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	<title>fonte</title>
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	<description>不登校、教育、社会問題を発信する新聞『Fonte』</description>
	<pubDate>Sun, 16 Nov 2008 15:00:58 +0000</pubDate>
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		<title>この人が語る不登校2映画監督　阪本順治さんに聞く</title>
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		<pubDate>Sun, 16 Nov 2008 15:00:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fonte</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[11月特集-この人が語る不登校2]]></category>

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		<description><![CDATA[　2003年、Fonteでは、デビュー作「どついたるねん」（赤井英和主演）や人身売買問題を取り扱った『闇の子供たち』などで話題の阪本順治監督に取材をした。阪本さんは不登校も経験しており、その経緯や映画監督になってからの苦労をお聞きした。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignnone size-full wp-image-316" title="阪本順治さん" src="http://www.futoko.org/wordpress/wp-content/uploads/2008/10/sakamotojunji.jpg" alt="" width="400" height="300" /></p>
<p>2003年、Fonteでは、デビュー作「どついたるねん」（赤井英和主演）や人身売買問題を取り扱った『闇の子供たち』などで話題の阪本順治監督に取材をした。阪本さんは不登校も経験しており、その経緯や映画監督になってからの苦労をお聞きした。</p>
<p><strong>――子ども時代は？</strong></p>
<p>じいさんが代々からの仏師（仏像の彫刻家）で、小さいときから彫刻刀を持たされたり、いろんなものをつくることを教わってたんですね。だから、小さいときから、映画を観ていても「これどうやって撮ったんやろ？」って、裏方に興味を持ってました。</p>
<p>子どものころびっくりした映画は『天地創造』（1966年／監督・ジョン・ヒューストン）とかね。あのころはＣＧ合成なんてないから、いろんなことやってるわけですよ。でも、それがこっちにはわからない。そのわからなさがおもしろかった。</p>
<p><strong>――親はどんな感じでした？</strong></p>
<p>店をやっていたから、両親とも朝早くから夜遅くまで働きづめで、一日顔を合わさないこともあった。おふくろは厳しかったですよ。俺が宿題で「歯を磨こう」っていうようなポスターを描いてたら、「こんなんアカン。描き直しなさい」って。もう夜の10時で「絵の具がない」って言ったら、「文具屋に電話するからシャッター空けてもらいなさい」って（笑）。いい加減にやっているのは許さない人でした。</p>
<p><strong>――学校に行かなかったのはいつからですか？</strong></p>
<p>高2の後半くらいかな。ずっと休んでたわけやないですけどね。友だちも一人くらいはいたけど、その子が家に遊びにきても居留守にしてたし、そういう拒絶してた感じでした。</p>
<p><strong>――理由は？</strong></p>
<p>なんか理想が高かったんやと思うわ。自分に対する期待とか。もっと勉強できるはず、もっと注目されるはず、そういうのがあって、ちょっとでも届かないと、もういいや、行かないって……。</p>
<p>当時は学校休むと「ズル休み」でしかないでしょう。だから最初は仮病で、それがバレたら今度は「イボコロリ」とか目薬を飲んで本当に腹痛くした。それもバレるとケガするしかないから、家の階段からダイビングしたり、文鎮で頭を殴ったりしてね。ガーンってやったらゲロ吐いて、病院行ったら頭蓋骨にヒビが入ってた。それぐらいして行きたくありませんでした。</p>
<p><strong>――子どもって、そういう真剣さがありますよね</strong></p>
<p>そういうことをしてる自分に気づいたとき、背中がゾーっとしたんですね。自分なりにヘルプ・ミーっだったんだけど、誰にも言わなかったし、親は「サボってる」という感覚だしね。結局、高校も大学も行ったんだけど、自問自答ばっかりしてました。そのときにハタと、あ、俺はものをつくるのが好きなんだって思ったんです。で、映画っていうものづくりが、一番、摩訶不思議だったんですね。</p>
<p><strong>――不安や劣等感はありましたか？</strong></p>
<p>じっとしてると、背筋がゾっとするとかね。その感覚はあったな。そこから一応は抜け出たけど、今でも戻りそうになる瞬間があります。</p>
<p>映画つくれなくなって、食っていかないといけないこととか考えるとゾっとしますよ。でも、目の前にやらなきゃいけないことがいっぱいあるから。不安とはおつきあいしていくだけ。</p>
<p>本当は、俺は監督に向いてないんだ（笑）。こういう人間が、40人くらいのスタッフと組んでやるわけでしょう。結局、みんなに担いでもらってるだけ。誰かがちょっと手を離すと、傾いたりするから、一応、監督ぶってないといけない。演じてるようなものだよね。飯おごったり、ケンカの仲裁したり……そういうの、向いてないね（笑）。</p>
<p><strong>――映画の世界には、どのように？</strong></p>
<p>20歳のときに東京に行って、松竹撮影所の近くに住んでエキストラをやってました。撮影が見られますからね。</p>
<p>映画監督になって感じたのは、何かに「なりたい」と思ったときに、「なりたい」じゃなくて「なる」って決めちゃうということ。決めちゃえば、あとはどれから準備すればいいか考えるだけだから。何ごとも、やるって決めちゃえばすごく気持ちが楽になるんだけどね。なれるまでやるということは、挫折がないのよ。そこに行くまで歩くっていうことだから。「なりたい」だと、イメージのなかに閉じこもってしまう。</p>
<p>俺は、「心技体」っていうのが嫌いでさ。「技体心」だと思ってるんだよ。技術、体力、心は最後でいい。心が先にありきだと悩んじゃう（笑）。考えてるのになんでできないんだろうって。だけど、技術を高めようっていうときは、自然と体力と気持ちがある。</p>
<p><strong>――スランプとかは、ありますか？</strong></p>
<p>スランプのない映画監督はいないよ。20年映画撮れない人もいるけど、それでも映画監督は映画監督だからね。監督になるまでは「苦労」だけど、デビューしたら「苦痛」がはじまるんだよ（笑）。</p>
<p>俺がまったく予想しなかった監督の仕事は「批評を受ける」こと。本当に痛い批評をいただくこともある。自分の映画が批判されるってことは、自分自身が批判されることと同じですからね。「坂本は終わった」とか……。でも、たまたま、それを書いた評論家と地下鉄の改札なんかで会うと、「あ、おはようございます」とかやってる自分がいるんだよ（笑）。人の目は、やっぱり気になりますね。</p>
<p><strong>――今後、撮りたいテーマは？</strong></p>
<p>わからないですね。やりたいものって、今やりたいことが終わらないとわからないんですよ。でも、1本終わると、次は真逆のものをやりたくなる。</p>
<p>いま45歳だけど、まだ若いうちに、自分が不得意だなと思う映画をやったほうがいいと思うんですね。つくり手が一番怖いのは、自己模倣です。「ああ、こないだの映画と似てたよね」って言われるのが一番力なくした証拠ですからね。</p>
<p><strong>――「完成」はないわけですね？</strong></p>
<p>常にやり切れてないっていう思いがあって、つまりは完璧に誤差のない球体を磨いているようなもんですね。あの黒澤明だって、アカデミー賞をもらったときに、「私はいまだに映画がわかりません」って言うんですからね（笑）。</p>
<p><strong>――原点みたいなものはありますか？</strong></p>
<p>人間って、思春期にできた記憶とかあるじゃない。風景とか。そういうもんを引きずっていくものだとしたら、そのころの自分の生理をもって大人になっていくんだと思います。</p>
<p>亡くなった深作欣仁さんなんか、戦後、思春期のころに死体の片付けとかさせられて、その記憶がずっとあるから、『バトルロワイアル』を撮ってるわけですよね。10代のときに何を経験したか、何を受けいれて、何を拒絶したか。そういうものがあればあるほど、ものづくりに自分の根をちゃんと持てる。何をやったって、どこか戻るところがあるんだよね。</p>
<p><strong>――阪本さん自身は？</strong></p>
<p>俺には、「性善説」をやることへの気持ち悪さがあるんだよね。人間ってこれだけすばらしいもんだって描いたとき、「俺はそんなこと声高らかに言うほどの人間か」って思っちゃう。</p>
<p>よく、若い子が履歴書持って俺の下で働きたいって来るんだけど、「映画監督になってどうしたいの？」って聞くと、「人に勇気と元気を与えたい」って言う。ちょっと待てよ、おまえそれほどの人間かよって（笑）。少なくとも俺は、人に勇気と元気を与えられない、というところからものをつくってる。そんな自負があったら、社会に出て、直接的に人の役に立つことやるよってね。</p>
<p><strong>――不登校やひきこもりについては、どのように？</strong></p>
<p>そういう人って、ある程度、理想は高いと思うんだよね。外の世界に自分が期待できるほどのものがないってことは、逆に期待があって、その裏返しかもしれない。物事を想像する力が大きいのかもしれないね。自問自答するヤツってのは、ものづくりに向いてるよ。</p>
<p>親戚に、ちょっと学校に行かなくなった子がいて、一回話してくれっていうから、「おい、お前そのまま続けろ。もし映画監督になりたいと思ったら、俺に言えばいいから」って言ったのね（笑）。</p>
<p>言語を自分のなかで飛び交わせるっていうのが文化のはじまりですからね。人とちがう環境にいることで、ちがう脳の鍛え方ができるんだから、それは何かには絶対活かせる。それが犯罪に向かったりする確率がどれくらいあるか知らないけど、犯罪を犯さない確率のほうを認めてやるべきだと思います。そういうことを、なんでみんなもっと言わないだろうと思いますね。</p>
<p><strong>――ありがとうございました（聞き手・石井志昂）</strong></p>
<p>プロフィール<br />
（さかもと・じゅんじ）1958年、大阪府堺市生まれ。大学在学中に石井聰亙監督の「爆裂都市」の美術助手として映画界入り。89年に赤井英和主演の「どついたるねん」で監督デビューし、各種の映画賞の監督新人賞を受賞。ほかに「王手」「トカレフ」「傷だらけの天使」「顔」など、監督作多数。</p>
<p>※2003年12月15日　不登校新聞掲載</p>
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		<title>第2回「社会の中の精神現象」　高岡健</title>
		<link>http://www.futoko.org/column/page1117-320.html</link>
		<comments>http://www.futoko.org/column/page1117-320.html#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 16 Nov 2008 15:00:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fonte</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[渋谷遺体切断事件（下）
　渋谷遺体切断事件の両親の手記が、新聞紙上に掲載されていた。「（妹の）他を顧みない自由奔放な性格と言動は、家族から理解されていなかった」、「（兄は）妹が両親を悩ます元凶と思いこむようになったのではないか」、「（妹が兄に）謝ってさえいてくれれば……このような凶行にいたらずに、すんだのではないか」という内容だ。
　死んだ後になってまで、妹は悪者扱いされている。それなら、私も次のように言ってみたくなる。妹の友人の話によれば、妹は家出をして男性と同居していたが、後に自宅へ連れ戻された。そのころの彼女は目標を見つけられず、自暴自棄になっていた。彼女は友人から芸能事務所を紹介され、劇団の魅力を知るようになってから明るくなった。つまり、妹は、やっとの思いで歯科医一家の呪縛から、逃れようとしていたのではないか。だから、密かに慕う兄に対して、あえて「歯科医になるのは人のまねだ」「夢がないね」という言葉を、投げかけたのではないか。
　夏目漱石は、「恐れないのが詩人の特色」で、「恐れるのが哲人の運命」だと述べた。前者においては先の見えないほどの強い感覚が一度に胸に湧き上がるが、後者は先に結果を考えて取り越し苦労をするというのだ。しかし、渋谷事件の兄は、「夢がない」という詩人の言葉に直面したとき、哲人の枠を逸脱し殺害事件を引き起こしてしまった。詩人の言葉は、哲人であるはずの兄の人生を否定するほどの、大きな力を持っていたと考えるしかない。そうでなければ、詩人であった妹は、兄に対して、真の哲人たれと言いたかったのだろう。
　もう一つ、書きとめておきたいことがある。漱石の小説に登場する哲人は、つねに母を求めていた。そして、母のことを毎日毎夜考え、それでもわからなかったときには、尋ねることのできる叔父がいた。
　渋谷事件の場合はどうだったのか。事件の数日前、母が妹の生活態度を叱ったところ、妹は激しく言い返し、母を罵った。居合わせた兄は、「なぜ、ああいう言い方をするのか」、「妹が許せない」と考え、妹のことを非難したという。母から愛され、認められるためには、常に母に従って生きるしかない。そういう哲学を持つよう強いられてきた兄の姿が、そこにはある。
　しかし、哲人であるべき渋谷事件の兄も、ほんとうは無条件に愛してくれる母を、どこかで求め続けていたのではないか。それが受けいれられなかったとき、叔父に相当する斜めの関係の人間が、果たして存在したかどうか。そこが疑問として残る。
　引きこもって自分自身を見つめるためには、ただ従うだけの上下の関係は不要だ。引きこもりを斜めから見守ってくれる存在こそ、必要なのである。
著者プロフィール
（たかおか・けん）1953年生まれ。精神科医、日本児童青年精神医学会理事、岐阜大学医学部精神病理学分野助教授。著書に『引きこもり狩り（雲母書房）、『引きこもりを恐れず』（ウェイツ）、『新しいうつ病論』（雲母書房）など多数。
※2007年4月15日　Fonte掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>渋谷遺体切断事件（下）</strong></p>
<p>　渋谷遺体切断事件の両親の手記が、新聞紙上に掲載されていた。「（妹の）他を顧みない自由奔放な性格と言動は、家族から理解されていなかった」、「（兄は）妹が両親を悩ます元凶と思いこむようになったのではないか」、「（妹が兄に）謝ってさえいてくれれば……このような凶行にいたらずに、すんだのではないか」という内容だ。</p>
<p>　死んだ後になってまで、妹は悪者扱いされている。それなら、私も次のように言ってみたくなる。妹の友人の話によれば、妹は家出をして男性と同居していたが、後に自宅へ連れ戻された。そのころの彼女は目標を見つけられず、自暴自棄になっていた。彼女は友人から芸能事務所を紹介され、劇団の魅力を知るようになってから明るくなった。つまり、妹は、やっとの思いで歯科医一家の呪縛から、逃れようとしていたのではないか。だから、密かに慕う兄に対して、あえて「歯科医になるのは人のまねだ」「夢がないね」という言葉を、投げかけたのではないか。</p>
<p>　夏目漱石は、「恐れないのが詩人の特色」で、「恐れるのが哲人の運命」だと述べた。前者においては先の見えないほどの強い感覚が一度に胸に湧き上がるが、後者は先に結果を考えて取り越し苦労をするというのだ。しかし、渋谷事件の兄は、「夢がない」という詩人の言葉に直面したとき、哲人の枠を逸脱し殺害事件を引き起こしてしまった。詩人の言葉は、哲人であるはずの兄の人生を否定するほどの、大きな力を持っていたと考えるしかない。そうでなければ、詩人であった妹は、兄に対して、真の哲人たれと言いたかったのだろう。</p>
<p>　もう一つ、書きとめておきたいことがある。漱石の小説に登場する哲人は、つねに母を求めていた。そして、母のことを毎日毎夜考え、それでもわからなかったときには、尋ねることのできる叔父がいた。</p>
<p>　渋谷事件の場合はどうだったのか。事件の数日前、母が妹の生活態度を叱ったところ、妹は激しく言い返し、母を罵った。居合わせた兄は、「なぜ、ああいう言い方をするのか」、「妹が許せない」と考え、妹のことを非難したという。母から愛され、認められるためには、常に母に従って生きるしかない。そういう哲学を持つよう強いられてきた兄の姿が、そこにはある。</p>
<p>　しかし、哲人であるべき渋谷事件の兄も、ほんとうは無条件に愛してくれる母を、どこかで求め続けていたのではないか。それが受けいれられなかったとき、叔父に相当する斜めの関係の人間が、果たして存在したかどうか。そこが疑問として残る。</p>
<p>　引きこもって自分自身を見つめるためには、ただ従うだけの上下の関係は不要だ。引きこもりを斜めから見守ってくれる存在こそ、必要なのである。</p>
<p>著者プロフィール<br />
（たかおか・けん）1953年生まれ。精神科医、日本児童青年精神医学会理事、岐阜大学医学部精神病理学分野助教授。著書に『引きこもり狩り（雲母書房）、『引きこもりを恐れず』（ウェイツ）、『新しいうつ病論』（雲母書房）など多数。</p>
<p>※2007年4月15日　Fonte掲載</p>
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		<item>
		<title>オランダの教育を知る</title>
		<link>http://www.futoko.org/kodomo/page1115-240.html</link>
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		<pubDate>Fri, 14 Nov 2008 15:00:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fonte</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[子ども編集部]]></category>

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		<description><![CDATA[ 　私が不登校になり、問題視される側になったことから、日本では「よい・悪い」と言われていることが、ほかの国でも同じように考えられているかを、知りたいと思っていました。
　とくにオランダは、テレビなどで「大麻が認められている」とか「自由の国」と聞いたことがあります。そんなオランダでは、どんなふうに教育を行なっているのか？　と思い、オランダの教育事情について調べてみました。今回はオランダに8年間在住し、オランダの教育史を研究されているリヒテルズ直子さんとシューレ大学の朝倉景樹さんに取材しました。（山本侑佳里）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignnone size-full wp-image-241" title="オランダ名物「風車」" src="http://www.futoko.org/wordpress/wp-content/uploads/2008/07/kodomo1102-1.jpg" alt="" width="210" height="300" /><br />
私が不登校になり、問題視される側になったことから、日本では「よい・悪い」と言われていることが、ほかの国でも同じように考えられているかを、知りたいと思っていました。<br />
とくにオランダは、テレビなどで「大麻が認められている」とか「自由の国」と聞いたことがあります。そんなオランダでは、どんなふうに教育を行なっているのか？　と思い、オランダの教育事情について調べてみました。今回はオランダに8年間在住し、オランダの教育史を研究されているリヒテルズ直子さんとシューレ大学の朝倉景樹さんに取材しました。（山本侑佳里）</p>
<p>調べてみて、驚いたのは、まず、オランダの教育が多様な点と学区制がないため幅広く学校が選べる、という点です。リヒテルズ直子さんは「オランダの学校が100あれば、100のちがう教育をやっている」と話してくれました。その言葉だけではピンときませんでしたが、調べてみると本当にさまざまな学校がありました。</p>
<p>たとえば、異なる年齢の子どもたちを一つのグループにして指導する学校、イスラム文化を中心にしている学校、近代的な建物で学ぶ学校などです。それぞれの学校が特徴を持ち、親や子どもに宣伝しているそうです。私立学校は、その親や子どもとあわない場合などは、入学を断ることもでき、入学後も「私にあわないな」と思えば、転校やちがう学年に移ることもよくあるそうです。</p>
<h3>◎教育の自由</h3>
<p>オランダの義務教育年齢は5歳から18歳まで。最後の2年間が部分的義務教育となっています。また「オランダの全土に存在する小中学校のうち、公立学校が3割前後。残り7割前後の子どもたちが、教育について何らかの主義や立場を明らかにした私立学校に通っている」そうで、私立、公立を問わず、ほとんど教育費がかかりません。</p>
<p>オランダは憲法23条によって「教育の自由」が保障されています。リヒテルズさんいわく「文部科学省は科目の種類や時間には、一定の基準を与えていますが、オランダでは教科書の内容が均一ではなく、各学校はみずからの価値観を独自に教える自由があります」。ですが、いくら独自にとは言っても、生徒の定員割れになれば廃校になってしまうので、学校も身勝手にはできないようです。</p>
<h3>◎市民団体も学校がつくれる</h3>
<p>「オランダでは、約200人の子どもが集まることを証明できれば、市民団体でも政府から援助を受けて学校を設立できる」と、朝倉さん、リヒテルズさんは話してくれました。そうしたこぢんまりした学校をふくめ、スーパーへ行くくらいの近所に3～4校もあると言うのだから、考えて選ばざるを得ないようです。もし遠くの学校を選んでも、交通費は援助されるので、金銭面で距離は関係ないようです。</p>
<h3>◎不登校は？</h3>
<p>オランダの不登校事情を朝倉さんにお聞きしたところ「オランダには日本の不登校にあたることはないし、日本ほど登校へのプレッシャーは強くない」と言われました。たとえば「しょっちゅう学校をさぼる」とか「今度、家族でアフリカに行くから学校を3週間休みます」なんてこともけっこうあるそうです。オランダでは、高校も大学も本人が希望すれば、落とされることもありません。朝倉さんは「学校がきらいな人も、なんとか学校を卒業しているのではないか」と話してくれました。</p>
<h3>◎性とドラッグ</h3>
<p>今回の取材では、麻薬教育と性教育に注目しました。それは日本と教育内容のちがいがわかりやすいと思ったからです。リヒテルズさんの話によると「オランダでは小学校の高学年と中学校でくわしく学びます。たとえばアルコールやタバコをふくむ合法・非合法すべての麻薬について、生産過程、効能、中毒のなりやすさ、健康への害、医療での利用法を教えます。性教育は、男女それぞれの生殖器の機能や性交、受胎、妊娠、避妊を男女共学の教室で教えます」とのことです。そうした前提をふまえ「個人の判断に任せる」のがオランダの基本姿勢なのだそうです。</p>
<h3>◎ちがいの理由</h3>
<p>最後に何がオランダと日本の差異を生んでいるのか？　と質問したところ「オランダの教育史をみて、つくづく思わされるのは、彼ら自身が、国の制度は彼ら自身がつくっていくものだ、という意識を持っていることです。そういう意識が教育の中身を変えている」と話してくれました。</p>
<p>私はオランダの教育事情を調べるにあたって、ここまで日本とのちがいがあるとは思っていませんでしたので、オランダについて知れば知るほどビックリ仰天でした。日本とはちがうやり方もあることを、すこし知ることができて、おもしろかったし、よかったと思います。そして、私に、オランダの教育事情を教えてくださった方々、本当にありがとうございました。</p>
<p>※2005年3月1日 Fonte掲載</p>
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		</item>
		<item>
		<title>札幌監禁事件を受け　市教委、不登校の実態把握へ</title>
		<link>http://www.futoko.org/news/page1115-323.html</link>
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		<pubDate>Fri, 14 Nov 2008 15:00:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fonte</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[ニュース]]></category>

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		<description><![CDATA[　札幌市の女性（21歳）が8年間にわたり、母親によって自宅に監禁状態に置かれていた事件を受け、札幌市と札幌市教育委員会は「児童虐待予防緊急対策本部」を設置。長期間、不登校で学校が接触しづらくなっている児童生徒の実態把握を求めることを決めた。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　札幌市の女性（21歳）が8年間にわたり、母親によって自宅に監禁状態に置かれていた事件を受け、札幌市と札幌市教育委員会は「児童虐待予防緊急対策本部」を設置。長期間、不登校で学校が接触しづらくなっている児童生徒の実態把握を求めることを決めた。</p>
<p>　札幌市教育委員会によると、女性は小学校3年生ごろから出席が減り、小学校6年生から中学を卒業するまでは3日間のみ登校した。これは母親が小学校3年生ごろから、外出を徐々に許さなかったことによるもの。小・中学校の担任は「頻繁に家庭訪問したが、インターホン越しの会話など直接子どもと会うことができず、母親や父親の話からは異変を感じられなかった」（市教委）状況が続いた。父親は家庭に不在がちで17歳ごろから別居している。ただし、05年1月に父親は区役所に「子どもが閉じこめられている」などと相談していた。<br />
　06年、警察に「異臭がする」などといった連絡が付近住民からあったこと、児童相談所に「虐待の疑いがある」との通告があったことを受け、市が事実関係を調査。「母親が重篤な精神障害にある可能性が高い」と見て、母親の保護に踏みきり、監禁状態にあった女性も発見された。発見当初、女性はほとんど自力で動けず、会話も充分にできない状態であった。現段階では、小学校2年生時にその兆候がなかったことから、長期の監禁状態が精神・知的障害の原因になったと見ている。保護後、女性は知的障害更生施設に入所。母親も統合失調症と診断され、医療保護入院した。<br />
　当初は不登校と判断され、その後、虐待だとして発覚した事件は、04年の岸和田中学生虐待事件などがあった。どちらも虐待の発見が遅れたことが大きく報じられた。こうした事件を受け、現在の児童虐待防止法では「虐待の疑い」があるケースでも通告義務が課せられている。<br />
　市教委は今回の事件について「女性の出席日数が減った当初は『虐待の疑い』による通告義務などがなく、関係機関がもう一歩踏みこんで連携しあうことができず、たいへん残念な結果になった」と話している。<br />
　現在、市教委は各学校に直接会えない児童生徒を中心に実態把握を求めている。また、年内を目標に事件の分析や今後の対策方針をまとめる予定だ。市教委は本紙取材に対して「不登校即虐待という見方はしていない。虐待の問題と不登校の問題をいっしょくたには考えていないし、不登校児には一人ひとりにあった対応が求められている。ただし、万が一を考えてつねに行動することも求められているので、そのことの理解を得ながら対策をとっていきたい」と話している。<br />
<strong><br />
■ソーシャルワーカー　向谷地生良さん</strong><br />
　報道を聞いて、最初の感想は「病院のワーカーはどうしていたんだろうか」と思いました。母親が病気の場合、私たちなら、まずは最優先で子どもを守ることを考えます。行政も最近は「チームアプローチ」の重要性を訴えています。支援できる人たちが連携することは大切です。一方で、支援者が多いのに、一人として「もう一歩」を踏みこまないという状況も増えてきました。遠巻きで「家から出てこいよ」と言ってもなんにもなりません。<br />
　やはり誰かがドロを被って、火のなかに飛び込んで、その人の魂ごと救う気持ちで踏み込まなければならないんだと思っています。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Fonte No.254 Date. 2008.11.15</title>
		<link>http://www.futoko.org/fonte/page1115-324.html</link>
		<comments>http://www.futoko.org/fonte/page1115-324.html#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 14 Nov 2008 15:00:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fonte</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[fonte目次]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.futoko.org/?p=324</guid>
		<description><![CDATA[１面　札幌市の女性が虐待で8年間自宅に
　　　市教委 不登校の実態把握へ
２面　私にとって不登校をめぐる10年
　　　「親子ってなんだろう」 芹沢俊介さん
３面　不当逮捕に抗議集会
　　　連載「学校のナゼ」
４面　声、通信員より
　　　はっつけあーと
５面　描いてみよう　乙女目線
　　   パズル、コラム「遊々自適」
６面　親から見る不登校
　　　関川ゆう子さん
７面　元文科省の不登校担当者
　　　ＰＨＰ総合研究所・亀田徹さん
８面　親の会情報、infomationほか
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>１面　札幌市の女性が虐待で8年間自宅に<br />
　　　市教委 不登校の実態把握へ</p>
<p>２面　私にとって不登校をめぐる10年<br />
　　　「親子ってなんだろう」 芹沢俊介さん</p>
<p>３面　不当逮捕に抗議集会<br />
　　　連載「学校のナゼ」</p>
<p>４面　声、通信員より<br />
　　　はっつけあーと</p>
<p>５面　描いてみよう　乙女目線<br />
　　   パズル、コラム「遊々自適」</p>
<p>６面　親から見る不登校<br />
　　　関川ゆう子さん</p>
<p>７面　元文科省の不登校担当者<br />
　　　ＰＨＰ総合研究所・亀田徹さん</p>
<p>８面　親の会情報、infomationほか</p>
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		<title>この人が語る不登校2外れることをポジティブに　加藤登紀子さんに聞く</title>
		<link>http://www.futoko.org/special/special-11/page1110-313.html</link>
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		<pubDate>Sun, 09 Nov 2008 15:00:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fonte</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[11月特集-この人が語る不登校2]]></category>

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		<description><![CDATA[　歌手をはじめ、女優、執筆業など、幅広く活躍しておられる加藤登紀子さんにお話をうかがった。ご自身の子ども時代のこと、ご両親とのこと、歌手としての思い、親としての思い、不登校についてなど、さまざまにお聞きした。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignnone size-full wp-image-314" title="加藤登紀子さん" src="http://www.futoko.org/wordpress/wp-content/uploads/2008/10/katotokiko.jpg" alt="" width="400" height="290" /></p>
<p>歌手をはじめ、女優、執筆業など、幅広く活躍しておられる加藤登紀子さんにお話をうかがった。ご自身の子ども時代のこと、ご両親とのこと、歌手としての思い、親としての思い、不登校についてなど、さまざまにお聞きした。</p>
<p><strong>――子ども時代はどのように？</strong></p>
<p>私は未熟児で産まれて、体が小さかったのね。小学校低学年のころは、体調を崩すこともあって、3分の1は欠席、遠足も運動会もなぜか出なかった。おまけに口をきかない子だったから、先生にもずいぶん心配された。だけど母は先生に「子どもには走るのが上手な子もいれば、雑巾がけが上手な子もいる。一人ひとりに得意なことを見つけてあげるほうがいい」と言ってくれました。</p>
<p>私は、算数少女で、計算をしていれば平和な気持ちだった。音楽は成績が悪くてね。だけど母は「算数や国語はできなくても生きていける。本当に幸せを運ぶのは音楽と体操と図工よ」って（笑）。</p>
<p>父は失業状態のときが多かったですね。開いていた歌謡学校がつぶれたりして、借金取りから電話があるくらいだった。でも、そのときでも家にはピアノがおいてあった。不思議な家ですよね。母も「どんなに貧乏をしていても、バターは本物を食べましょう。人絹やスフ（化学繊維）は着ないで純毛を着ましょう」って。でも、おかずがないときは川に草を摘みに行っていたぐらいで、貧しかったんですね。</p>
<p>家族は音楽一家で、イタリアオペラの放送の日は近所の家に家族で聞きに行ってました。でも、私は音楽の世界に近寄りたくない、という思いが強くてね……親子ってそんなものなのよね。いま思えば、父も母も素晴らしかったし、私を自由にしてくれたし、いい教育もしてくれた。けれども、子どもは親がしてくれたことに応えようとはなかなかならない。</p>
<p>第一、私の声は低くて、音楽は絶対ダメだと思っていた。ほんとうは音楽が好きなのに、うまくいかないと思うから、絶対にやりたくない。ずいぶん自分を抑え込んでいたと思います。</p>
<p><strong>――歌手になるきっかけは？</strong></p>
<p>大学生のころ、父が勝手にシャンソンコンクールに応募して、そのとき、審査員に「なかなかいい。また来年もいらっしゃい」って言われたのね。そこから火がつきはじめて、1年間レッスンを受けるうちに、歌手をやろう、と思いはじめました。</p>
<p>歌いはじめてからも、最初は作詞・作曲はしていなかったの。でも、ちょうどシンガーソングライターの草分け時代で、まわりのディレクターも「曲をつくれ。つくれないはずがない」と言う。それで四苦八苦してつくった『ひとり寝の子守歌』が、ヒットしたんです。</p>
<h3>◎限界を出す喜びと苦しみ</h3>
<p>でも、きつかったですね。自分で曲をつくる喜びはあるけど、同時に自分の限界も見える。そのギリギリの限界物を出す喜びと苦しみ。しかも、自分でつくった曲に対して、歌手としての私がうずうずしちゃう。こんなのじゃ満足できないって。</p>
<p>そうやって悩んでいるとき、母が「あら、世の中にはいい曲がたくさんあるじゃない」と言ってくれた。母には、私が無理をしているのが見えていたんでしょうね。それで、私は自分の曲もひとの曲も両方歌うことにしたんです。</p>
<p><strong>――歌うことの原動力は？</strong></p>
<p>いつも、自分の現状に対する不満があります。それがなかったら、一生懸命にならない（笑）。その不満は、根源的には日本人としての不安なんだと思います。</p>
<p>私はハルピンに生まれ、日本に引き揚げてきたわけで、家族もまわりと相容れない世界を持っていたし、私自身も、どうしても社会と相容れない自分を持っていました。歌手になってからも、芸能界という日本社会にぶつかった。</p>
<p>どこかで、日本人として半端だという感覚がある。だから、えらそうにシャンソンを歌えなかった。体に持っている響きや自分が使っている言語から生まれてくる音楽、日本人が持っているバイブレーションや心のあり方をつかまなければ、歌手としてやっていけない、と思ったんです。</p>
<h3>◎もっとワクワクを</h3>
<p>『知床旅情』や『ひとり寝の子守歌』を歌ったとき、みんなは拍手をしてくれた。私もやっと日本人になれた、と思えた。ところがね、それがイヤだったの。私の本質はこれじゃない、という思いが強かった。なんで日本人の歌はこんなにシンプルで寂しいのか、もっと躍動した曲がいい、と。</p>
<p>たとえば父が経営していたロシア料理店で働いていたロシア人たちを見ると、歌うために生活をしているって感じでしたね。お店が閉店すると毎晩飲んで歌って、結婚式では、一人が歌い出すとすぐに五部合唱ぐらいのハーモニーになる。そこから見ると、日本人の音楽は寂しい。</p>
<p>そんな思いがあって、世界中を旅しはじめました。そうすると、不思議なことにワクワクするほど、素晴らしいことに出会う。</p>
<h3>◎どんな国の音楽も</h3>
<p>コンプレックスを感じながらも、世界中で聞いた音楽をためにためて、いつのまにか練れたものが自分のなかにできているんですね。結局、自分の言葉と声で歌うかぎり、どんな国の音楽であろうと、私の音楽になっていく。</p>
<p>「音楽が世界共通の言語」というけれど、そう甘い方程式はなり立たない。けれども、たしかに言葉のコミュニケーションの難しさを越えていける力が音楽にはあると思う。音楽を通して、国境を越えた楽しい世界が見えてくるし、音楽をしていてよかったな、と思います。</p>
<p><strong>――壁を越えるには何が必要と？</strong></p>
<p>歌手はステージの上で全身をさらすわけです。それには、自分を理解できていないとできない。旅をはじめると、知らなかったことにぶつかるし、見知らぬ人と出会うなかで謎も見つかる。そこで通じ合うものを見つけるためには、自分自身を知る必要もあるし、相手の歴史や背景を知る必要もある。言葉で対話をすることも必要だけど、それでは足りなくて、音楽が必要になる。それをしながら歩いている感じです。</p>
<p><strong>――言葉でも、日本語の「標準語」は力が弱いように思いますが？</strong></p>
<p>それは根がない言葉だからでしょうね。方言は体の感じていることを音声にして出している。だけど標準語は感性じゃなくて、ロジックでつくられている。でも、自分が毎日、標準語を使っているかぎりは、この言葉で感情と音声とつなぎたいと思いますね。</p>
<h3>◎子どもはすごい力を持っている</h3>
<p><strong>――3人のお子さんがいますが、どんな子育てを？</strong></p>
<p>私は家にいないことが多いから、監督することはできなくて、自由にするしかなかった。3歳ぐらいになると偉そうな顔をするから「成人式をもうしちゃおうかしら」と思ったくらいです（笑）。</p>
<p>子どもと向き合っていると、子どもはすごい力を持っているなと思います。その意志をコントロールすることはできない。でも、その意志のありかが見えないと不安で、そういう悩みはありましたね。旅から帰ってくるとすぐには話してくれなくて、3日ぐらい家にいて、のんびりした時間があると「あのね」と話してくれる。だから、とにかく話ができる関係を持つことがいちばん大事でしたね。でも一人ずつ、それぞれ話しにくい時期もありましたけど。</p>
<h3>◎不登校に期待</h3>
<p><strong>――不登校について一言</strong></p>
<p>私ね、不登校に期待してるんですよ。いま、私がおもしろいと思っているのは、社会から外れている、あるいは外れていこうとする人なのね。私たちはなんとなく自由に生きたかった世代です。その子どもに不登校が多くて、私のまわりで芸術活動をする人たちには、とくに不登校が多い。親の尺度と学校の尺度がすでに合ってない（笑）。「親が学校とケンカしてくるようじゃ子どもが学校に行くわけないじゃない」と言って笑ったこともある。</p>
<p>今までは「学校に行くべきなのに行けない」あるいは「就職すべきなのにフリーター」とか、そういう発想ですよね。だけど、これまでのレールや価値尺度から外れることをネガティブに受けとるべきではないです。</p>
<p>日本には革命が起きていないけれども、古い価値はもうすでに挫折しているんです。その挫折から、どうやって日本が再生するのかを考えたとき、外れたところからしかないと思うのね。その外れたところを、社会の価値尺度に合わせてネガティブに見るんじゃなくて、自分の意識をポジティブに変えるべきだと思っています。</p>
<p><strong>――ありがとうございました。（聞き手・石井志昂）</strong></p>
<p>プロフィール<br />
（かとう・ときこ）東京大学在学中に歌手活動に入る。『ひとり寝の子守歌』『知床旅情』など数多くのヒット曲を発表。2000年、ＵＮＥＰ（国連環境計画）親善大使に就任。今年3月小学館より『青い月のバラード』、平凡社より『ひとりぼっちはひとりじゃない』を同時出版。5月、30年にわたる沖縄愛唱歌を集大成したアルバム『沖縄情歌』を発表。今月23日にはシングル『あなたに』をリリースする。現在、コンサートツアー中。お問い合わせ先はトキコ・プランニング（℡03-3352-3875、URL：http://www.tokiko.com）</p>
<p>※2003年7月15日　不登校新聞掲載</p>
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		<title>第1回「社会の中の精神現象」　高岡健</title>
		<link>http://www.futoko.org/column/page1110-319.html</link>
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		<pubDate>Sun, 09 Nov 2008 15:00:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fonte</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[渋谷遺体切断事件（上）
　2007年1月、東京都渋谷区の歯科医宅で、浪人生による妹殺害事件が起こった。短大生で芸能事務所にも所属し、その後はグラビアアイドルを目指していた妹から、「歯科医になるのは人のまねだ」「夢がないね」と言われたことが引き金だったという。殺害後に兄は、遺体を切断しながら、他方で予備校の合宿に参加していた。
　この事件をめぐっては、猟奇的報道も相継いだ。その一つに、兄と妹とのあいだの近親相姦や、死体への関心を推測する記事があった。しかし東京地検は、異例のコメントにより、これらをすべて否定した。
　それでは、二人のあいだには、たがいに憎しみの感情だけしかなかったのだろうか。そうではなく、かすかに惹かれあう気持ちがあったと、私は思う。妹が入学した短大は、兄が懸命にパソコンで探し、やっと入学期限にまに合ったものであることが明らかになっているからだ。また妹は、自分が短大に入って兄を追い越したことを気にしていたという。
　このとき思い浮かぶのは、夏目漱石の小説『彼岸過迄』に登場する、須永市蔵と千代子の関係だ。
　須永と千代子は兄妹ではないが、いとこどうしに当たる。須永はものごとを複雑に考えて、なかなか実行に移せない「恐れる男」であり、千代子は率直に発言し行動することのできる「恐れない女」として描かれている。この二人は、ひそかに惹かれあいながらも、現実には交わるところがない。結局、二人のひそかな愛はすれちがい、千代子は須永に対し「あなたはひきょうです」と断定することになる。ここまでは、渋谷事件の兄妹とほぼ同じだ。しかし、須永は千代子を殺していない。なぜだろうか。
　須永は、世間からひきこもりつつ、何ごとも自分の頭で考えようとしていた。それに対し、渋谷事件の兄は、両親の職業である歯科医を継ぐためだけに浪人を重ねていた。まさに「人のまね」だったことになる。高校の卒業アルバムに「髭生ゆる我が顎に出り父の影」と俳句を詠んだ兄は、父から歯科医以外の進路があることを示唆されても、父と同じ職業につくことを望んだという。つまり、父の重圧を自ら背負い込むことに、喜びさえ感じていたのだ。
　観念の上で父を殺しておかねば大人になれないのに、彼にはそれができなかった。ここでいう観念の上での父殺しとは、父の持つ価値観や人生観を、長い時間をかけて否定し、超えていくことを意味する。そのために、人はいったんすべての人間関係を断ち切り、ひきこもらなくてはならない。
　渋谷事件の兄が、もし徹底してひきこもる時間を貫いていたなら、悲劇は起こらなかったのではないか。引きこもりは、陰惨な事件を抑止し得るのである。（つづく）
著者プロフィール
（たかおか・けん）1953年生まれ。精神科医、日本児童青年精神医学会理事、岐阜大学医学部精神病理学分野助教授。著書に『引きこもり狩り（雲母書房）、『引きこもりを恐れず』（ウェイツ）、『新しいうつ病論』（雲母書房）など多数。
※2007年4月1日　Fonte掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>渋谷遺体切断事件（上）</strong></p>
<p>　2007年1月、東京都渋谷区の歯科医宅で、浪人生による妹殺害事件が起こった。短大生で芸能事務所にも所属し、その後はグラビアアイドルを目指していた妹から、「歯科医になるのは人のまねだ」「夢がないね」と言われたことが引き金だったという。殺害後に兄は、遺体を切断しながら、他方で予備校の合宿に参加していた。</p>
<p>　この事件をめぐっては、猟奇的報道も相継いだ。その一つに、兄と妹とのあいだの近親相姦や、死体への関心を推測する記事があった。しかし東京地検は、異例のコメントにより、これらをすべて否定した。</p>
<p>　それでは、二人のあいだには、たがいに憎しみの感情だけしかなかったのだろうか。そうではなく、かすかに惹かれあう気持ちがあったと、私は思う。妹が入学した短大は、兄が懸命にパソコンで探し、やっと入学期限にまに合ったものであることが明らかになっているからだ。また妹は、自分が短大に入って兄を追い越したことを気にしていたという。</p>
<p>　このとき思い浮かぶのは、夏目漱石の小説『彼岸過迄』に登場する、須永市蔵と千代子の関係だ。</p>
<p>　須永と千代子は兄妹ではないが、いとこどうしに当たる。須永はものごとを複雑に考えて、なかなか実行に移せない「恐れる男」であり、千代子は率直に発言し行動することのできる「恐れない女」として描かれている。この二人は、ひそかに惹かれあいながらも、現実には交わるところがない。結局、二人のひそかな愛はすれちがい、千代子は須永に対し「あなたはひきょうです」と断定することになる。ここまでは、渋谷事件の兄妹とほぼ同じだ。しかし、須永は千代子を殺していない。なぜだろうか。</p>
<p>　須永は、世間からひきこもりつつ、何ごとも自分の頭で考えようとしていた。それに対し、渋谷事件の兄は、両親の職業である歯科医を継ぐためだけに浪人を重ねていた。まさに「人のまね」だったことになる。高校の卒業アルバムに「髭生ゆる我が顎に出り父の影」と俳句を詠んだ兄は、父から歯科医以外の進路があることを示唆されても、父と同じ職業につくことを望んだという。つまり、父の重圧を自ら背負い込むことに、喜びさえ感じていたのだ。</p>
<p>　観念の上で父を殺しておかねば大人になれないのに、彼にはそれができなかった。ここでいう観念の上での父殺しとは、父の持つ価値観や人生観を、長い時間をかけて否定し、超えていくことを意味する。そのために、人はいったんすべての人間関係を断ち切り、ひきこもらなくてはならない。</p>
<p>　渋谷事件の兄が、もし徹底してひきこもる時間を貫いていたなら、悲劇は起こらなかったのではないか。引きこもりは、陰惨な事件を抑止し得るのである。（つづく）</p>
<p>著者プロフィール<br />
（たかおか・けん）1953年生まれ。精神科医、日本児童青年精神医学会理事、岐阜大学医学部精神病理学分野助教授。著書に『引きこもり狩り（雲母書房）、『引きこもりを恐れず』（ウェイツ）、『新しいうつ病論』（雲母書房）など多数。</p>
<p>※2007年4月1日　Fonte掲載</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>特集：この人が語る不登校2政治学者　姜尚中さんに聞く</title>
		<link>http://www.futoko.org/special/special-11/page1103-311.html</link>
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		<pubDate>Sun, 02 Nov 2008 15:00:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fonte</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[11月特集-この人が語る不登校2]]></category>

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		<description><![CDATA[11月号の特集は「この人が語る不登校2」。アップロードの日程は以下の通り。

3日は政治学者・姜尚中さん
10日は歌手・加藤登紀子さん
17日は映画監督・阪本順治さん
24日はミュージシャン・喜納昌吉さん　

第一回目の姜尚中さんには国家や社会のあり方に鋭い批判と分析を続けている政治学者の姜尚中さんにお話をうかがった。姜さん自身の子ども時代や、なぜ政治学を研究することになったのかといったことから、現在の政治情勢、学校教育、「拉致事件」報道についてなど、さまざまなことについて語っていただいた。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignnone size-full wp-image-312" title="姜尚中さん" src="http://www.futoko.org/wordpress/wp-content/uploads/2008/10/kansanjun.jpg" alt="" width="400" height="278" /></p>
<p>今回は、国家や社会のあり方に鋭い批判と分析を続けている政治学者の姜尚中さんにお話をうかがった。姜さん自身の子ども時代や、なぜ政治学を研究することになったのかといったことから、現在の政治情勢、学校教育、「拉致事件」報道についてなど、さまざまなことについて語っていただいた。</p>
<p><strong>――どんな子ども時代を過ごされたのでしょうか？</strong></p>
<p>僕は野球が好きな野球少年でした。在日韓国・朝鮮人だとまともに就職できないからと、両親は勉強をすることより、野球で生計を立てることを望んでいました。</p>
<p>高校に入ると、野球もせずひとりで悩み、学校に行かない時期が1年間ほどありました。生まれた熊本県では、まわりに在日の人が少なく、友人もいない孤立状態で、自分の特殊性を過剰に感じていました。</p>
<p>自分自身が変わりはじめたのは、大学2年生のときです。はじめて韓国に行って、夕方のラッシュアワーを見ていました。そのとき「この夕日は日本にも落ちるし、韓国にも落ちる」何も変わらないんだ、と感じてから、すとーんと楽になりました。</p>
<p>私は小さいときから、自分を自然に肯定することができませんでした。他者からの目を自分に引き入れて、自分自身をおかしいと見る目を持っていました。自己否定の縛りが強くて、なかなか脱却できないでいました。</p>
<h3>◎これはどこから来ているのか</h3>
<p>子どもは、自分自身を肯定しないと生きていけない。この劣等感はどこから来ているのか、突きとめたかった。</p>
<p>そこから、少しずつ「この社会は何なのか？」と思いはじめ、歴史的に問題を考えるようになりました。大学時代に同じ在日の仲間たちに出会ったことも大きかったと思います。</p>
<p><strong>――時代的な背景もあったんでしょうか？</strong></p>
<p>60年代後半は疾風怒濤の時代でしたが、石油ショックを境に政治の季節は終わりました。</p>
<p>それまで学生運動をしていた人たちも、就職し、社会問題から退却していきました。なぜ退却できたかと言えば、就職し、家を持ち、会社を太らせ、自分も太ることができたからです。</p>
<p>それは一概に否定できるものではなくて、健全な面もあったと思います。「公」がどうもうさんくさいものに感じられるようになって、それよりも実感として確実で、欲望の主体である「私」が全面に出てきた。</p>
<p>しかし、在日の人たちは就職もできず、日本社会で取り残された存在になったのです。当時は、住宅金融公庫の借入もできなければ、国民年金にも加入できなかった時代です。「私」に徹したくても、そこに可能性がなかった。だから、自力で道を切り開くのか、自暴自棄になるのかの選択を迫られてしまう。</p>
<p>一方で、日本で「公」というとき、在日は「外国人」としてしか見られない。もっとちがう視点に立たないといけないと思いました。</p>
<h3>◎ナショナリズムという病</h3>
<p><strong>――いまのナショナリズムの高揚についてどう思われていますか？</strong></p>
<p>僕は「ナショナリズムという病」と表現しています。人間は生きているあいだに病気になりますが、抗体や治療ができます。しかし、ナショナリズムの場合、国民の99％が同じ「病気」にかかり、自分を「正常」だと思うのです。</p>
<p>しかし、その状態は、つねに悲惨な結果をくり返しもたらしたことを歴史が教えてくれています。<br />
いまは、日本社会の生活を支えてきた経済や制度の信頼が崩れはじめ、いわば底が抜けている状態です。この病理的な社会状況が、ナショナリズムを受けいれやすくしています。ナショナリズムは独立編成ではなく、社会的な現象が複合的に重なって発展していくのです。</p>
<p>ナショナリズムを支えているのは「自愛」です。ナショナリストは「自分自身を愛し、自分の家庭を愛すのと同じように、国を愛するのだ」と言います。この意見には反論しにくい人が多いです。ナショナリズムは自愛という点で魅力的です。</p>
<p>しかし、国家は家族の延長ではありません。家族と国家を同一視するのはフィクションです。にもかかわらず、それが自然に見えてしまうのは、異質な他者や敵をつくりやすい集団現象があるからです。</p>
<p>いま日本では、北朝鮮や中国を敵視しています。だから、拉致事件の被害者は「日本にくれば幸せだけど、北朝鮮にいれば地獄だ」と単純化した二分法で見てしまっています。個人から国家まで一体化してしまうのがナショナリズムだと思います。</p>
<h3>◎見えない集積が</h3>
<p><strong>――学校については、どうお考えですか？</strong></p>
<p>僕が学校がイヤだったのは、人間を従順化させようとする集積の上になりたっているからです。</p>
<p>たとえば、僕の娘の中学校ではソックスやセーラー服の長さ、おじぎの角度、食事の仕方など、さまざまなことを求めてきます。校長や教師の一人ひとりをみると善人が多いのですが、全体的に見れば、とても抑圧的です。</p>
<p>毎日、無意味な訓練をさせ、あるリズムで体を動かさせることで、人間を従順にさせていくのです。従わない子は仲間から差別される対象になります。それはイデオロギーの注入というより、見えないかたちで行なわれている「身体権力」の集積です。松下電器のように社歌を歌わせる企業なども同じことですよね。</p>
<p>それに対して、身体的な暴力性で反抗しているのが校内暴力やいじめだと思うのです。</p>
<p>学校が特定のイデオロギーを注入できるのは、「身体権力」のベースがあるからです。そのうえで、善良かつ従順な平均人がつくられています。</p>
<p><strong>――拉致事件の報道をどう見られていますか？</strong></p>
<p>一連の報道を見ていると、北朝鮮に関して根深い差別感が底流にあることを感じます。日本はかつて植民地支配した北朝鮮と50年以上にわたって交流をしてきませんでした。しかも、この異常を異常だと感じてこなかった。いままで目を向けようとしなかった社会について、暴力的な拉致事件というかたちで、否応なしに突きつけられることになったのです。ちょうど、アメリカが9・11事件によって、突きつけられたように。</p>
<p>今回の拉致問題はあまりにも急激だったので、世論が当惑しています。しかし、なぜ今回の事件が起きたのかを、北朝鮮という孤立した国家だけの問題にせず、交流がなかった異常さから考えるべきだと思います。</p>
<h3>◎単線型ではなく複線型の社会を</h3>
<p><strong>――どういった社会なら望ましいと思いますか？</strong></p>
<p>いまの社会は極端に言えば、人間がどの家族に生まれたかによって決定されています。資産や所得がある家に生まれた子と、そうでない子の受ける教育はちがいます。人間がどの家庭に生まれたかによって決められる擬似的な封建社会です。政治家やタレントに2世が増えるなかで、労働保障のないフリーターが増える分極化現象が起きています。今後、フリーターが使い捨ての労働力になってしまうのでは、と危惧しています。</p>
<p>現在の政治は「競争」や「自己責任」を掲げていますが、言い換えれば「あなたが生きようが、死のうがかまわない」ということです。競争に敗れ、いったん軌道を外れホームレスなどになると、その後の自己実現が保障されない社会です。それが恐いから、よけいに学校や企業での身体権力を自らで守ろうとします。</p>
<p>学校や会社でつまずくと人生が終わったかのように思わされ、社会や政治を問題にせず自分がダメだ、と思い込まされているのです。単線型の自己実現を押しつけられた結果、年に3万人もの自殺者が出ています。</p>
<p>いまの社会では、若い人たちが生きているリアリティーを感じにくくなっています。寄る辺のない宙づり状態です。だから、国家なんて本来抽象的なものなのに、具体化されたナショナルフラッグが、自分を愛する気持ちに通じていると錯覚を起こす人が生まれるのです。</p>
<p>みんなが画一的につくりだす暴力性や差別を本人たちは感じていません。しかし、自分を「ふつう」と思い、善良な個人の集積が暴力的な社会をつくっていることはたしかです。これは異常な社会なのです。</p>
<p>単線型の自己実現だけを目指した社会ではなく、複線的な敗者復活戦が用意された社会が必要です。望むべき社会とは、やはりみんなが望むこと、思うことを実現するための条件があることです。自己実現を保障するのが、政治だと思っています。</p>
<p><strong>――ありがとうございました。（聞き手・石井志昂、山本菜々子、相澤啓祐</strong></p>
<p>プロフィール<br />
（かん・さんじゅん）1950年熊本生まれ。政治学研究博士課程修了後、78年～81年までドイツのニュルンベルク大学に留学。98年に東京大学社会情報研究所助教授となる。専攻は政治学・政治思想史。著書に『オリエンタリズムの彼方へ』（岩波書店）、『ふたつの戦後と日本』（三一書房）、『丸山眞男と市民社会』（脊織り書房）ほか多数。</p>
<p>※2003年1月1日　不登校新聞掲載</p>
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		</item>
		<item>
		<title>Fonte No.253 Date. 2008.11.01</title>
		<link>http://www.futoko.org/fonte/page1101-309.html</link>
		<comments>http://www.futoko.org/fonte/page1101-309.html#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 31 Oct 2008 15:00:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fonte</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[fonte目次]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.futoko.org/?p=309</guid>
		<description><![CDATA[１面　反貧困ネットワーク主催　みんなで世直しイッキ！！
　　　チャイルドライン秋のキャンペーン
２面　私にとって不登校をめぐる10年
　　　新連載「親子ってなんだろう」
３面　ホームレス問題の授業づくり
　　　連載「学校のナゼ」
４面　声、通信員より
　　　はっつけあーと
５面　11・6 シューレ大学公開イベント
　　   「つながる・世界を自分にとりもどす」
６面　ＮＰＯ紹介
　　　いろいろなはぐくみの会
７面　不登校経験者がすばる文学賞受賞
　　　天埜裕文さんに聞く
８面　親の会情報、infomationほか
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.futoko.org/news/page1101-310.html">１面　反貧困ネットワーク主催　みんなで世直しイッキ！！</a><br />
　　　チャイルドライン秋のキャンペーン</p>
<p>２面　私にとって不登校をめぐる10年<br />
　　　新連載「親子ってなんだろう」</p>
<p>３面　ホームレス問題の授業づくり<br />
　　　連載「学校のナゼ」</p>
<p>４面　声、通信員より<br />
　　　はっつけあーと</p>
<p>５面　11・6 シューレ大学公開イベント<br />
　　   「つながる・世界を自分にとりもどす」</p>
<p>６面　ＮＰＯ紹介<br />
　　　いろいろなはぐくみの会</p>
<p>７面　不登校経験者がすばる文学賞受賞<br />
　　　天埜裕文さんに聞く</p>
<p>８面　親の会情報、infomationほか</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>ペルーのストリートチルドレン・パトリシアさんに聞く</title>
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		<pubDate>Fri, 31 Oct 2008 15:00:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fonte</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[子ども編集部]]></category>

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		<description><![CDATA[　ペルーと言ったら、フジモリ大統領。それぐらいしか、ペルーに関して知識のない僕が、ストリートチルドレンとして働く、パトリシアさん（18歳）に、ペルーの子ども・教育事情を聞いた。
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			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignnone size-full wp-image-239" title="パトリシアさん" src="http://www.futoko.org/wordpress/wp-content/uploads/2008/07/kodomo1101-1.jpg" alt="" /><br />
ペルーと言ったら、フジモリ大統領。それぐらいしか、ペルーに関して知識のない僕が、ストリートチルドレンとして働く、パトリシアさん（18歳）に、ペルーの子ども・教育事情を聞いた。</p>
<h3>◎7歳から労働デビュー</h3>
<p>パトリシアさんは7歳のころ、路上でお菓子売りをして、働き始めた。「理由は？」と聞くと「お金がないからよ」と笑って答えた。しかし、パトリシアさんは、特別な子どもではない。ペルーには現在も、150万人以上の子どもが働いてる（ペルーの人口は約2000万人）。つまり、札幌市約1個分の人間が、ペルーではストリートチルドレンとして働き、さらには、150万人という数も、実際にはもっと大勢の子が働いているという見方が強い。パトリシアさんは大勢の働く子どもの一人なのだ。</p>
<h3>◎ストリートチルドレン</h3>
<p>ペルーの貧困層は、主にネイティブペルーの人であり、白人は優遇される。ネイティブペルーの子どもの多くが、貧困に悩み、そこから働く子どもが出てくる。子どもの犯罪や売春も生まれるが、貧困で死ぬ可能性もあるので、彼らは必死なのだ。</p>
<h3>◎ペルーの教育現場</h3>
<p>ペルーの教育現場では、子どもは虐げられる存在である。学校では、体罰が平然となされ、パトリシアさん自身も宿題を忘れた程度で、殴られた。学問のレベルも高いものではないが、学費がかさむため、学校に行けない子が大勢いる。家庭内でも、同じように虐待が存在するが、何よりも、子どもが助けを求められるような、「声」を聞いてもらう場所が、ほとんどない。</p>
<h3>◎日本の教育について</h3>
<p>日本は勉強が盛んな国だと聞いていたから、学校に行かない子がいたのは大変驚いた。そして、学校に多くの問題があり、行かない子がいるということも理解できた。</p>
<h3>◎ナソップとの出会い</h3>
<p>9歳のころ、パトリシアさんはナソップに出会い、状況が一変した。これまで、不当な労働・不当な賃金を当然のごとく、強いられてきたパトリシアさんにとって、自らにも人権が存在し、自分自身が大切にされなければならないと、ナソップで学んだことは衝撃だったという。さらに、学校・家庭現場においての不当な扱いにも、不当性を訴えていくことも学び、貧困に立ち向かう運動を始める。</p>
<h3>◎児童労働</h3>
<p>「ただ、よく誤解されるのだが……」と、パトリシアさんがしゃべり出す。「児童労働に反対しているのではない。私自身も家族が生活できるようになるので、働くことはきらいじゃない。だが、搾取労働に反対しているのだ。ペルーの子どもは、自分に人権があることを知らない。自らを守るすべを知らない。だが、私たちは生きていくことを保証されている。そのことを知ること、伝えることが大切なんだ」とラテンアメリカ系独特の熱い口調で、訴える。</p>
<h3>◎今後は……</h3>
<p>「今後、どんな活動をしていきたいですか？」と質問すると、「ナソップで学んだことは、私が生きるうえでもっとも大切なことであり、現在も不当な扱いを受けている子どものために、私は活動をしたい」と答えてくれた。そして、「ただ、よく誤解されるのだが……」と言うと、また、強く訴え始めた。</p>
<p>「私たちはコートがほしいとか、食料がほしいとか、そういうことを言っているのではない。私たちが求めているのは、同情されることではない。子どもは半人前で、何も考えられないと決めつけないでほしい。私たちを一人の権利と主体性のある人間として認めたうえで、私たちが貧困に立ち向かい、打破すべく現状への要望に、大人も耳を傾けてほしいのだ」。</p>
<h3>◎トゥパクアマルの日本大使館占領事件について</h3>
<p>ペルーという国が僕にとって存在感のある国になったのは、恥ずかしながら、あの日本大使館占領事件である。あの事件では、フジモリ大統領が、占領側のトゥパクアマルメンバーを全員殺害することで、終止符を打ったのだが、一体現地の人はどう思ったのか？</p>
<p>「あの事件は、ペルー国内でも大変議論を呼ぶ、事件でした」。パトリシアさんが静かにしゃべったのはここまで、後はまくしたてるようにしゃべった。</p>
<p>「社会に多くのことを求め、改革しようとするものは、ゲリラと呼ばれ、牢獄に入れられ、無実の罪を着せられる。殺されてしまうことも、めずらしくはない。ただ、ペルーは多くの問題を抱え、改善が必要であるが、フジモリはそれを認めない。私は、フジモリに怒りと悲しみを感じ、カトリック教の法王も裏切り者でしかない。フジモリは虐殺者なのだ。絶対に許すことができない」。【子ども編集会議・石井志昴（18歳）】</p>
<p>※2000年7月1日 不登校新聞掲載</p>
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