」にあたる。90年、91年に福島県と石川県で出席督促書が不登校の子の親に送られ問題になったが、その後、教育長が謝罪して出席督促書を撤回。また、昨年5月金沢市でも不登校の子の親に出席督促書が送られ、保護者と市教委が話し合い、「今後は督促書を送付しない」ことで合意した。</p>
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