Vol.03 女なんかさ

 私の青春時代は暗かった。もてなかったからだ。それもオニのように。

 幼少のころ、相撲に興味をもち力士に憧れたのがそもそものまちがいだった。

 大飯を食らい太鼓腹になった私は銭湯でおじさんたちから「坊や、いい体してるなあ」と誉めそやされ、調子に乗ってますます食った。

 後になって、ほっそりとした長身で足が長いのがもてる条件だという情報がもたらされ、私はよれた。

 しかし、そこは、修養系である。立ち直って努力を積んだ。よりスマートなスポーツと思われた野球に打ちこみ、焼け石に水程度は痩せた。

 問題は身長と足の長さだったが、これを一挙に解決する方法として、鉄棒のポールにしがみつき、友人に足を引っ張ってもらうという方法を考えつき何度もくり返した。結果が出なかったどころではない、そんなことをしているという話があっという間に女子の方へも伝わり、陰で大笑いされていたのだ。こういうのを逆効果という。

 このまま「もてたい・もてない」の2サイクル永久機関人生はごめんだと次に私がとった手段は、もてたいという意識を抑えつけることだった。

 「女というものは俺に惚れるために生まれてきたのにもかかわらず、そのことにまったく気がつかないバカな存在である。今はバカを相手のときじゃない、俺は荒野を独り行く」と硬派を演じるようになったのである。

 どっちがバカかという点はあえて読者の判断にゆだねたいと思う。

 「A子が石原くんはほんとに孤独が好きなの? って言ってたぞ」と聞いたときは動揺した。「たしかに君に出会うまではね」などと言ってみたい衝動にもかられたが、彼女が好意をもっているとはかぎらない、なに無理してんだということだったら恥の上塗りだと煩悶し、涙をのんで自重した。

 こうして当時の私は荒野を歩き続け、いやというほど空しさを味わったのである。「青春を返せ!」と叫びたくもなるが、そのまんまで返ってきたりするとたまったものではないので、あえてやらない。

 同じような悩みをもつ読者もいるかもしれないので、明るい話題を一つ。

 どんなにもてない人生でも、一生のうち三度は妙にもてる時期があるという有力な説がある。

 私の場合は二度あったので、あと一度残っているはずだ。これをいつ使おうか、あるいは残したままで死んでいくのも余韻があって良いんではないかなど考えるのも楽しいと、ここまで書いて気がついた。この機会は向こうからやって来るもので、自由に時期を選べるわけではないということに。

 ご健闘をお祈りしたい。

※2005年3月1日 Fonte掲載